20世紀になっても長いあいだ、一部の学者たちは「動物は人間のように“言葉”を使った洗練されたコミュニケーション手段をもたない。そのため、動物のコミュニケーションはひどく粗末なものである」と考えてきました。
しかし近年の研究では、動物たちが洗練されたコミュニケーション手段をいくつも持っていることが次々と明らかになっているのです。
今回、海洋生物学者やコンピューター科学者、言語学者から構成される国際チーム“プロジェクトCETI(Project CETI)”は、クジラのアルファベットを発見したと報告しました。
動物たちがきちんと言語のようなルールに従ってコミュニケーションを取っているのだとしたら、いつかそのルールが解明されて、誰もがドリトル先生になれる時代がやってくるのでしょうか?
本研究成果は2024年4月7日に科学誌「Nature Communications」に掲載されました。
目次
- 「ドリトル先生」が訴える動物の言葉に耳を傾ける大切さ
- クジラのアルファベットを発見
- いつか人とクジラは話せるようになるのか?
「ドリトル先生」が訴える動物の言葉に耳を傾ける大切さ
「動物とおしゃべりしたい!」このような願いを誰しも一度は抱いたことがあるでしょう。
そのような願いとは裏腹に、一部の学者たちは「動物は人間のように“言葉”を使った洗練されたコミュニケーション手段をもたない。そのため、動物のコミュニケーションはひどく粗末なものである」と考えてきました。
このような動物に対する態度はなにをもたらすのでしょうか?
そのことを教えてくれるのが、動物と話せるお医者さんの活躍を描いた『ドリトル先生シリーズ』の生みの親である英国の作家、ヒュー・ロフティングの体験です。
ロフティングは第一次世界大戦中にて、「ケガをした兵士は手当てを受けているのに、ケガをしたウマは銃ですぐに撃ち殺されてしまう」状況を目の当たりにし、この人と動物のあつかいの違いにひどく心を痛めました。
おそらく、ロフティングは「動物にも言いたいことがたくさんある。もしも、動物の言葉がわかったならば…」と強く思ったに違いありません。
その後、ロフティングはドリトル先生のお話を通じて、先入観にとらわれず、動物たちの知性や人生にもっと目を向ける必要があることを世間に訴えました。
「動物の言葉がわかったならば…」という思いは時代を超え、現在は動物のコミュニケーションに関する研究が世界中で行われています。
カリブ海では、大型のクジラのコミュニケーション・システムの解明を目指す“プロジェクトCETI(Project CETI)”という大規模な研究が展開されています。
このプロジェクト名の“CETI”という言葉は、地球外知的生命体探索プロジェクトである“SETI (Search for Extra Terestrial Intelligence)”が元ネタで、これをオマージュして英語でイルカ・クジラを指す言葉“セタシアン Cetacian”を加えて命名されています。
研究チームは、マッコウクジラというメスは最大13m、オスは最大18mにもなる大型のクジラのコミュニケーション・システムの解明に挑戦しています。
マッコウクジラは“クリックス”と呼ばれる「カチッ、カチッ」という非常に短い音を使って仲間とコミュニケーションをとります (下のYoutube映像からクリックスを聴くことができます)。
このクリックスの間隔には決まったパターンがあり、あるパターンで発せられるクリックスをまとめて“コーダ”と呼びます。例えば「カチッ、カチッ、カチッ」というパターンもあれば、「カチッ、カチッ、カチッ……カチッ」のようなパターンもあり、このそれぞれがコーダにあたります。
今回、研究チームは2005年から2018年にかけて収集されたマッコウクジラの音声データを解析しました。
クジラのアルファベットを発見
研究チームはまず、マッコウクジラの鳴音に関する新しい構造的特徴を2つ明らかにしました。その1つは、“装飾 Ornamentation”と新たに名付けられたものです。
従来、あるタイプのコーダは決まった数のクリックスで構成されると考えられていましたが、研究チームは新たに、それぞれのコーダには4%の確率で余分なクリックスが付与されることを発見しました。
※「それってもはや違うタイプのコーダなんじゃないの?」と思う人もいるかもしれません。論文中でもこの問題について言及されており、統計的に分析すると装飾のあるコーダとないコーダを、それぞれ別のコーダと考えるよりも、同じタイプのコーダに追加の音がついたと考える方が妥当であると結論されています。
もう1つの発見は、“ルバート Rubato” と名付けられたものです。
