私たちにとっておばあちゃんは身近な存在です。
しかし、ほとんどの哺乳類にはおばあちゃんにあたる存在がいません。
それもそのはず、生き物のあらゆる行動や生活様式は、自分の子孫を残すことに直結しており、子孫を残す能力を失ったおばあちゃんはふつう進化しないはずです。
そのため、「なぜ、私たちヒトにはおばあちゃんがいるのか?」という問いは長年にわたり学者たちを悩ませてきました。
我々ヒトと同じく、イルカやクジラの一部にも繁殖能力を失ったおばあちゃんがいることが知られています。
今回、イギリスのエクセター大学(University of Exeter)のエリス氏(Samuel Ellis)を中心とするチームは、ヒトとイルカ・クジラのおばあちゃんは共通のメカニズムで進化していたことを発見しました。
本研究は2024年3月13日に科学雑誌「Nature」に掲載されました。
目次
- 進化論ではなかなか理解できない「おばあちゃん」
- ヒトとイルカ・クジラのおばあちゃんの進化メカニズムは同じだった
進化論ではなかなか理解できない「おばあちゃん」
生き物のあらゆる行動や生活様式は、自分の子孫を残すことに直結しています。
そのため、生き物では死ぬまで繁殖能力を維持したり、一生に一度の出産に全ての力を使い果たしてたくさんの卵を産むといった「子孫をたくさん残す仕組み」が進化しています。
これらの仕組みが進化するということは、自分の子孫を残すうえでプラスにならない行動や生活様式は基本的に進化しないということも意味します。
この考え方に従うと、私たちにとっては当たり前の存在である「おばあちゃん」というのが、非常に不思議な存在であることに気づきます。
生物学的にみたとき、おばあちゃんの最も大きな特徴は、閉経※1しているために「自分の子孫を残すことができない存在である」ということです。
おばあちゃんは子孫を残すことができないにも関わらず、古来よりヒトの社会に存在し、社会的に重要な役割を果たしてきました。
ふつうの生き物ではありえない「子孫を残すことができない存在」である、おばあちゃんが進化している。
この事実に、学者たちは長年にわたり頭を悩ませてきたのです。
※1 閉経は「卵巣の働きが低下し、月経(周期的に起こる子宮からの出血)が永久に停止した状態」と定義され、一部の霊長類やコウモリだけにみられる特殊な現象です。今回の主役であるイルカ・クジラを含む、ほとんどの哺乳類には「月経」に対応する生理現象がないため、哺乳類でみられる単に繁殖が停止する現象は閉経とは呼びません。
ほとんどの哺乳類にはおばあちゃんにあたる存在はいませんが、一部のイルカ・クジラには人間同様におばあちゃんがいます。
おばあちゃんがいるのは、イルカ・クジラのなかでも歯が生えている「ハクジラ」と呼ばれるグループの一部の種です。
ハクジラには水族館でもおなじみのハンドウイルカやシャチといった種類が含まれます。
現在、ハクジラの仲間は約79種とされていますが、このうちの「シャチ」、「コビレゴンドウ」、「オキゴンドウ」、「ベルーガ(シロイルカ)」、「イッカク」の5種にはおばあちゃんがいます。
このハクジラたちが、長年にわたり学者たちを悩ませてきたおばあちゃんの進化の解明に一石を投じることとなります。
おばあちゃんの進化について考える有効な手段は、近縁な生き物同士を対象とし、「おばあちゃんのいる種」と「おばあちゃんのいない種」を比較することです。
そうして、「おばあちゃんのいる種」にのみ共通してみられる特徴をみつけることで、おばあちゃん進化の原動力について論じることができます。
しかし、ヒトに近縁な霊長類において、おばあちゃんの存在が確実である種は、我々ヒトのみであるため、「おばあちゃんのいる種にのみ共通してみられる特徴をみつける」ことが困難です。
一方、ハクジラではおばあちゃんのいる種が5種類確認されており、その比較対象となるおばあちゃんのいない種もたくさんいます。
そのため、ヒトを含む霊長類では不可能であった、比較による「おばあちゃん進化の謎の解明」がハクジラであれば可能です。
そこで、エクセター大学(University of Exeter)のエリス氏(Samuel Ellis)を中心とするチームは18種のハクジラを比較することでおばあちゃんの進化の謎の解明に挑みました。
ヒトとイルカ・クジラのおばあちゃんの進化メカニズムは同じだった
エリス氏たちはまず、おばあちゃんのいるハクジラは、おばあちゃんのいないハクジラに比べて、「寿命が長い」ことを明らかとしました※2。
またおばあちゃんのいるグループでは寿命が長いことに加えて、さらに「寿命のうち、繁殖のできない期間のみが長い」ことも明らかにしました。
この発見はなにを意味するのでしょうか?
実は、この発見の意味を理解することが、おばあちゃんの進化を理解するうえでとても重要です。
※2哺乳類はふつう、体が大きいと寿命が長くなります。その影響を考慮しても、おばあちゃんのいる種は、期待される以上に寿命が長かった。
最初にお話しした通り、生き物のあらゆる行動や生活様式は、自分の子孫を残すことに直結しています。
では、自分では直接子孫を残すことのできないおばあちゃんは、いったいなにをしているのでしょう?
