ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』では、青年ウェルテルが婚約者のいる女性シャルロッテに叶わぬ恋をし、絶望して自死するまでを描いていました。
これは単なるフィクションに留まらず、その後、ウェルテルを真似て本当に自死する若者が相次ぐ社会現象まで巻き起こしたのです。
それほど”失恋の痛み”というものは私たちを心理的に追い込むことがあります。
しかし今回、イラン・ザンジャーン大学(University of Zanjan)、独ビーレフェルト大学(Bielefeld University)の研究により、脳に電気刺激を与えることで失恋による苦痛やトラウマを緩和できることが新たに判明しました。
研究の詳細は2024年5月11日付で心理学雑誌『Journal of Psychiatric Research』に掲載されています。
目次
- 失恋による「トラウマ症候群」とは?
- 脳への電気刺激で「失恋の痛み」が緩和!
失恋による「トラウマ症候群」とは?
愛情は私たちが経験できる最も強い感情の一つです。
特に恋愛関係では、相手を強く想えば想うほど、感情の炎が大きく燃え上がることは多くの人が実感していることでしょう。
しかし一方で、恋愛関係がひとたび破綻すると、その反動が驚くほど大きいこともご存じのはずです。
何をするにしても別れた相手のことばかり考えてしまい、集中力がなくなって、気分がひどく落ち込んでしまいます。
ときには感情的に不安定になって、怒りっぽくなったり、突然泣いてしまうこともあります。
こうした”失恋の痛み”はほとんどの場合、時間が解決してくれたり、新たな出会いによって徐々に活力を取り戻していくため、特別な治療は必要ありません。
ところが”失恋の痛み”が深刻化すると、心身の健康に支障をきたすほどの症状を引き起こすことがあるのです。
この疾患は1999年の研究で「恋愛トラウマ症候群(love trauma syndrome:LTS)」と命名されています。
恋愛トラウマ症候群(以下、LTSと表記)を発症した患者は精神的苦痛により、不安症や不眠症、うつ症状、気分の浮き沈み、強迫観念、無気力感、罪悪感、自死リスクの増加などを招くことが知られています。
ここまで来ると、失恋の痛みも特別な心理療法が必要になります。
恋愛関係の破綻後はネガティブな感情が支配的となり、自分の感情をすることコントロールが難しくなるため、ここでの主な治療アプローチは「感情調節の改善」です。
現在でも認知行動療法のような効果的な治療方法は存在していますが、これらの治療はすべての患者に効果があるわけではありません。
だからこそ、革新的な治療方法の開発は常に必要とされているのです。
そこで研究チームは、LTSを緩和するための新たな治療法を模索しました。
チームがここで使った方法は「脳への電気刺激」です。
脳への電気刺激で「失恋の痛み」が緩和!
脳の電気刺激とは、頭部を外科手術によって切開することなく、外側から特定の脳領域をピンポイントで刺激する方法です。
この方法は脳疾患の診断や治療において普通に行われており、最近ではうつ病や運動機能障害のリハビリ治療にも応用されています。
チームは今回、恋愛トラウマ症候群(LTS)を持つ36名の成人男女を被験者にヘッドセットを装着してもらい、軽度の電気刺激を与える治療実験を行いました。
チームが治療のターゲットとしたのは「背外側前頭前野(DLPFC)」と「前頭前皮質腹外側部(vl-PFC)」の2つです。
これらの脳領域はどちらも感情調節の機能に関与しており、過去の研究では、大切な人との別れの経験に(この2つの脳領域が属する)前頭前野が深く関連していることが示されています。
実験では、被験者を次の3つのグループにランダムに振り分けました。
・背外側前頭前野(DLPFC)に電気刺激を与えるグループ
・前頭前皮質腹外側部(vl-PFC)に電気刺激を与えるグループ
・ヘッドセットは装着するが電気刺激は与えないグループ
この条件下で1日2回、各20分間の実験を計5日間つづけています。
その結果、いずれかの脳領域に電気刺激を受けたグループは、電気刺激をまったく受けなかったグループに比べて、LTS症状が有意に減少し、うつ傾向や不安症が改善したことが確かめられました。
特に今回の実験では、前頭前皮質腹外側部(vl-PFC)よりも背外側前頭前野(DLPFC)への電気刺激の方が治療効果が高かったとのことです。
(ただし、この有意差を断定するにはもっと多くの被験者が必要になります)
しかしながら、この結果は軽度の電気刺激が感情調節の機能を改善することで、”失恋の痛み”が緩和できることを示した貴重な成果です。
さらにチームは、実験終了から1カ月が経過しても電気刺激の治療効果が継続していることを発見できました。
これは頻繁な通院が必要なく、その分だけ治療コストも抑えられることを意味します。
研究者らは「従来の心理療法はすべての患者に効果があるわけではないので、こうした革新的な治療法の確立は大いに役立つ」と話しました。
電気刺激による失恋治療が実際の臨床現場に普及するにはまだ多くの課題がありますが、深刻な失恋の苦痛を和らげる手助けとなるでしょう。
ウェルテルに続いた若者たちもこの治療法を知っていれば、命を落とすまでには至らなかったのかもしれません…
参考文献
Electrical brain stimulation can ease heartbreak, study finds
https://www.theguardian.com/science/article/2024/jun/16/electrical-brain-stimulation-tdcs-ease-heartbreak-love-trauma-syndrome
元論文
Targeting the left DLPFC and right VLPFC in unmarried romantic relationship breakup (love trauma syndrome) with intensified electrical stimulation: A randomized, single-blind, parallel-group, sham-controlled study
https://doi.org/10.1016/j.jpsychires.2024.05.020
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部