記憶といえば、多くの人が「脳」を思い浮かべるでしょう。
確かに、記憶を司る脳の働きは、私たちが学び、体験を蓄えるために不可欠です。
特に、神経細胞 (ニューロン) が信号をやり取りしながら記憶を形成するプロセスは、長年にわたり研究されてきました。
しかし、米国ニューヨーク大学 (New York University) の最新の研究で「記憶」は脳だけの専売特許ではない可能性が示唆されました。
記憶の概念が脳から全身の細胞にまで拡大するかもしれません。
研究の詳細は2024年11月7日付で学術誌『nature communications』に掲載されています。
目次
- 記憶はどのように作られるのか
- 記憶形成の新たな視点
記憶はどのように作られるのか
記憶を司る中心的な役割を担うのは脳だ、と考えるのがこれまでの常識でした。
そして、この考えは神経科学の研究が長年示してきた結論でもあります。
しかし、最新の研究によって、この常識が揺らぎつつあります。
もしかすると、私たちの体、腎臓や他の臓器も記憶の一端を担っているかもしれないのです。
それでは、まず記憶の基本的な仕組みについて振り返ってみましょう。
記憶は、私たちの学習や経験を蓄積し、生活を支える重要なプロセスです。
このプロセスは、以下のような段階を経て形成されます。
記憶には大きく3つの段階があります。
最初の段階は、感覚記憶です。
これは視覚や聴覚といった情報を瞬間的に保存する短い記憶の形で、数秒から数十秒程度持続します。
次に短期記憶に移り、必要な情報を一時的に保存しますが、容量に限りがあり、重要でないものはすぐに消えてしまいます。
そして、繰り返し学習した情報や特別な出来事は長期記憶へと移行し、長期間保存されます。
記憶の形成には、脳内の神経細胞であるニューロンが大きな役割を果たします。
ニューロンはシナプスという接続部分を通じて情報をやり取りし、新しい経験が得られるたびにそのネットワークを変化させます。
この「シナプス可塑性」と呼ばれる現象によって、記憶は蓄積され、繰り返しによってその結びつきが強まるほど、記憶はより安定して保存されます。
記憶を効果的に定着させるためには、いくつかのポイントがあります。
まず、「間隔学習」と呼ばれる学習法が効果的です。一度に大量の情報を詰め込む「集中学習」よりも、時間を空けて繰り返し復習するほうが、記憶の定着が向上することが科学的に証明されています。
また、記憶を長期的に維持するためには、睡眠が欠かせません。
睡眠中、脳は日中に得た情報を整理し、必要なものを長期記憶として保存します。
そのため、睡眠不足になると記憶力が低下し、学習や仕事の効率が落ちる可能性があります。
特に、大切な試験やプレゼンテーションの前には、十分な睡眠を取ることが推奨されます。
そして、記憶は学習や仕事といった特定の場面だけでなく、私たちの日常生活にも深く関わっています。
たとえば、買い物リストを覚えたり、スマホのリマインダーを活用して予定を管理したりする行動も、記憶の働きによるものです。
また、道順を覚えることや、友人との会話で過去の出来事を引き合いに出すことも、日常的な記憶の一例です。
このように、記憶は脳の中で複雑な仕組みによって形成され、私たちの生活を豊かにするさまざまな場面で役立っています。
そして、最新の研究によって、記憶が脳だけにとどまらず、体全体に広がる可能性が示唆されています。
記憶形成の新たな視点
私たちは長い間、記憶は脳の専売特許だと考えてきました。
しかし、ニューヨーク大学の研究により、腎臓や神経組織の細胞にも「記憶のような働き」がある可能性が明らかになりました。
この発見は、記憶の仕組みに関する理解を大きく進めるだけでなく、将来的には学習の効率化や記憶障害の新しい治療法の開発にもつながると期待されています。
研究のきっかけとなったのは、「間隔学習効果 (massed-spaced effect)」と呼ばれる記憶の特性です。
この効果は、短時間に情報を詰め込む「集中学習」よりも、時間を空けて情報を繰り返し学習する「間隔学習」のほうが、記憶が定着しやすいことを示したものです。
これまで、この効果は脳内の神経細胞でのみ観察されてきましたが、今回の研究では、脳以外の細胞にも同様の現象が確認されました。
実験では、腎臓と神経組織の細胞を使い、化学的な刺激を与えることで学習を再現しました。
具体的には、細胞に短時間の刺激を複数回与える「間隔学習」と、長時間にわたり一度だけ刺激を与える「集中学習」を比較。
その結果、間隔学習をした細胞は、記憶に関与するCREB遺伝子がより強く、長く活性化されることが確認されました。
これは脳内の神経細胞で見られる記憶形成の特徴と非常によく似ています。
さらに、研究チームは細胞内での変化を可視化するために、記憶遺伝子が活性化すると光る特殊な細胞を用いました。
この技術により、腎臓や神経組織の細胞が記憶している様子をリアルタイムで観察することができました。
特に、間隔を空けた刺激では、遺伝子の活性化がより持続的でした。
これにより、脳以外の細胞も刺激のパターンを認識し、それに応じた遺伝子の反応を調整する「記憶のような働き」を持つ可能性が示されました。
これは、記憶形成が脳の神経細胞だけでなく、全身の細胞レベルでも起こりうることを示唆しています。
なお、この研究で確認された現象は、「臓器移植で記憶が移る」といった話とは関連がありません。
今回の発見は、特定の刺激パターンを細胞レベルで「記憶する」分子メカニズムを明らかにしたもので、人間の体験や感情のような複雑な記憶とは異なるものです。
また、今回の研究成果を応用することで、腎臓の細胞が食事のパターンを覚えて血糖値を調整する仕組みや、がん細胞が抗がん剤の投与パターンを記憶して薬剤耐性を形成する仕組みなどが考えられます
このような視点が、医学や生物学に新たな道を開くかもしれません。
参考文献
Memories are not only in the brain, new research finds
https://www.sciencedaily.com/releases/2024/11/241107193111.htm
元論文
The massed-spaced learning effect in non-neural human cells
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-024-53922-x
ライター
岩崎 浩輝: 大学院では生命科学を専攻。製薬業界で働いていました。 好きなジャンルはライフサイエンス系です。特に、再生医療は夢がありますよね。 趣味は愛犬のトリックのしつけと散歩です。
編集者
ナゾロジー 編集部