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「あなたの一番古い記憶は?」人は覚えていても2歳以前の記憶にアクセスできなくなっている


皆さんが思い出せる最も古い記憶はいつ頃のものでしょうか。

稀に「母親の胎内にいたときを覚えている」という方もいますが、ほとんどの人は2〜3歳以降のことだと思います。

このように人生初期(0〜3歳頃)の記憶が抜け落ちている現象を「幼児期健忘(infantile amnesia)」といいます。

ただ、最近の研究では人間の自意識は4カ月頃から発達すると報告されており、ほとんどの人が2〜3歳以前の記憶を思い出せない理由はよく分かっていませんでした。

この疑問に対して、アイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジ(TCD)の研究チームは、私たちが人生初期の記憶を喪失しているわけではなく、アクセスできない状態になっているだけである可能性を示唆する研究結果を報告しています。

さらに驚くべきことに、幼年期の記憶にフタがされるかされないかは、妊娠中の母親の免疫反応に大きな要因があったといいます。

研究の詳細は、2023年11月8日付で科学雑誌『Science Advances』に掲載されています。

目次

  • 人間の「自意識」は生後4カ月で生まれている
  • どうして2〜3歳以前の記憶が思い出せないのか?
  • 母体免疫活性化によって「幼児期健忘」が防がれた!

人間の「自意識」は生後4カ月で生まれている

記憶とは、自分が意識的に知覚したり経験したものが脳内に刻印されることで生じます。

となると、自意識が生まれる頃から記憶も生まれていると考えられるでしょう。

では「記憶の形成」は一体いつ頃からスタートするのでしょうか?

それについて最近、英バーミンガム大学(University of Birmingham)の最新研究で、ヒトの赤ちゃんは生後4カ月にはすでに「自意識」を持っていることが示されました(Scientific Reports, 2023)。

この興味深い研究では、まだ言語能力を獲得する前の生後4〜8カ月の赤ちゃん40名を対象に、スクリーンの前に座らせて、自分に向かって近づいたり離れたりするボールを見せる実験を行っています。

画面上のボールが最も近づくと、赤ちゃんの手に小さな振動を与えて「タッチ(触覚)」を誘発し、その際の脳活動を測定します。

その結果、赤ちゃんは生後4カ月の時点で、画面上のボールが自分に向かって近づいてくるにつれて、振動を与えられる前から触覚に関する脳領域が亢進(徐々に活性化)していることが分かったのです。

要するに、これは赤ちゃんが「あ、ボールが近づいてくる。ということはそろそろ手で触れるぞ」と予測していることを意味します。

研究者はこれについて「赤ちゃんは生後4カ月で、自分の周りの空間を感知し、その空間と自分の体がどう相互作用するかを理解している」と説明します。

つまり、自意識がすでに芽生えていることを意味するものです。

実験のイメージ図
実験のイメージ図 / Credit: Giulia Orioli et al., Scientific Reports(2023)

さらにチームは、予期せぬ「タッチ(触覚)」を赤ちゃんがどのように感じているかを調べました。

ここでは生後8カ月の赤ちゃんを対象に、画面上のボールが自分から最も離れたときに振動を与えます。

その結果、赤ちゃんの脳には「驚き」に関連する脳領域の活性化が見られたのです。

これは赤ちゃんが「え、なんで?ボールは向こうに離れているのに…」と予期せぬ触覚が発生したことに驚いたことを示します。

研究者は「生後8カ月にもなると、赤ちゃんは自分の体と周囲の空間との相互作用について、より洗練された認識を構築していることを意味する」と述べています。

最新の研究ではこのように、かなり早い段階から人間の自意識が発達していることが示されています。

そのため、多くの人たちはもっとも初期の記憶に関しては1歳未満のときから形成されている可能性があるのです。

このことは、もっと以前から指摘されていますが、一方でほとんどの人は2~3歳未満の記憶を思い出すことができない幼児期健忘を起こしていることがわかっています。

これは一体なぜなのでしょうか? これについて非常に興味深い研究が報告されています。

どうして2〜3歳以前の記憶が思い出せないのか?

「幼児期健忘」はなぜ起こる?
「幼児期健忘」はなぜ起こる? / Credit: canva

幼児期健忘はほぼ全ての人に見られる現象でありながら、あまり詳しい研究がなされていません。

研究主任で神経科学者のトマス・ライアン(Tomás Ryan)氏も「私たちが経験する記憶喪失の中で最も普遍的なものなのに、過小評価されている」と指摘します。

そのため、2〜3歳以前の記憶については、それらが完全に消去されているのか、それとも保存されてはいるがアクセスできない状態になっているだけなのかがよく分かっていないのです。

その中で研究者らが注目していたのは「自閉症スペクトラム症(ASD)」を持つ人々の存在でした。

ASDには異様な記憶力の持ち主が多く、一度行った場所の風景や物の位置を鮮明に覚えていたり、普通の人々ではとても思い出せないような昔の出来事を想起できる不思議な能力があることが知られています。

「もしかしたらASDは幼児期健忘の影響を受けないのではないか」、研究者らはそう予想しました。

子供のASDの発症は、母親の胎内において脳の神経発達に何らかの支障が出ることが主な要因と考えられています。

そこでライアン氏ら研究チームは、胎児の神経発達に影響を及ぼすことが知られている「母体免疫活性化(maternal immune activation:MIA)」に焦点を当て、幼児期健忘との関連性を調べることにしました。

母体免疫活性化(MIA)とは?