エリス氏たちの説明は「自分の娘/息子や孫をサポートする」というものです。
エリス氏を含むチームは、おばあちゃんのいるハクジラであるシャチを対象とした研究にて、豊富な知識をもつおばあちゃんが率先して家族を餌場へと導くことや、おばあちゃんが娘の仔育てを手伝うことなどを明らかとしてきました。
これらの発見の重要なことは、おばあちゃんのサポートをうけた娘や息子は生存率や繁殖成功率が向上するということです。これは、娘や息子にとって、おばあちゃんのサポートが絶大な効果を発揮するものであることを意味します。
一方、おばあちゃんは娘や孫をサポートすることで、自分で仔を残さずとも、自分と血のつながったものが子孫を残せる可能性を高めることができます。つまり、おばあちゃんは家族をサポートすることによって、自分の間接的な子孫(遺伝子の一部を共有している)を増やすという恩恵を受け取ることができます。
長寿化によって、娘/息子や孫たちをサポートできる期間が長くなれば、おばあちゃんにとっても、その子孫にとっても利益があるため、おばあちゃんは進化しうると考えることができます。
今回、エリス氏たちは、この仮説がハクジラ18種を対象とした比較によって支持されることを明らかとしました。
一見すると、上の説明にておばあちゃんの存在を説明できそうですが、しかしこの説明でも、おばあちゃんは別に自分で仔を産んでもいいように思えます。
なぜおばあちゃんは自分では仔を産まないのでしょうか?
有力な仮説は、「おばあちゃんが、娘と繁殖の時期を被せないことで、娘との競合を避けている」というというものです。
仔を育てることは重労働であるため、餌などの資源がたくさん必要になります。
もし、おばあちゃんと娘の繁殖の時期が重なってしまうと、家族内で資源をめぐる競合が起こってしまいます。
これでは、おばあちゃんにとっても、娘にとってもマイナスに働きます。
「寿命のうち繁殖のできない期間のみが長いこと」は、おばあちゃんは娘との競合を避けつつ、娘や孫たちをサポートできることを示唆します。
ここまでの発見を整理してみましょう。
おばあちゃんの「寿命が長いこと」は、長いあいだ娘/息子や孫のサポートができることを示唆します。
さらに、「寿命のうち繁殖のできない期間のみが長いこと」は、おばあちゃんが娘との競合を避けつつ、娘や孫たちをサポートできることを示唆します。
「娘の邪魔をせず、娘や孫のサポートに回る」という、おばあちゃんの進化メカニズムは我々ヒトのおばあちゃんの進化メカニズムとしても支持されてきたものです。
ヒトとイルカ・クジラという全く異なる環境に住む生き物の間で、共通のメカニズムが支持されたことは「娘の邪魔をせず、娘や孫のサポートに回る」という仮説がおばあちゃんの進化を説明する有力な仮説であることを意味します。
ただ、この謎にはまだ課題も多く残っています。
「おばあちゃんが家族をサポートする必要が、なぜ他の生物にはないのか?」、「どのような生物学的なメカニズムによって寿命が延びたのか」といった問いに科学はまだ答えを出していません。
今回、おばあちゃんがいるとされる5種はいずれも母方の家族で構成される「母系社会」を形成していますが、これはおばあちゃんのいないマッコウクジラでも同様です。なぜ似た社会を形成するマッコウクジラにはおばあちゃんがいないのでしょうか?
また、ハンドウイルカは採餌の文化が母親から仔へと継承されることが知られており、知識の継承が生存や繁殖に重大な影響を及ぼします。なぜ、シャチのおばあちゃんがその高い知恵をつかって家族を導くように、知識の継承が重要であるハンドウイルカにはおばあちゃんがいないのでしょうか?
こうした今回の発見や新たな疑問は、私たちが人間以外の幅広い生物たちの生態へ目を向けたからこそ明らかになったものです。
おそらくこうした研究の話を聞くまで、おばあちゃんがいるということを疑問に思ったこともない人がほとんどだったでしょう。
かつて、日本の鯨類学の基礎をきずいた小川鼎三は、「ヒトを理解するために、ヒトばかり調べていては見方が偏り、見逃してしまうことががたくさんある。そこで、クジラなどの別の動物をよく知り、ヒトの特殊性を捉えなおすことが大切だ」と述べています。
これまで、ヒトやその近縁種である霊長類の研究だけでは解明できなかった「おばあちゃん進化の謎」を解き明かすカギは意外にも、海にすむ哺乳類であるイルカ・クジラが握っていました。
今回の発見はまさに、ヒトを理解するのに、ヒト以外の動物を知ることがいかに重要であるかを教えてくれる研究といえるでしょう。
参考文献
Center for Whale Research
https://www.whaleresearch.com/ourpeople
元論文
The evolution of menopause in toothed whales
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07159-9
Ecological Knowledge, Leadership, and the Evolution of Menopause in Killer Whales
https://doi.org/10.1016/j.cub.2015.01.037
ライター
近本 賢司: 動物行動学,動物生態学の研究をしている博士学生です.動物たちの不思議な行動や生態をわかりやすくお伝えします.
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。