新鮮な空気は本当に薬になるのかもしれません。
オーストラリアのニューカッスル大学(UON)で行われた研究により、人間は空気からビタミンA、ビタミンB12などのビタミンや、マンガンやヨウ素などのミネラルを直接吸収し、食事で足りない量を補えることが示されました。
また一部のミネラルにおいては、呼吸だけでも必要量を超える量が摂取できることが立証されています。
さらに研究は、呼吸には空気中に存在する有用な微生物を補給するという役割もあり、常在菌の維持に欠かせないことも示されています。
一方で、人工的な空気循環システムがある閉鎖環境、たとえば都市部の高層ビルや宇宙ステーションのような場所では、この「空気由来の栄養素」や微生物が十分に得られないことが懸念されています。
研究者たちは空気中の栄養素を「気体栄養素」と呼び、口から摂取される「胃腸栄養素」を補う重要な役割を果たしていると述べています。
もし、空気が栄養素や健康に欠かせない微生物を運ぶ役割を果たしているとすれば、私たちは食事やサプリメントだけでは補えない、もう一つの「隠れた栄養源」に気付いたことになります。
古い言い伝えでは「仙人は霞を食べて生きている」と言われていますが、呼吸から摂取できる栄養素の豊富さを考えると、完全な眉唾には思えなくなってきます。
しかし呼吸器官は消化器官のような栄養吸収に特化していないにもかかわらず、なぜ多様なビタミンやミネラルを補給できるのでしょうか?
最新の研究内容の詳細は『Advances in Nutrition』にて公開されています。
目次
- 呼吸は食事と違って一生止まらない
- ミネラルは鼻粘膜から吸収できる
- ビタミンB12は肺から吸収できる
- 新鮮な空気は有用な菌を含んでいる
呼吸は食事と違って一生止まらない
「人間は空気から栄養を吸収できる」なんて話を聞くと、多くの人が疑いを持つでしょう。
私たちは長い間、栄養はすべて食事から得るものだと考えてきましたし、健康を維持するためには「バランスの良い食事」が欠かせないと信じられてきました。
また空気についての研究の多くは、有害物質や汚染物に焦点を当ててきたため、「空気から栄養を得る」というアイデアそのものが、健康に関する議論から遠ざかっていました。
何千年もの間、さまざまな文明において「新鮮な空気」が健康に良いと言われ続けてきましたが、現在では気分転換や精神的健康を得るための手段としてのイメージが定着しており、空気から何らかの栄養学的あるいは薬学的な恩恵を得る手段とは見なされなくなっています。
しかし呼吸の持続性を考えれば、話しは違って見えてくるでしょう。
呼吸は食事と違い、生きている限り一瞬たりとも止めることができません。
私たちは1日におよそ9000リットルもの空気を吸い込んでおり、一生を通じてその量は約4億3800万リットルにも及びます。
食事のように1日3回のイベントではなく、呼吸は24時間365日続く活動なのです。
この絶え間ないプロセスが、空気中の微量な栄養素を少しずつ体内に取り込むことを可能にしています。
たとえ空気中の栄養素の濃度が極めて低くても、膨大な量の空気を吸い込むことで、最終的に体内に蓄積される量は無視できないレベルになるのです。
そこで今回、ニューカッスル大学の研究者たちは、過去に行われた研究結果を参考に、人間が空気からどのように、そしてどんな種類の栄養素を得ているかを調べることにしました。
ミネラルは鼻粘膜から吸収できる
鼻の主な役割は匂いを感じることですが、吸い込んだ空気を加温、加湿して肺細胞を傷つけないようにすることも同じくらい重要な役目です。
この役割を果たすため、鼻の奥の粘膜は複雑に折りたたまれており、その表面積は150平方センチメートルにも及んでいます。
また嗅上皮と呼ばれる匂いを検知する領域には1000万個の嗅覚ニューロンがが存在しており、その表面は特定の匂い分子と積極的に結合するほか、多様なイオンや金属、アミノ酸などの取り込み口を有しています。
このような複雑な構造による表面積増加や特定の物質を積極的に取り込む仕組みは、消化器官で吸収を担う腸を連想させます。
(※海外ではコカインや覚せい剤(メタンフェタミン)の粉末を鼻から吸い込む方式もとられており、これは鼻が吸収口として優れている証でもあります)
実際、いくつかの研究は必須ミネラルとして知られるマンガンや亜鉛、ヨウ素が嗅上皮を介して脳に入ることができるとする強力な証拠が示されています。
たとえば溶接工など空気中の高濃度のマンガンに晒される人々を調べたケースでは、鼻から吸収されたマンガンが脳に運ばれ、神経毒を発するレベルまで蓄積を起こしていることが分かっています。
この結果は、鼻は空気中にあるマンガンをかなりの速度で取り込めることを示しています。
