「H」の次が「I」なのは自然なことでした。
米国のテキサス大学オースティン校(UT)で行われた研究によって、オーガズムの回数が増えれば増えるほど、カップルたちの脳が作り変えられる「再配線」現象が進む可能性が示されました。
研究では人間と同じ一夫一妻制をとるプレーリーハタネズミの脳全体の3Dマッピングが行われており、交尾回数を重ねて脳の再配線が進んだとされたカップルたちでは、脳活動の驚くべき同調性がみられるようになっていました。
研究者たちはプレスリリースにて「同じような仕組みが人間にも存在しており、オーガズムが絆形成を促進している可能性がある」と述べています。
また興味深いことに、絆が結ばれている同性ペア(兄弟など)と異性カップル(オス/メス)では、同じ脳領域が活性化していることも示されました。
単なる快楽の極と思われていたオーガズムが、いったいどんな仕組みで脳の再配線を行っているのでしょうか?
研究内容の詳細は2024年2月21日に『eLife』にて公開されました。
目次
- 一夫一妻制の絆はセックスの後に結ばれる
- オーガズムには絆を作る力がある
一夫一妻制の絆はセックスの後に結ばれる
人間にとっての絆は、友人を作ったり結婚生活を送るなど、自分以外の他者との関係を強固にするために重要な働きをしています。
近年の研究では、絆を結んだ相手との生活は、ストレスや苦しみを緩和し、病気の罹患率や死亡リスクを下げる効果があることが判明しています。
心を結びつける絆は、動物たちの生存競争においても有利になります。
絆を結んだ個体間では、家族の世話や縄張り防衛を協力して行うようになり、単独で行う場合に比べて著しく成功率が上がるからです。
そういう観点からみれば、絆とは、気まぐれや浮気によって、優秀な相手を自ら手放さないようにする、本能の「足かせ」と考えることもできるでしょう。
絆の話で、利益とか足かせという言い方はやめてよと思う人もいるかもしれませんが、実際自然界の中では絆が一つの生存戦力として機能しています。
たとえばプレーリーハタネズミなどの種では、オスがメスを独占する能力の高さが、オス親としての能力や巣の防衛能力の高さを予測する因子として機能しています。
つまり絆を結ぶ前に、優秀な相手を選ぶ本能レベルの「打算」が働いているのです。
続く絆の形成も、やはり本能的行動であり、脳内にそれを可能とする仕組みが事前に組み込まれていると考えられます。
(※あらゆる動物は本能に従う行動を行うと報酬系から快楽という「ご褒美」を貰えます。これまでの研究でも、絆を結ぼうとする行いは、報酬系を起動させることが知られています)
そこで今回、テキサス大学の研究者たちは、絆形成の前後でプレーリーハタネズミの脳がどのように変化するかを、調査することにしました。
幸いなことに、一夫一妻制をとるプレーリードックの場合には、「発情➔交尾➔絆の形成➔安定的な関係」という、極めて人間に近しい形がとられています。
ただ絆形成の根底にどんな脳回路が存在し、何が脳回路を活性化させるかは、まだ不明な部分が多くなっています。
一夫一妻制の動物たちで結ばれる絆とは、何がキッカケとなるのでしょうか?
オーガズムには絆を作る力がある
何がキッカケで絆が結ばれるのか?
