2024年のノーベル物理学賞は、現在のAIの基礎となる「人工ニューラルネットワーク」の開発の鍵を発見したホップフィールド氏とヒントン氏に送られることになりました。
両名の発見が行われるまでしばらくの間は、「AIの冬」と呼ばれる時代であり、AIの開発が停滞していた時期でもありました。
現在のAIブームの基礎はいかにして形成されたのでしょうか?
目次
- 厳しい「AIの冬」の時期に密かに革命は起きていた
- ネットワーク内の物理現象を「記憶」や「学習」と解釈する
- AIと脳の類似性は最新のシステムでもみられる
厳しい「AIの冬」の時期に密かに革命は起きていた
コンピューターが開発されて以降、その性能は飛躍的な進化を遂げてきました。
コンピューターは複雑な弾道計算を瞬時に行う「計算能力」だけでなく、膨大な情報を正確に記録する「記憶能力」においても人間を遥かに上回ります。
そのためコンピューターの普及が進んだ1960年代には、人間に匹敵する「人工知能(AI)」の開発は1世代以内に可能になると考えられていました。
しかし予想に反して、AIの開発は難航します。
プログラムを組むことで、コンピューターに2枚の間違い探しをさせることは可能でした。
たとえば1枚目の夕日の画像の一部を加工してカラスを紛れ込ませた2枚目の画像を用意した場合、コンピューターはプログラムに従って画像データを比較することで、すぐに違いを認識することができました。
しかしコンピューターに「夕日とは何か?」を教えることはできませんでした。
人間が膨大な時間をかけて、夕日の色のデータや太陽の位置データを含んだ高度なプログラムを作成しても、コンピューターは赤いレンガの壁の前を飛んでいる黄色いテニスボールを映した写真を「夕日」と答えてしまったのです。
人間ならば、そのような間違いは起こしません。
人間は生まれてから何度も夕日を見ることで、夕日の抽象的な概念を脳内に確立し、見たことがない夕日の画像でも、それが夕日であると判断することができます。
しかし文字を使ったプログラミングではいくら頑張っても、夕日という抽象的な概念をコンピューターに教えることはできなかったからです。
同様の壁は画像認識以外にもさまざまな分野に存在しました。
私たち人間の言語や音声、色彩感覚などの多くは、プログラミング言語に変換するのが困難だったからです。
さらに一部の研究者たちは、現実世界の多様な学習状況に対応できるプログラムは作成不可能であるとの結論に至りました。
絵画の間違い探しのために作られたプログラムでチェスをしたり、新しい化合物を探したり、テニスを行うのは数学的に不可能としたからです。
この結論は、どんなに優秀なプログラマーが存在しても、人間のような汎用的なスキルを備えたAIをプログラミングで作り上げるのは無理であることを意味します。
人間によるプログラミングこそがコンピューターの神髄であると考えられていた時代、この結論は重いものでした。
脳の機能をコンピューターで模倣しようとする「人工ニューラルネット」開発の試みも古くは1960年代から存在していましたが、著名なプロジェクトの多くが失敗に終わってしまいました。
そのため現在のAIの盛況さ(AIの春)と比較して、1970年代中頃から2000年代初頭にかけた時期は「AIの冬」と呼ばれることもあります。
しかし中世の暗黒時代に、後の繁栄の時代の基礎が確立されたように、「AIの冬」の真っただ中にあって、密かな革命が起き始めていました。
そのきっかけは、ネットワークに含まれるエネルギーについての物理学研究でした。
ネットワーク内の物理現象を「記憶」や「学習」と解釈する
ネットワークに記憶力を発見
1982年、受賞者の1人であるプリンストン大学のホップフィールド氏は、「ホップフィールドネットワーク」という興味深い仕組みを開発しました。
このホップフィールドネットワークは、ネットワーク全体にエネルギーが蓄えられているという考え方を基礎としています。
そしてこのネットワークはエネルギー状態が最小になるように進化するように設定されました。
すると、ある点と点の接続の重みを一定に固定すると、特定のいくつかのネットワークパターンを再現できることが発見されます。
またこのパターン再現は耐性があり、ニューロンに相当するネットワーク内の点の活性度レベルに改変を加えても、正しく復元されることがわかりました。
ホップフィールド氏はこのプロセスを「記憶」や「判断(最適解)」と解釈しました。
私たちの脳でも、新しい情報が入るとニューロン間の結合強度が変化し、必要な記憶が定着します。
ホップフィールド氏は、接続の重みとエネルギーの法則に従って接続が変化するネットワークに、人間の脳と同じような可能性を見出したのです。
さらに幸いなことは「AIの冬」の時期にあっても、ホップフィールド氏の革命的発想を受け入れる人物が存在したことでした。
ネットワークに学習能力を発見
1985年、もう1人の受賞者であるコンピューター科学者のヒントン氏は、ホップフィールドネットワークをさらに発展させたボルツマンマシンを開発します。
ボルツマンマシンはニューロンにあたる点部分の状態変化に確率的な振る舞いを組み込みました。
これにより、ネットワークは条件に基づき確率的にニューロンの状態を更新し、データの背後にある確率分布を学習できるようになりました。
既存のプログラムでは実行不可能だったデータのパターンや特徴を学習し、より高度な分析が行えるようになりました。
さらにボルツマンマシンの発展型では学習によって画像認識や画像分類などのより実用的な機能が実現します。
両名の発見は、ネットワーク内の物理現象をAIとして解釈するという点において、まさに物理学的なものと言えます。
また2人の発見を機に、AIの研究が徐々に加速し、現在の「AIの春」と言える状況が作られたという点も選考のポイントになったと考えられます。
AIと脳の類似性は最新のシステムでもみられる
現在のAIの人工ニューラルネットは、エネルギー計算をベースにしたものではありません。
しかしホップフィールド氏とヒントン氏によって考案された仕組みは、その後発展と改良を続けていき、ディープラーニングの畳み込みニューラルネットワークや、大規模言語モデルの自然言語処理システムへと進化していきました。
人間の脳のように学習によって少しずつ人工ニューラルネットワークを改善していくという戦略は、AI自体の規模拡大と演算の高速化、さらに絶え間ない手法の改善により、実用化の道を進むことになります。
また興味深いことに、AIが進化しても脳機能との類似性は存在し続けている点があげられます。
たとえばディープラーニングの畳み込みニューラルネットワークでは、脳の視覚野のように多層構造のニューラルネットを採用することで、画像の認識能力を上げることに成功しています。
また大規模言語モデルの自然言語処理には、前頭葉や頭頂葉の担当する注意の集中や注意の方向付けと関連する仕組み(自己注意機構)やワーキングメモリの仕組みを採用することで、高度な情報処理を実現しています。
現在AIの進化については、楽観論と悲観論の両方が存在します。
ノーベル賞授賞式にてヒントン氏は「AIは産業革命に匹敵するだろう。しかし今回は人間の肉体的な強さを上回るのではなく、知的能力で上回ることになるだろう。人間よりも賢いものを人間は知らない。AIは多くの点で素晴らしいが、同時に制御不能になる脅威など、いくつかの悪い結果も心配しなければならない」と述べました。
AIの暴走はSFの定番ですが、AI開発の第一人者が言うと、重みが違って感じられます。
参考文献
They trained artificial neural networks using physics
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2024/press-release/
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部