もう1つの重要な例はヨウ素を調べた例でみつかりました。
ヨウ素は甲状腺ホルモンを作るのに必須の元素ですが、地球上の多くの土地ではヨウ素が欠乏状態にあります。
やや古い報告ではありますが、WHOは1993年に世界人口の大部分がヨウ素欠乏症であるとの警告も行っています。
この悲惨な状況はヨウ素添加塩の世界的な普及により改善されましたが、現在でもヨウ素不足は続いています。
(※日本は海藻や魚を食べる習慣があるためヨウ素不足は発生しづらくなっています)
このヨウ素もマンガンのように呼吸によって補える栄養素であることが示されています。
過去に行われた研究では、要素の1日の推奨される摂取量は150μg/日とされていますが、呼吸だけで大気中から11㎍、つまり推奨量の7.3%のヨウ素を吸収している可能性が示されています。
また空気中の高濃度のヨウ素に晒されている洗濯作業員を調べたところ、血中と尿中のヨウ素濃度が他の職業よりも著しく高いことが示されました。
さらに別の研究では、より明白な結果が得られました。
この研究では海藻がヨウ素ガスを放出する性質があるという点を発端にしています。
そこで研究者たちは沿岸部で近くに海藻が豊富に存在する場所、沿岸部だが海藻が少ない場所、内陸部の農村に住む子供たちの尿中ヨウ素濃度の比較を行いました。
調査にあたっては、どの場所に住む子供たちも食事からとっているヨウ素の量が同量であることが事前に確認されています。
結果、海藻が豊富な場所の子供たちの尿中ヨウ素は、他の海藻と無縁な地域と比べて2.7倍も高いことが判明。
またヨウ素欠乏症の可能性のある子供の割合も海藻が豊富なグループ、海藻が少ないグループ、内陸の農村のグループを比較すると、8.7%、14.5%、37.6%となっていました。
さらに大気中のヨウ素濃度は、海藻が豊富な地域は農村部に比べて11倍に達していることも確認されました。
この結果は、人間は海藻から放出するガスを空気を介して吸入することで、1日の必要量のかなりの割合を摂取している可能性を示しています。
これらの結果は、亜鉛やマンガン、ヨウ素などの複数の必須ミネラルのかなりの量を、人間は呼吸によって(時には過剰なレベルまで)補給できることを示しています。
「故郷である海辺の空気を吸うと元気になる」という経験をした人は、ジャンクフードばかり食べていたせいでヨウ素不足を発症させていたのかもしれません。
他にも鼻から吸収できると考えられてる栄養素には、カルシウム、マグネシウム、鉄、そしてビタミンCが含まれています。
ただ、これらについてはマンガンやヨウ素ほどの詳細な検証は進んでおらず断言はできない状態にあります。
ビタミンB12は肺から吸収できる
当然ながら、肺は食事のためではなく呼吸のために存在しています。
しかし人類の歴史において、肺は常に物質の投入口として機能してきました。
古くは大麻のカンナビノイドやタバコのニコチンといった薬物。
また19世紀半ばに普及した吸入麻酔も麻酔薬を肺に入れることで機能します。
現代においても、吸引式の薬は喘息の治療をはじめ多くの場面で使用されています。
このように肺がターゲットとされるのは、肺が非常に「大口」だからです。
たとえば消化管は600ダルトンを超える分子を通過させませんが、肺上皮は16万ダルトンもの分子を取り込むメカニズムを備えています。
つまり肺は消化管に比べて270倍もの大きさの分子を取り入れられるのです。
さらに大麻やタバコ、麻酔の例が示すように、肺からの吸入は即効性に優れています。
実際、過去に行われた研究でも、悪性貧血の治療にビタミンB12のエアロゾル化の有効性が実証されています。
この研究では、悪性貧血の患者24人が集められ、噴霧器によってビタミンB12が空中散布され、血中濃度の変化が調べられました。
すると驚くべきことに、ビタミンB12のエアロゾル化は口からの補給に比べて54倍も効果的であり、筋肉注射とほぼ同等の効果であることが示されました。
他にもビタミンB12欠乏症の子供や高齢者を対象にした実験でも、エアロゾル化することで血中のビタミンB12濃度を急速に改善させられることが示されています。
他の研究でも、トランスレチノイン酸(ビタミンAの代謝活性物)も数分から数時間かけて肺から吸収できることが報告されています。
これらの研究では、ビタミンは人工的な噴霧器で空気に散布されました。
しかしビタミンは自然環境でも非人為的に生成されることが知られています。
たとえば空気と水の境界線はビタミンが自然発生するポイントになっています。
そのため研究者たちは、ビタミンもまた気体栄養素と定義できると結論しています。
新鮮な空気は有用な菌を含んでいる