この謎を調べるため研究者たちは、プレーリーハタネズミたちの脳全体のニューロン活動を3Dマッピングする技術を使用しました。
(※具体的には最初期遺伝子(IEG)と呼ばれる、刺激に対して即応的に活性化する遺伝子群の回路の脳全体のネットワークが調査されました)
古典的な研究では、絆の形成にはオキシトシンのような愛情に関する物質や、報酬系回路でのドーパミン分泌などが重要な役割を果たしていることが判明しています。
一方で近年の脳科学研究では、伝達物質よりも神経ネットワークを解析する手法が用いられるようになってきました。
脳全体のニューロンの動きを追うことで、絆形成の前後で起こる違いを、ネットワークの次元で確かめることが可能になります。
調査にあたってはまず、プレーリーハタネズミのメスにホルモン剤が投与され、強制的に発情期に移行させられました。
メスの発情を感知したオスはメスに対する交尾行動を開始します。
実験ではオスとメスが対面する環境が用意されており、よほど相手が嫌いでなければ30分ほどで交尾が始まります。
人間と比べてプレーリーハタネズミの交尾は激しく、1時間の間に何度も繰り返し行われます。
そしてわずか1日の間に、一生続く絆が結ばれることになります。
(※プレーリーハタネズミはわずか1カ月で大人になり、野生環境での平均寿命は3カ月ほどしかないため、人間に比べて絆形成もハイペースになります)
すると、68の異なる脳領域に渡って分布する、7つの脳回路において、大きな変化が起きていることが判明。
さらに同様の変化が確認されたカップルでは、お互いに毛づくろいを行い、ストレスを感じた時に慰め合い、縄張りを共同で守るようになりました。
この結果は観測された脳活動の変化が、絆形成によることを示します。
次に研究者たちは、絆形成を引き起こした脳活動の変化に性差がないかを調べてみました。すると意外なことに、絆を結んだオスとメスでは脳活動に奇妙な同期がみられることが判明します。
これまでオスとメスは子育てや縄張りの防衛など同じ行動をしていても、行動の根底となる脳活動は別物だと考えられていましたが、実験結果は高い一致がみられました。
また興味深いことに、似た脳活動の同期は同性ペア(兄弟など)の間でも確認されており、絆を結ぶ性別が違っても、絆の質には変化はないことが示されました。
しかしそうなると気になるのは、絆が結ばれた状態に脳が移行するのに、何が最も貢献しているかです。
(※一緒に過ごす時間、2匹の距離、身体的接触の頻度などさまざまな要因が考えられます)
結果、驚くべきことに交尾回数やオスの射精回数が、脳が絆形成状態にあるかをもっとも正確に予測する因子になりました。
つまり交尾回数が多く射精回数が多いほど、絆形成によって脳の再配線が進んだわけです。
米スタンフォード大学が発表した最近のマウス研究では、メスにはオスの射精を検知して活性化するニューロン集団が存在することが判明しています。
今回の研究でも、射精が行われていると、オスとメスの両方で同様の深い感情状態が出現することが示されました。
研究者たちは「脳と行動のデータはオスメスともにオーガズムのような反応を示しており、こうした「オーガズム」が脳を再配線して絆の形成を高める因子になっている」と語りました。
人間の場合も、セックスを繰り返しながら、カップルの関係が深まるパターンは一般的なものと考えられています。
また性科学ではオーガズムには単なる快感の極としてだけではなく、心理的効果がある可能性が示唆されてきました。
そのため研究者たちも「同様のオーガズムによる絆形成と脳の再配線の仕組みは、人間にも備わっている可能性が高い」と述べています。
オーガズムで絆が形成される仕組みが人間を含め生物の中に存在しているという事実は、身分制度や特定の家柄同士の結婚が政略の一部であった時代に、結婚まで貞操を守るべきという考え方が重要視されていた理由としても納得できるかもしれません。
関係を持ってしまった相手と絆が深まり易いメカニズムが脳内に存在しているなら、家が決めた相手とだけ婚姻を許すという社会の中では、結婚まで安易にセックスをされては困ることになります。
研究者が今回、この点まで言及しているわけではありませんが、古い時代の人たちはこのメカニズムに無意識に気づいていて、貞操という観念を持つようになったのかもしれません。
逆に現代の恋愛においては、パートナーとの身体の相性が重要視される理由もここにあるのかもしれません。
参考文献
First Brainwide Map Shows How Intimacy and Mating Rewire the Brain
https://news.utexas.edu/2024/02/22/first-brainwide-map-shows-how-intimacy-and-mating-rewire-the-brain/
元論文
Sexual coordination in a whole-brain map of prairie vole pair bonding
https://doi.org/10.7554/eLife.87029.3
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。