生きるべきか死ぬべきか、それとも「新たな存在」になるか、それが問題になっています。
アメリカのアラバマ大学(UA)から発表された研究により、生命が生と死を超えた第3の状態に変化できるとの概念が示されました。
研究ではここ十数年の研究成果がレビューされており、栄養、酸素、生化学的刺激が与えられた場合、人間やカエルの体が死後に新たな機能を備えた「多細胞生物」に変化できることが示されています。
研究者たちは死の生物学が進んだ結果「生物の死に関する従来の理解や「生命」および「生物」の定義が時代遅れになっている可能性がある」と結論しています。
生とは、死とは、そして命とは何なのでしょうか?
研究内容の詳細は『PHYSIOLOGY』にて発表されました。
目次
- 生と死を超えた「第三の状態」
- 生と死と第3の状態が循環する物語
- 第3の状態になる仕組み
生と死を超えた「第三の状態」
上の動画では、試験管の中を泳ぎ回る奇妙な存在が映されています。
顕微鏡を使ってさらに拡大すると、この存在がアメーバのような単細胞生物ではなく、多数の細胞から構成されていることがわかります。
この生物はいったい何でしょうか?
一見すると、どこかの池や沼から取ってきた微生物のように思えます。
現在、未知の生命の正体を調べるときには、遺伝子解析が主流となっています。
しかし、この存在のゲノムは既に判明しています。
それはホモ・サピエンスです。
この奇妙な存在のゲノムは100%人間で、遺伝子編集などは全く行われていません。
通常ならば、ホモサピエンスのゲノムが何を作るかは、言うまでもないでしょう。
多少の個人差はあっても、這いまわる小型の多細胞生物などでは「断じて」ないはずです。
しかし近年の研究では、生と死を超えた第3の状態に突入することで、ホモサピエンスのゲノムを持つ生物を、新たな多細胞生物へと変化させることが可能であることがわかってきました。
死のラインの曖昧さが加速している
生命システムにおいて、全体的な機能の喪失、つまり死が起きた後に何が起こるかは依然として多くが謎に包まれています。
生物が死ぬと体内のネットワークが機能しなくなり、時間をかけて徐々に全体の細胞が死んでいきます。
しかし体を構成する細胞の生存能力には差があり、全体としての「死」が起きた後も一部の細胞は長期に渡り生命活動を続けることが可能です。
たとえば人間の一部の脳細胞は、酸素なしで最大4時間以上生存できることが明らかにされています。
一般的な理解では酸素の供給が途絶して5分以上が経過すると蘇生できる可能性が急速に低下し、10分を過ぎるとほぼ絶望的と見なされます。
しかし蘇生が絶望的となり脳波が平たん化した後でも、実際には脳の中には生命活動を続ける脳細胞が少数ながら存在しているのです。
また臓器移植などの場合、ドナーの死亡後に「生きた臓器」が摘出され移植されますが、これも全体としての死と細胞や臓器の死のタイムラグによる結果となっています。
一般に考えられているような「死の瞬間」というものは、細胞レベルでは存在しないのです。
一方近年の研究では、生き残った個々の細胞たちを長期培養することで何が起こるかを調べる試みが、盛んに行われるようになりました。
生物としての死を迎えた体から取り出した生命の「燃えがら」に、どんな奇跡が起きたのでしょうか?
生と死を超え新たな多細胞生物になる
生命の「燃えがら」にどんな可能性が残されているのか?
謎を解明するため研究者たちは、生物を分解して取り出した細胞に対して、栄養、酸素、電気、化学物質の提供を行いました。
すると、取り出された細胞たちに、生でも死でもない第3の状態を引き起こせることがわかってきました。
たとえばカエルの胚を破壊し(この時点では細胞は生きているものの、元の生物は死んでいると言えます)皮膚細胞を分離して培養する研究では、皮膚細胞たちは時間が経過すると培養液という新たな環境に適応し「ゼノボット」と呼ばれる多細胞生物に自発的に変化することが判明しました。
さらにこのゼノボットは表面に繊毛をはやし、自由に泳ぎ始めます。
生きたカエルの胚では繊毛は通常粘液を流動させるために用いられますが、ゼノボットはその機能を遊泳能力へと転用したのです。
さらにゼノボットは独特の螺旋運動を繰り返すことで、まだバラバラの状態にある周りの単細胞たちの「まとめ上げ」を促進し、まとめ上げられた新たな塊もまた、ゼノボットに変化して泳ぎ始めることが判明しました。
このようなゼノボットの動きは新たな子孫を力技でこね上げることから、ある種の自己複製動作であると解釈されています。
神話の創造神が土をこねて人を作ったように、ゼノボットは細胞をこねて塊にすることで、新たなゼノボットを生み出したのです。
ゼノボットは高次の実体が死んでも、その細胞がまだ生きている場合に何が起こるかを調べるための貴重な材料と言えるでしょう
研究者たちはまた、人間の細胞でも同様の現象を確認しました。
人間の肺から切り取った細胞を培養するとゼノボットのように自己組織化を起こし、冒頭で紹介したように、動き回る小型の多細胞生物になることが発見されたのです。
研究者たちはこの新たな多細胞生物を「アンソロボット」と名付けました。
アンソロボットは100%人間と同じゲノムを持ちながら、脊椎動物ではなく粘菌のような形状をとります。
またアンソロボットは傷つけられたときには、自身の体を修復する自己修復機能も備え、さらに損傷したニューロン細胞をみつけると修復するという奇妙な性質がありました。
ゼノボットやアンソロボットの存在は、生命にはデフォルトの進化の終点とは異なる、全く新しい形状や機能の獲得が可能であることを示しています。