これは、クジラが同じタイプのコーダを連続して発するとき、それぞれのコーダの持続時間を徐々に遅くしたり早くしたりすることを指しています。(西洋音楽にルバートという演奏方法があり、それに似ていることが由来)
ここで重要なことは、装飾もルバートもランダムに発生するわけではなく、特定の状況においてよく観測されるという点です。
例えば、装飾は一連のコミュニケーションの最初と最後など、特定の瞬間に発生する傾向にありました。
また、あるクジラのルバートにあわせて、別のクジラも自分のコーダの長さを調整することが確認されました。
これらは、装飾やルバートが、特定の状況に応じた意味を持っていることを示唆します。
研究チームはさらに、コーダの”テンポ”と”リズム”を機械的に分類しました。
ここでいうテンポは、ある1つのコーダの持続時間を示します。
同じコーダでも、1秒で終わるものもあれば、1.5秒で終わるものもあります。
統計的な処理の結果、コーダの持続時間を5つのグループにわけることが最も妥当であることがわかりました。
一方、リズムはクリックスの時間間隔の型を表すものです。
統計的処理の結果、リズムを18種類にわけることが最も妥当であることがわかりました。
これらの結果をふまえて研究チームは、装飾、ルバート、テンポ、リズムの4つの要素を組みわせることで、マッコウクジラのアルファベットともいえる表音体系を示しました。
まず、テンポ(5通り)とリズム(18通り)のマトリックスを作成することで、90通りの組み合わせがあることを示しました。
つぎに、それぞれの発音の組み合わせに装飾やルバートの発生頻度を上乗せしていきました。このようにしてマッコウクジラの鳴音のアルファベットともいえる全体像を示しました。
現在、この全ての組み合わせを、野外で実際に確認することはできていません。しかし、この全体像の完成によって、これまで考えられていたよりもずっと多様な音声レパートリーをマッコウクジラが有する可能性が浮上してきました。
音声レパートリーが豊かであることは、それだけ情報を伝える手段を多く持っていることを示唆しています。
いつか人とクジラは話せるようになるのか?
今回の発見について、プロジェクトCETIの責任者であるグルーバ―氏(David Gruber)は、「氷山の一角をみただけにすぎない」と述べています。
マッコウクジラのアルファベットと呼べるものが発見されたことは、彼らがより多様な情報を伝えられることを示唆しますが、「本当に組み合わせの一つ一つに意味があるのか?」、もし意味があるのならば「実際になにを伝えあっているのか?」についてはまだ全くわかっていません。
ただし、グルーバ―氏(David Gruber)は続けて「マッコウクジラがこのような組み合わせの基礎を持っているという事実は、すでに非常に興味深いことなのです」とも述べています。
まだまだ、私たちがヒト以外の動物とおしゃべりできるようになる日は遠いのかもしれません。もしかしたら、おしゃべりできるようになる日など、一生こないのかもしれません。
しかし、過去から現在まで、私たちは動物と話すことを夢見てきました。そして、その夢を叶えようと研究者たちは挑戦を続けています。
動物の多様なコミュニケーションにもっと注意深く目を向けてみたら、動物たちも人間と同じぐらい洗練されたコミュニケーション手段をもっていることに気がつくかもしれません。
知的探求心をもって動物たちの言葉を解明していけば、いつか人間が動物たちと語り合える日も来るかもしれません。
参考文献
Project CETI
https://www.projectceti.org/
Could a newly discovered sperm whale ‘alphabet’ be deciphered by humans?
https://www.science.org/content/article/could-newly-discovered-sperm-whale-alphabet-be-deciphered-humans
元論文
Contextual and combinatorial structure in sperm whale vocalisations
https://doi.org/10.1038/s41467-024-47221-8
ライター
近本 賢司: 動物行動学,動物生態学の研究をしている博士学生です.動物たちの不思議な行動や生態をわかりやすくお伝えします.
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。