現代の私たちは「新鮮な空気」という言葉を有害な汚染物質がない空気という意味に捉えています。
しかし人類の歴史を振り返ると「新鮮な空気」は決してイメージ的なものではなく、医学的に肉体に対しての実利を発揮してくれると考えられていました。
たとえば紀元前2世紀ごろのローマの作家は、新鮮な空気を吸うことに実利を見出していました。
またスカンジナビアの分化では、冬でも屋外で過ごし新鮮な空気を吸ったほうが健康に良いとされていました。
このように何千年もの間、さまざまな文明において「新鮮な空気」の効能が述べられています。
「新鮮な空気」という言葉に科学的な定義はありませんが、今回の研究において研究者たちは、この言葉を古代のように、自然環境または田園環境に存在する空気であると規定しました。
新鮮な空気にはビタミンやミネラルなどの栄養素が豊富に含まれており、呼吸によってそれらを取り入れることが可能になるからです。
「1日1個のりんごは医者を遠ざける」という言葉のように、新鮮な空気を吸うことは食事で不足する栄養素を補う手段となり得るのです。
ですが新鮮な空気の利点は栄養素だけではありません。
今回の研究では、自然環境が作り出す新鮮な空気に含まれる微生物もまた重要であると述べています。
従来、微生物は食物や腸内環境を通じて健康に寄与するものと考えられてきました。
しかし世界9地点の空気中の微生物を調べたところ、1立方メートルあたり9.2 × 101 から 1.3 × 108 の範囲であると報告されました。
この値は都市部では最も低く田舎の自然環境豊かな場所では多くなりました。
つまり田舎の人々は空気中の微生物を毎分で数百万個取り込む場合があるのに対して、都市部の人々は数百個しか取り込めない場合があるのです。
空気中に存在する微生物は、口や鼻、気管支、肺などに存在する、常在菌とよばれる微生物の供給源になります。
私たちの体の表面にも内部にも様々な微生物が住み着いていますが、それらのかなりの部分が空気中を漂っていた微生物が定着したものとなっています。
これらの微生物の中には、病原体のように病気を引き起こすものもありますが、その多くは無害であり、彼らが形成する縄張りは、病原菌や病原ウイルスが定着するのを防ぐのにも役立ちます。
たとえば消毒をし過ぎて常在菌を死滅させてしまうと、逆に病原菌が増えやすくなってしまうという事態も起こり得ます。
豊かな微生物が存在する場所で呼吸を行うと、生きて病原菌と戦ってくれる常在菌を補給することができ、健康の維持と増進に役立ちます。
またこれまでの研究により、微生物は取り込まれた器官に留まらず、移動できることも示されています。
つまり消化管の菌が肺に定着したり、逆に鼻や肺の菌が腸内細菌叢に紛れ込むことがあるのです。
腸内環境を整えるためにビフィズス菌などを摂取することは非常に有効ですが、もしかしたら自然環境にいる菌を鼻や肺に入れることも、同じくらいお腹の健康に重要となります。
実際、健康な人と慢性呼吸器疾患の人の鼻腔内微生物叢を比較したところ、健康な人たちの鼻には、植物やミツバチなどに関連する自然環境に由来する微生物が多く存在することが示されました。
また定期的に自然環境に赴く人美とは都市部だけに入る人々に比べて呼吸器系の健康状態が良好であることが知られています。
これまでこの現象は、都市部の汚れた空気を吸わない期間があるからだと考えられていましたが、空気微生物の存在を効力すると、自然環境において微生物を定期的に補給することが健康を維持しているとも解釈できます。
以上のことから、新鮮な空気を吸うことは、ビタミンやミネラル、その他未知の健康成分を取り入れるのに加えて、常在菌のバランスを整え多様な細菌構成を維持するのにも役立つと言えます。
そのため研究者たちは、潜水艦や宇宙ステーション、締め切られた都市部の部屋に代表される新鮮な空気が得られない環境は、人体の健康にとってマイナスの影響を与えることになると警告しています。
豊富な栄養素と多数の微生物を含む新鮮な空気は文字通り生きているため、空気循環装置やろ過装置を経ることは、ある意味で「死んだ空気」を作ることになるとも言えます。
もし週末などに暇な時間があれば、毎日のヨーグルトを食べるだけでなく、自然豊かな場所で新鮮な空気を吸い込んでみるのもいいでしょう。
元論文
A Breath of Fresh Air: Perspectives on Inhaled Nutrients and Bacteria to Improve Human Health
https://doi.org/10.1016/j.advnut.2024.100333
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部