生物としての死や体の解体が起きても、新たな多細胞生命として存在できるという結果は、既存の生死の概念を揺るがす結果と言えるでしょう。
研究者たちはこのような状態を生でも死でもない第3の「何か新しいものへの変化」であると述べています。
これまでの研究によって、がん患者などから摘出された腫瘍細胞を何十年にもわたり培養したり、幹細胞から人工培養臓器「オルガノイド」を作ることに成功しています。
しかし、それらの細胞は、元々の生命が生きていた頃と機能を引き継ぐ形で存在しており、ゼノボットやアンソとボットのように、新たな機能を獲得しておらず、第3の状態とは言えないでしょう。
次のページでは、この概念を使った、論文著者による興味深い物語を紹介します。
生と死と第3の状態が循環する物語
論文の著者の1人であるマイケル・レビン氏は、生と死そして第3の状態が存在することについて、一般の人々の興味を惹くための、ある1つの物語を構築しました。
物語は宇宙探査に出かけた科学者が、生命の住む水の惑星を調査する場面から始まります。
科学者が調査を行うと、惑星には多細胞生物やアメーバ、脊椎動物のような生物が存在することが判明します。
しかしそれらの遺伝子を調べると、一部の単細胞生物は脊椎動物と同じゲノムを持っていることが判明します。
地球においてそのような単細胞は精子や卵子しか存在しませんが、この惑星では独立して生活している単細胞生物として存在していたのです。
科学者はその事実に驚きました。
どうしてそんなことが起こるのでしょうか?
さらに研究を進めると、驚くべきライフサイクルを持つサンショウウオのような水生の脊椎動物を発見します。
この動物は卵からかえると地球のサンショウウオのように成長し、交尾を行って新たな卵を産み一生を全うします。
しかし、死ぬと驚くべきことが起こりました。
体が崩壊するにつれて、多くの個々の細胞が解散し、分散して環境に出て、アメーバとしての生活を続けます。
これらのアメーバは、最終的には互いに融合し(粘菌のように、遭遇した他のアメーバと再結合して)、新しい種類の原始的な多細胞集合体を形成することもわかっています。
同時に、他のアメーバは再プログラム化因子を活性化して卵母細胞や精子になり、最終的に受精して卵を作りこともできました。
死んだ動物の体から単細胞生物が剥がれ落ちて、それらが新たな多細胞生物になったり、精子や卵子になって卵になるという考えは非常に面白くあります。
しかしレビン氏は、現実のゼノボットやアンソロボットの例を考えると、このような「第3の状態が存在する生態系」は理論上可能だと述べています。
実際、私たち地球の脊椎動物の体の中にもアメーバとそっくりの形をした免疫細胞が含まれています。
第3の状態になる仕組み
生物が死んだり分解された場合、なぜ一部の細胞は第3の状態に移行できる一方、そうでない細胞も存在するのか?
研究者たちは、環境や細胞の活性状態などいくつかの要因があると述べています。
たとえば人間の白血球は死後60~86時間で死滅します。
マウスの骨格筋細胞は死後14日程度、羊や山羊の線維芽細胞は死後1カ月程度まで培養可能です。
これらの差は、細胞が必要とするエネルギー量に依存すると考えられています。
活発で大量のエネルギーを必要とする細胞ほど寿命が短く、培養も困難になります。
また死後に働く遺伝子も重要な要因となります。
生物が死んだ場合、残された細胞ではストレス関連遺伝子や免疫関連遺伝子の活動が大幅に増加します。
体の恒常性が失われたことに対して、細胞はなんとか生き残ろうと抵抗するのです。
この過程で、一部の細胞には第3の状態に移行する能力が解除されると考えられます。
またゼノボットやアンソロボットにおいて多細胞化が起こる仕組みについては、細胞表面に存在する特殊なイオンの通路が複雑な電気回路として機能するとの説も提唱されています。
この電気回路の働きにより、細胞が高いに通信し、多細胞化や運動能力など生きていたころにはなかった新機能を獲得すると考えられます。
研究者たちは、生と死を超えた第3の状態の理解が進み制御ができるようになれば、アンソロボットのような100%人間の遺伝子によって作られた生体ロボットを開発できると述べています。
第3の状態は今後の生物学において、新たなフロンティアになるでしょう。
参考文献
Biobots arise from the cells of dead organisms − pushing the boundaries of life, death and medicine
https://theconversation.com/biobots-arise-from-the-cells-of-dead-organisms-pushing-the-boundaries-of-life-death-and-medicine-238176
Forms of life, forms of mind
https://thoughtforms.life/meet-the-anthrobots-a-new-living-entity-with-much-to-teach-us/
元論文
Unraveling the Enigma of Organismal Death: Insights, Implications, and Unexplored Frontiers
https://doi.org/10.1152/physiol.00004.2024
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部