水族館の人気者、イルカ。
あの愛くるしい振る舞いをみると「なんだか笑っているようだ」などと思ってしまいます。
そのため、「イルカは“表情”豊かな動物だ」と思っている人は多いのではないでしょうか。
しかし多くの科学者は、視界を確保しづらい水中で暮らすイルカは表情筋が発達していないと、イルカの表情については否定的でした。
今回、アメリカのロードアイランド大学(University of Rhode Island)のリチャード氏を中心とするチームは、シロイルカ(ベルーガ)が表情をつかってコミュニケーションしていることを示唆し、これまでの科学者の常識を覆す論文を報告しました。
本研究は2024年3月2日に科学雑誌「Animal Cognition」に掲載されました。
目次
- イルカは表情が豊か vs. イルカは表情が豊かでない
- 表情よるコミュニケーションはシロイルカだけの特別な能力なのか?
イルカは表情が豊か vs. イルカは表情が豊かでない
愛くるしく振る舞うイルカをみていると「なんだか笑っているようだ」などと思ったことはないでしょうか。
このようなポジティブなイルカに対するイメージは、「イルカは“表情”豊かな動物だ」という印象を私たちに抱かせます。
さて、「イルカは“表情”豊かな動物だ」という考え方に対して科学者はどのような意見を持っているのでしょうか?
その答えは否定的なもので「イルカは表情筋が発達していないため、表情を作る能力に乏しい動物である」、「水中環境では視界が制限されるため、視覚を使ったコミュニケーション手段である表情は発達しにくい」という、私たちのイメージとは正反対です。
つまり、研究者は「イルカは“表情”豊かな動物ではない」ということを主張しています。
実は、私たちが抱くイルカに対するイメージと、科学者が抱くイルカに対するイメージでは大きな違いがあるのです。
さて、イルカの表情を科学的に考えるために、まず生物学における「コミュニケーション」について整理しておきましょう。
生物学では、「発信者が声やにおいなど、なんらかの手段にて情報を発信し、その情報をうけた受信者の行動になんらかの変化が生じるならば、コミュニケーションが成立した」と考えます。
この説明のだいじなところは、「発信者は受信者に向けて情報を発信し」、「その結果として受信者の行動が変化する」ということです。
人間社会ではコミュニケーションと聞くと、社交的な会話をイメージしがちですが、生物学の考えるコミュニケーションは少しイメージが違うかもしれません。
例えば、嫌いな人が近くに来たので、顔を明らかにしかめて怪訝さを伝えた結果、嫌いな人が遠ざかっていったなどの一連の動作は、生物学ではコミュニケーションとして扱います。
生物学的なコミュニケーションを考えるうえでは、「情報が誰に向けられているか、受信者の行動が変化するかどうか」という視点が重要になることを覚えておいてください。
さて、今回、ロードアイランド大学のリチャード氏を中心とするチームは、水族館で飼育されているシロイルカ(ベルーガ)を徹底的に観察することで、イルカの表情という興味深い課題に取り組みました。
表情よるコミュニケーションはシロイルカだけの特別な能力なのか?
リチャード氏ら研究チームは、まず水族館で飼育されている4頭のシロイルカを観察することで、シロイルカの顔の動きを分類しました。
特に注目したのはシロイルカのおでこにあたる「メロン」とよばれる器官の動きです。
このメロンは、歯をもつイルカ・クジラであるハクジラ(ハンドウイルカやマッコウクジラなどです)が共通してもつ構造であり、周囲の環境を探知するための「クリックス」という音を増幅させる働きをもっています。
シロイルカはハクジラのなかでもメロンが特に発達した種類であり、顔の中でもこのメロンは比較的よく動く器官であることがわかっているため、リチャード氏たちはメロンに注目することにしました。
観察の結果、リチャード氏らは、メロンの形・動きを5種類に分類できることを発見しました。具体的には、メロンの形は平常時と比べて、1)平らになった、2)隆起した、3)押しつぶれた、4)前方に突き出た、5)波うつよう動く状態に分類できました。
次にリチャード氏らは、これらの5種類の表情(メロンの動き)が、他者と関わる社会的な文脈で生じているかどうかを検討しました。
その結果、表情の出現頻度は、他者と関わらない非社会的な状況と比べて(0.05回/1分)、他者と関わる社会的な状況(1.72回/1分)において、34倍も多く観察されることが明らかとなりました。
加えて、表情は、実際に社会交渉の相手となる個体の視界の内で生じていたことも明らかとなりました。
これらの結果は、表情が他の個体に向けて発信されていることを示唆しており、コミュニケーションの役割を担うことを示唆しています。
本研究結果は、イルカ・クジラを対象として、表情をつかったコミュニケーションが行われていることを示唆した初めての研究です。
リチャード氏らは、シロイルカにて表情をつかったコミュニケーションが発見されたのは、本種の一風変わった生態が関係していると考察しています。
シロイルカは他のイルカ・クジラとは異なり、交尾の刺激で排卵が起こる「交尾排卵」という繁殖の仕組みをもっています。
この仕組みの下では、メスのシロイルカは、最初に交尾したオスの仔を残すことになるため、質の高いオスを交尾前に見定める必要があります。そこで、シロイルカの表情(メロンの動き)が、オスの質を表す情報として機能する可能性をリチャード氏らは論じています。
この仮説が正しいならば、イルカ・クジラで表情をつかったコミュニケーションがみられるのではなく、特殊な生態を持つシロイルカで表情をつかったコミュニケーションがみられるという解釈が妥当なのかもしれません。
しかし、シロイルカ以外のイルカやクジラも、複雑社会を築くため、他者とのコミュニケーションが生存や繁殖といった、生物としての重要な要素に大きな影響を及ぼすことは間違いない事実です。
今回、シロイルカにて表情の役割が発見されたことは、「イルカは“表情”豊かな動物ではなく、イルカにとって表情はたいして重要なものではない」という、これまでの科学者の常識を覆す発見です。
この発見を皮切りに、いままでの常識を疑う動きが広がり、イルカ・クジラの表情に関する常識が次々に覆されていく日がやってくるかもしれません。
参考文献
行動生態学 原著第4版
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元論文
Belugas (Delphinapterus leucas) create facial displays during social interactions by changing the shape of their melons
https://doi.org/10.1007/s10071-024-01843-z
ライター
近本 賢司: 動物行動学,動物生態学の研究をしている博士学生です.動物たちの不思議な行動や生態をわかりやすくお伝えします.
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。