最近ではサブスクを利用して海外ドラマのイッキ見が気軽に出来るようになりました。
そんなとき、登場人物の一部に見覚えがなくて「こいつ誰だっけ?」とストーリーを追うのが難しくなった経験は多かれ少なかれ誰にでもあるでしょう。
ドラマでははっきり覚えておけるキャラクターも多い中、なぜだか2回目以降の登場でも全然覚えていないキャラクターというものがいます。こんなとき気になるのが、私たちはどういった情報を手がかりに人の顔を覚えているのかということです。
英ヨーク大学(University of York)は今回、米HBOの大人気テレビドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』を研究材料に用いて、参加者が親しみのある登場人物を見た際、顔の認識にどのような脳領域が働いているかを詳しく調査しました。
その結果、「顔」が誰であるか認識する際には、視覚領域と「その顔の持ち主がどんな地位にあり何をしたのか、その人物に自分はどんな感情を抱いたか」を処理する非視覚領域の結合の強化が重要であることが示されたという。
この知見は、人の顔を認識できなくなる相貌失認という病気の理解においても、非常に役に立つと期待されます。
研究の詳細は2024年7月23日付で科学雑誌『Cerebral Cortex』に掲載されました。
目次
- 「人の顔を覚えている」とはどういうことか?
- 相貌失認は親しみを感じる機能が弱っていた
「人の顔を覚えている」とはどういうことか?
私たちはよく会う人の顔を見たとき、自然と親しみの感情を覚えます。
では、この親しみの正体とはなんなのでしょうか?
通常こうした問題を調べる研究では、2Dの静止画写真が用いられます。しかし、今回の研究チームはより自然な状況で、顔を見るという視覚処理と、親しみを感じるという脳機能を確認するために、人気ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」を用いることを考えました。
このドラマには熱心なファンも多く、繰り返し見ているという人も簡単に見つけられます。
なにより本作を選んだ理由について、研究者は「強い個性を持つキャラクターたちがたくさんいるからだ」と話しています。
研究で集められた参加者も、半数が繰り返しこのドラマをよく視聴する人たちでした。
そこで、チームは参加者にドラマを視聴してもらいながら、そのときの脳の反応をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて測定していったのです。
するとドラマをよく見る人達は、馴染み深いキャラクターが登場した際、視覚領域と非視覚領域(意味的情報、エピソード記憶、感情処理に関与する領域)の間での機能的結合が強化されることが観察されました
つまり、顔を見てそれが誰だか認識する際に、私たちは顔という視覚情報だけを頼りにしているわけではなく、その人物を見た際の過去のエピソードや、その際どんな感情を抱いたか、その人物の社会的な立場、という複雑な情報処理を行っていて、両者の情報の結びつきを改めて強化させていたのです。
この結合が活性化すると、私たちはその人物に親しみという感情を感じるようです。
一方で、このドラマをあまり見たことがない人たちは、情報同士の結合があまり強化されませんでした。これはその登場人物にあまり親しみを感じないと同時に、誰であるのかの認識も困難にさせている可能性があります。
これまで顔の認識や親しみの感情は、主に顔という視覚的な情報の処理であると考えられていました。しかし、今回の結果は、それが非視覚領域のかなり複雑な処理も関連しており、両者の結合の強化が大きく関与していると示されました。
そこで、次の研究チームは、この実験を相貌失認症の患者に対しても行い、その結果を比較してみることにしました。
相貌失認(または失顔症)は人口の約2%に見られる脳疾患のひとつです。
症状には軽いものから重いものまで個人差が見られますが、一般的に「人の顔が覚えられない」「知っている人の顔を見ても誰かわからない」といった症状が起こります。
発症の理由は様々で、生まれつき持つ先天性の場合もありますが、外傷や脳血管障害など後天的な理由で発症することもあります。
普通であれば、知っている人の顔をチラッと見るだけで、それが友人だったり家族であることがわかります。
しかし相貌失認であると、知人も赤の他人も含めて、すべての人の顔が同じように見えてしまい、それが誰なのかよくわからなくなるのです。
具体的なシチュエーションを挙げれば、
・以前会ったことのある人の顔を忘れてしまって、挨拶されてもよくわからない
・待ち合わせの場所に行っても、知人を見つけるのが難しい
・ドラマや映画を見ていると登場キャラの見分けがつかず、人物関係やストーリーが追いづらい
