かつてのイギリスには、紅茶の普及が図らずも人々の命を救った歴史があったようです。
米コロラド大学ボルダー校(CU-Boulder)の研究者は最近、18世紀後半にイギリスで紅茶が爆発的に広まったことが、人々の死亡率を低下させていた証拠を発見したと発表しました。
しかもそれは紅茶の栄養効果のお陰ではなく、紅茶を飲むことで広がった”ある習慣”が最大の要因だったという。
一体紅茶を飲む習慣の何が当時の人々の死亡率を下げたのでしょうか?
研究の詳細は、2023年11月17日付で学術誌『Review of Statistics and Economics』に掲載されました。
目次
- なぜか18世紀イギリスで死亡率が急に減少
- 紅茶の普及後に死亡率が減少!「水の煮沸」が最大の要因
なぜか18世紀イギリスで死亡率が急に減少
18世紀イギリスの人口統計データには長い間、研究者たちにとって大きな謎がありました。
それは1761年から1834年の間に、年間死亡率が急激に減少に転じていたことです。
当時はまだ賃金が上がっておらず、労働者たちの生活水準もほぼ上昇していません。
加えて、産業革命の高まりとともに多くの労働者が都市部に押し寄せたため、町の衛生状態もかなり低いものでした。
それなのにどうして死亡率が下がったのか、研究者は大いに疑問だったのです。
その一方で、コロラド大学ボルダー校の経済学者であるフランシスカ・アントマン(Francisca Antman)氏は「18世紀の紅茶の普及にその要因があるのではないか」と予想しました。
というのも、当時のイギリスでは水質の悪さから「赤痢」のような危険な下痢性疾患が流行し、死亡者が続出していたからです。
赤痢は汚染された水に潜む赤痢菌への感染によって発症しますが、それらは水の煮沸によって死滅させることができます。
つまり紅茶が普及すれば、人々は自然と煮沸された安全な水を飲むことになり、赤痢も減少すると考えられるのです。
そこでアントマン氏は18世紀イングランドにおける人口統計データをもとに分析を行いました。
紅茶の普及後に死亡率が減少!「水の煮沸」が最大の要因
アントマン氏はまず、18世紀後半のイングランド全土の400以上の教区を対象に、推定される水質の良し悪しを教区ごとに割り当てました。
水質の推定については、その教区の水の供給源が多ければ、より清潔な水が得られると予測。
さらに川に近い教区あるいは川の上流に位置する教区は、川から遠かったり、川の下流に位置する教区よりも安全な水が得られると予測。
反対に、水質の悪い地域は水の供給源が少ないことや川の下流に位置することに加え、人々の移住の度合い(ある水源で汚染が発生した場合、人々は他の教区に移動する)などで予測しました。
このデータには、イギリスの著名な人口統計学者であるE・A・リグレーとR・S・スコフィールドが収集した1541年から1871年までのイングランド全土の教区の記録を使っています(The Population History of England 1541–1871)。
そしてこの調査の境界線となるのは、大多数のイギリス人にとって紅茶が突然手頃な価格となった1785年です。
実はそれ以前、紅茶は富裕層のみが嗜める高価なものであり、労働者階級や貧困層には全く浸透していませんでした。
その原因は紅茶にかけられた高すぎる課税にありました。
しかし1784年の租税改革法(Commutation Act 1784)により、茶葉に対する課税は119%からわずか12.5%に下げられ、紅茶の消費量が爆発的に増加します。
これは当時、借金の増大に苦しんでいたイギリス東インド会社を救い、清(中国)との貿易を活発化させるための処置でした。
イギリスは清にアヘンを送る代わりに紅茶を輸入して、国内市場で大量販売します。
記録によると、18世紀末までには極めて貧しい農民でさえ、1日に2回紅茶を飲むようになっていたそうです。
そしてアントマン氏は、1785年以降の紅茶の普及により、各教区の死亡率がどう変化したかを分析。
その結果、イングランド全土の教区で死亡率の減少が確認されましたが、特に水質の悪い教区では水質の良い教区に比べて、死亡率が18%も低下していたのです。
これは水質の悪い教区に住む人々が汚染された水の煮沸をして、安全な水を飲むようになった成果が出ていることを伺わせます。
加えて、赤痢のような下痢性疾患による死亡者数と、結核のような空気感染による病気の死亡者数を比べてみました。
すると、結核の死亡者数は1785年の前後で変化がなかったのに対し、下痢性疾患の死亡者数は1785年を境に急激に減少していたのです。
これは要するに、衛生環境や医療技術が向上したわけではなく、ただ紅茶を飲むために水を煮沸することが図らずも下痢性疾患をピンポイントで減少させ、それが死亡率の低下につながったことを示唆しています。
しかし当時のイギリス人はそんなことはつゆ知らずに、流行りの紅茶を楽しんでいただけなのでしょう。
アントマン氏は発展途上国の問題にも取り組む研究者であるため、単に人々の日常の楽しみが増えただけで、時として、明示的な医療の介入よりも人々の健康に効果をもたらすという可能性の発見は、目からウロコだったようです。
参考文献
How Britain’s taste for tea may have been a life saver
https://www.bbc.com/future/article/20231215-how-britains-taste-for-tea-may-have-been-a-life-saver
元論文
For Want of a Cup: The Rise of Tea in England and the Impact of Water Quality on Mortality
https://direct.mit.edu/rest/article-abstract/105/6/1352/109264/For-Want-of-a-Cup-The-Rise-of-Tea-in-England-and
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。