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200万両で憧れの武士に!身分社会の江戸時代に横行した武士の身分売買


江戸時代には、武士の身分が「御家人株」として売買されていました。御家人の家格を金で取得できる制度で、これは養子縁組を名目にしたものでした。目的は、金銭の対価として武士になりたい人々を受け入れることで、特に武士の子供でありながら身分を得られない者たちが多く買っていました。場合によっては、武士ではない人物が身分を買い、武士社会に入ることもありました。こうした売買は非公開で行われ、時に金銭トラブルや陰謀が絡むこともありました。元武士が町人として新たな生活を始めるケースも多かったが、その後の生活は必ずしも安定せず、社会的な浮沈が続きました。本研究に基づき、江戸社会の一面と武士身分の流動性に注目しています。

江戸の町に、なんとも奇妙な話があります。

それは、武士の身分が売り買いされていたということです。

身分といえば生まれ持ったものと思いきや、金さえあれば手に入る時代がありました。

果たして武士の身分の売買とはどのように行われていたのでしょうか?

この記事では武士の身分をどんな人が買っていたのか、どのような流れで販売が行われていたのか、また売った元武士はその後どのような生活を送っていたのかについて紹介していきます。

なおこの研究は(2008)姜,鶯燕『<研究ノート>近世中後期における武士身分の売買について : 『藤岡屋日記』を素材に』日本研究37巻p. 163-200に詳細が書かれています。

目次

  • 御家人株を買えば武士になることができた
  • 武士身分を得られない武士の子どもが買っていた
  • 非公開売買でトラブルも多かった武士身分の売買
  • 御家人株を売った元武士は町人になった

御家人株を買えば武士になることができた

御家人株を購入すれば武士になることができた
御家人株を購入すれば武士になることができた / credit:いらすとや

江戸時代は御家人株を購入することで武士になることができましたが、そもそも御家人株とは一体何でしょうか。

御家人株とは金銭取引の対象となっている御家人の家格です。

名目上は養子縁組を結び、養父が隠居して家督を譲る形式を取りました

例えば、同心(下級役人、事務やパトロールの仕事を行った)は200両(現在の価値で2000万円、1両=10万円で換算)、徒士(かち、中間管理職な仕事や城の護衛の仕事を行った)は500両(現在の価値で5000万円)、与力(同心の上司として行政や司法、警備の仕事を行った)が1000両(現在の価値で1億円)、という相場があったとのこと。

この「身分の市場」が、果たしてどれほどの人々の夢を叶えたのか、あるいはどれほどの失望を生んだのか想像するだけで興味深いです。

身分制社会において流動性はないと思われがちですが、この「武士株」の存在はその固定観念に一石を投じます。

当時の社会は、実のところ意外にも柔軟であったこと。

そして何より、武士というものが、いつの間にか名誉や責務を超えた「商品」に成り下がっていたこと

こうして江戸の町では、身分と金が交錯する、不思議な光景が広がっていたのです。

武士身分を得られない武士の子どもが買っていた

武士の子どもの中には様々な事情で武士になれないものもいた
武士の子どもの中には様々な事情で武士になれないものもいた / credit:いらすとや

それではどのような人が武士身分を買っていたのでしょうか?

御家人株の購入者として多いのが、様々な理由で武士身分を得ることのできなかった武士の子どもです。

様々な事情があって家庭で育てることができず、家老の家で育てられた子どもが、持参金を備えさせて与力の家に養子入りさせた例などがあります。

なおこの子どもは養父の死後に養子先の実子とトラブルを起こして追い出され、その後の彼は放蕩に耽って勘当され、最終的には草履職人になったとのことです。

また父親の後を継ぐことのできない与力の次男が別の与力の株を購入して与力になる例もあります。

一方武士ではない人が武士身分を購入して新しく武士になることもなかったわけではありません

例えば勝海舟の曽祖父の米山検校(よねやまけんぎょう)は男谷家の御家人の株を購入し、三男にその御家人株を与えたのです。

非公開売買でトラブルも多かった武士身分の売買

記事で取り上げている例のように、御家人株の売買でトラブルが起こることも多かった
記事で取り上げている例のように、御家人株の売買でトラブルが起こることも多かった / credit:いらすとや

それではどのような流れで武士身分の販売が行われていたのでしょうか?

このような売買は表向き禁止されていたということもあり、クローズドな形で行われていました。

例えばある御家人の家来はひょんなことから38両(現在の価値で380万円)もの大金を拾い、落とし主が現れなかったこともあってそのまま38両を手にすることになりました。

この家来は主人からの信頼が厚かったこともあり、主人の計らいによってこの拾得金を元手に念願の同心株を手に入れることに成功したのです。

このように御家人株を購入するためには武士にコネや伝手が必要であり、それゆえ先述したように御家人株の購入者は武士の関係者が多かったのでした。

一方で御家人株の売買はトラブルも多かったです。

例えばある御家人は優秀な家来に御家人株を買い与え武士にしていたものの、払う予定となっている金額を巡ってトラブルになり、さらにその御家人はトラブルを解消する前に亡くなってしまいました。

これにより不足分の金額の請求は元家来に来たものの、元家来は支払いを拒否し、遂には殺害されてしまいます。

御家人株の金銭トラブルが殺害事件に発展し、当時の売買制度の不透明さと危うさを如実に物語っているのです。

このようなエピソードの背後には、金銭と社会的地位が密接に絡む江戸社会の現実が見えます。

御家人株を売った元武士は町人になった

御家人株を売った元武士は町人として生きていった
御家人株を売った元武士は町人として生きていった / credit:いらすとや

それでは御家人株を売った元武士はどのような生活を送っていたのでしょうか?

先述したように御家人株には非常に高い価値があるということもあり、元武士は御家人株を売ったことにより多くの金銭を手に入れることができました。

例えばある怠け者の御家人は、あまりにも仕事がしたくないという理由で御家人株を売却し、自らは隠居としてぶらぶらして生活していたのです。

またある武士は放蕩で身を持ち崩して御家人株を売り、とび職人へと身を転じました

さらに、特殊なケースとして、遊女と恋に落ちた武士が、御家人株を売り払い町人となって夫婦となった例があります。

しかし、町人として裏長屋に住まいを構えたその生活は貧窮と隣り合わせであり、妻の両親が同居を頼み込むや否や、生活は坂を転げ落ちるように困窮していったのです。

そして、遂には妻の浮気を疑い、せっかく身分を捨ててまで結婚した妻を惨殺するという悲劇を引き起こしました。

 

江戸の裏路地には、このようなかつての御家人たちの影が幾重にも重なっています。

それはまるで、時代の波に飲み込まれながらも自らの居場所を模索する、人間の業のように感じられるのです。

華やかなる大名行列の光景とは裏腹に、こうした影の物語が江戸という街の豊かな深みを作り上げているのかもしれません。

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参考文献

国際日本文化研究センター学術リポジトリ
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/550

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

ナゾロジー 編集部

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