うつ傾向にある人は「空想癖」によって生きがいを実感できるようです。
私たちは誰でも、現実世界で成功していたり、異世界で大冒険している自分の姿を自由に空想することができます。
こうした日常生活において空想や想像に深く入り込むことを専門用語で「空想傾性(Fantasy Proneness)」といいます。
米テキサスA&M大学(TAMU)はこのほど、うつ症状のある人が空想傾性を持つと、人生における「生きがい」の感覚が得られることを発見しました。
これは健康な人が空想癖を持っても見られなかったとのことです。
研究の詳細は2024年2月27日付で心理学雑誌『Journal of Positive Psychology』に掲載されています。
目次
- 空想で「異世界転生」すると生きがいが得られる?
- うつ症状の強い人ほど「空想」に生きがいを感じていた!
空想で「異世界転生」すると生きがいが得られる?
生きがいとは、生きることの喜びや張り合い、幸せを感じるものを意味する言葉で、人生を豊かに過ごす上で欠かせないものです。
趣味や仕事、友情、恋人、家族など、誰しも生きがいを感じるものが一つはあるでしょう。
しかしうつ症状があるとき、人はこうした生きがいを見出すのが難しくなっています。
うつ病は気分のひどい落ち込みや意欲の低下が慢性的に続く精神疾患であるため、現実世界における出来事や経験から「人生の意味」を引き出す能力が著しく制限されるのです。
では、うつ症状があるとき、人はどこからも生きがいを見出せないのでしょうか?
研究者たちはこの問題に対して、逆転の発想があるかもしれないと考えています。
現実世界に対して魅力や生きがいを見いだせないとき、人の精神は空想や想像の世界において強い生きがいを感じられるかもしれないというのです。
というのも現実世界に意味を見出すプロセスでは、実際の私生活や仕事の状況、周囲の人間関係などに束縛されてしまいますが、空想の世界には何の足枷もありません。
自由なイマジネーションによって、現実世界で成功している自分の姿を想像することも、あるいは全くの異世界に転生して、勇敢な冒険やロマンティックな恋、ハッピーな体験をしている自分を空想することだってできます。
研究主任のジョセフ・マフリー=キップ(Joseph Maffly-Kipp)氏は「うつ症状のある人は現実世界に意味を見出すのに苦しんでいますが、私は最近、この困難さが逆に普通とは違った方法で生きがいを見出すのにつながるのではないかと考えました」と話します。
そこでキップ氏ら研究チームは、精神的な空想の世界に入り込むことがうつ症状の人にとってどんなプラスの効果があるかを調べてみました。
うつ症状の強い人ほど「空想」に生きがいを感じていた!
チームはこの仮説を検証すべく、アマゾン社のウェブサービスであるメカニカル・ターク(MTurk)を通じて募集された386名の参加者(18〜72歳、性別・人種の背景は多様)に対して、「うつ傾向」と「空想癖の傾向」を調査し、それが「人生の生きがい」をどの程度感じるかという自己評価との関連を調べました。
すると、うつ症状のレベルが高く、空想癖の傾向を持つ人ほど、人生に生きがいを感じる度合いが大きいと判明したのです。
ここで言う空想癖の傾向が強いとは、現実世界とは異なる、想像の世界を生き生きと思い描くことができ、 現実の問題や状況から離れて、想像の世界に没頭しやすい傾向を指します。
また心理学的には物語を創造したり、非現実的なシナリオを詳細に思い描く能力が高いことも指しています。
つまり、うつ傾向が強くても空想することが好きで現実から離れた想像の世界に没頭できる人は、うつ傾向は低いが空想しない人と比べて、人生に意味を感じる傾向が有意に強いことがわかったのです。
キップ氏は「私たちは生き生きとした空想にふける傾向が、生きがいの実感と結びついている証拠を発見しましたが、これはうつ症状のレベルが高い人にしか当てはまりませんでした」と話します。
これに関するキップ氏の見解は次のとおりです。
健康な人あるいはうつ症状の低い人には、私生活や仕事、人間関係を含む現実世界において人生に意味を見出す能力が十分に残されています。
これに対し、うつ症状の強い人は現実世界に意味を見出すことが難しいため、現実に束縛されない空想の世界に人生の意味を見出しやすくなっているというのです。
「空想の世界は現実の状況に制限されることなく、自分を好きなようにコントロールできるため、うつ症状のネガティブ感情から解放されやすいのでしょう」とキップ氏は話します。
以上の結果から、うつ傾向の強い人は空想によってメンタルヘルスにプラスの効果が得られる可能性が示されました。
しかし一方で、キップ氏らは「空想は一時的な救済を与えてくれるかもしれませんが、うつ病の根本的な解決策にはならないことに注意すべき」と指摘します。
空想の世界にふけることは結局、現実の問題から遠ざかることを意味し、生活の質や人間関係の悪化を招き、うつ症状をより深刻化させる可能性があるというのです。
「うつ病の人にとって空想にふけることは短期的には意味があるかもしれませんが、それはまた彼らが現実の世界と交流したり、心理療法に取り組むのを妨げるかもしれない」とキップ氏は危惧しているのです。
ただ、この研究が示す傾向は、小説投稿サイトにおいてニートや社畜のような人が、異世界に転生して成功するというストーリーが創作者側に人気が高い傾向を説明しているかもしれません。
もし自分のままならない現実から、ファンタジーの世界へ脱出する物語を空想し、それを作品にすることで生きがいを感じながら、世間からも評価されることになれば、うつ傾向の強い人にとってこれほど好ましい状況はないでしょう。
今回の研究は、空想癖がうつ症状に短期的でもプラスの作用をもたらすことを示唆した貴重な成果です。
どうしても現実との折り合いがつかず、気分がどんどん落ち込んでしまうときは、一度空想の世界に逃げて見るのは有効な手段かもしれません。ただ長期的な解決にならないことは肝に銘じておきましょう。
参考文献
Fantasy proneness linked to greater sense of meaning in depressed individuals
https://www.psypost.org/fantasy-proneness-linked-to-greater-sense-of-meaning-in-depressed-individuals/#google_vignette
元論文
Meaning through fantasy? Fantasy proneness positively predicts meaning for people high in depression
https://doi.org/10.1080/17439760.2024.2322447
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。