・学校や職場でよく会う人でも、プライベートに街中で遭遇すると他人に見える
相貌失認にはこのような症状がありますが、その脳メカニズムはまだ詳しくわかっていません。
研究チームは今回の実験を通じて、私たちが人の顔を認識する際にどのような脳機能を使っているかに加え、相貌失認が起こる仕組みも解明しようと考えたのです。
では実験の結果を見てみましょう。
相貌失認は親しみを感じる機能が弱っていた
実験では、73名の被験者(健康な被験者45名、相貌失認を持つ被験者28名)を対象に『ゲーム・オブ・スローンズ』の映像を見てもらい、その最中の脳活動を記録しました。
この条件下で被験者は次の4タイプに分類されています。
・『ゲーム・オブ・スローンズ』を定期的に見ている健康な被験者
・『ゲーム・オブ・スローンズ』を見たことがない健康な被験者
・『ゲーム・オブ・スローンズ』を定期的に見ている相貌失認の被験者
・『ゲーム・オブ・スローンズ』を見たことがない相貌失認の被験者
健康な被験者の結果については、前述した通りです。
『ゲーム・オブ・スローンズ』を定期的に見ている健康な被験者は、キャラクターの顔を認識する際、顔の各パーツや形を認識するのに必要な「視覚領域」と同時に、そのキャラクターがどんな人物なのか、何をして自分はどんな印象を抱いているのかを把握するのに必要な「非視覚領域」も強く働いているとわかったのです。
特に、ドラマをよく見ている人たちは、馴染みのある主要キャラの顔を認識する際、これら視覚領域と非視覚領域の間の神経接続が増加していました。
一方で、『ゲーム・オブ・スローンズ』を見たことがない健康な被験者では、視覚領域こそ活性化しているものの、ドラマを見たことがないためか、非視覚領域の活動は減少しています。
そして相貌失認を持つ被験者の脳活動データを調べたところ、『ゲーム・オブ・スローンズ』を定期的に見ている人でも、視覚領域と非視覚領域の連携が取れておらず、両者を結合させる活動が低レベルに留まっていたのです。
顔認識に関するこれまでの研究では、顔の特徴や形状、質感などの視覚的な特性を認識する脳領域のみが重視されてきました。
しかし今回の結果を受けて、研究主任のティム・アンドリュー(Tim Andrews)氏は「顔の形を認識する視覚領域だけでなく、顔をその人の個性や知識と結びつける脳領域の働きも大切であることが示唆されました」と話します。
つまり、相貌失認では記憶ができないとか、視覚的に顔の特徴を認識できないという問題が起きているのではなく、顔という視覚的な情報と、その情報に対する個人的な記憶や感情、エピソードなどの情報を結びつける機能に問題が生じているということなのです。
これは、顔認識に関する基本的な機能を調べた研究であるため、相貌失認までは行かずとも、人の顔を上手く覚えられない、顔と名前が上手く一致しないという人たちに起きている問題も同様の可能性があります。
ですから、登場人物の多いドラマや映画を見ていて「この人誰だっけ?」と思いやすい人は、視覚領域と非視覚領域を結合させる脳の働きが少し弱まっているのかもしれません。
アンドリュー氏は続けて、「顔の認識は日常生活や社会交流に不可欠であり、これに苦しんでいる人は人間関係に支障をきたし、社会不安やメンタルヘルスの不調を起こすリスクが高い」と指摘しました。
この新たな知見は、顔認識が脳のどんな神経メカニズムを使っているかを明らかにすることで、顔認識で苦労している人や、相貌失認のような症状の診断や治療の改善に役立つと期待されます。
参考文献
Study uses Game of Thrones to advance understanding of face blindness
https://www.york.ac.uk/news-and-events/news/2024/research/game-of-thrones-face-blindness/
‘Game of Thrones’ Study Offers Insights Into a Little-Understood Brain Disorder
https://www.everydayhealth.com/neurology/game-of-thrones-study-offers-insights-into-brain-disorder/
元論文
Familiarity enhances functional connectivity between visual and nonvisual regions of the brain during natural viewing
https://doi.org/10.1093/cercor/bhae285
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部