自閉症児の出生に関係する「母体免疫活性化(MIA)」とは?
自閉症児の出生に関係する「母体免疫活性化(MIA)」とは? / Credit: canva

母体免疫活性化(MIA)とは、妊娠中の母親の免疫系が細菌やウイルスによる感染症やなんらかの体内炎症にさらされることで活性化する現象です。

これまでの研究で、MIAは胎児の神経発達に悪影響を及ぼすことが分かっています。

妊娠中に母体の免疫系が活性化すると、サイトカインと呼ばれる炎症性因子が産生され、それが胎盤を通じて胎児の中に侵入し、神経発達に異常が起こるのです。

そのせいで、将来的に子供が「自閉症スペクトラム症(ASD)」「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」「統合失調症」などの神経発達障害を発症しやすくなることが示されています。

では、MIAと幼児期健忘との関連性はどうやって調べたらよいのでしょうか?

チームは、ヒトと同様にMIAや幼児期健忘を経験することが分かっているマウスを実験台にしました。

母体免疫活性化によって「幼児期健忘」が防がれた!

今回の実験では、妊娠中の母親マウスに対し、人工的な炎症を与えることでMIAを誘発させました。

(実際に細菌やウイルス感染させるのは何かと問題があるため、感染したときと同じ炎症を人工的に与えている)

これによって生まれたマウスの子供は、他の健常なマウスと違って、ASDに見られる社会的行動障害を示しました。

社会的行動障害とは、仲間とのコミュニケーション欠陥、周囲への興味や活動レベルの低下、行動の繰り返しや固執などを特徴とする発達障害です。

人工的にMIAを誘発させた母親から神経発達に異常のある子マウスを得る
人工的にMIAを誘発させた母親から神経発達に異常のある子マウスを得る / Credit: SARAH D. POWER et al., Science Advances(2023)

その後、このマウスと健常なマウスを対象に、幼年期に電気ショックを与えてトラウマ記憶を植え付け、大人になるまで育てました。

するとMIAの母親から生まれたマウスからは、大人になっても幼年期の恐怖体験を覚えている行動証拠が得られたのです。

反対に、健常なマウスたちは幼年期のトラウマ体験を忘れている傾向が強く見られました。

これはMIAによる神経発達の異常が幼年期健忘を防ぎ、初期の記憶の扉を開けたままにしていることを示しています。

また調査の結果、幼児期健忘の発症を防ぐ因子は「インターロイキン-17(IL-17)」というサイトカインであることが特定されました。

実験で、IL-17をなくすように母親マウスを遺伝子操作すると、たとえ妊娠中にMIAを誘発された場合でも、生まれた子供は健常なマウスと同様に幼児期健忘を経験していたのです。

マウスでは離乳期(Weaning)に幼年期健忘が生じる
マウスでは離乳期(Weaning)に幼年期健忘が生じる / Credit: SARAH D. POWER et al., Science Advances(2023)

さらにチームは、健常に生まれたマウスでも、記憶の形成や保持に関与する神経細胞である「エングラム細胞(※)」が正しく活性化されれば、大人になっても記憶を想起させられることを発見しました。

(※ 記憶の保持に重要な神経細胞群のこと。時間と場所、経験した出来事の記憶を構成し、記憶の思い出しや呼び起こしに必要とされる)

つまり、幼年期のトラウマ経験時に作られたエングラム細胞を正しく活性化できれば、健康なマウスでも人生初期の記憶にアクセスできたのです。

チームはこの結果を受けて、

・人生初期の記憶は消去されているのではなく、アクセスできない状態になっているだけであること

・妊娠中に母体免疫活性化(MIA)にさらされると、生後に幼児期健忘が起きない可能性があること

を見出し、それが私たちヒトにも当てはまるのではないかと述べました。

これに関し研究主任のライアン氏は、なぜ自閉症の人たちが幼年期の記憶を正確に思い出せるのかを説明できると同時に、妊娠中にMIAにさらされなかった健常な人々では、人生初期の記憶に対する「忘却スイッチ」が自然と入るようになっている可能性が高いと話しました。

ただ、人生初期の記憶を封印するという機能が、ヒトを含む哺乳類の発達になぜ必要だったのかは、まだわかっていません。

その解明は今後の課題となります。

記憶は思い出せなくなることはあっても、消えることがないという話はよく聞かれます。

これは本当なのかなと疑問に感じる人もいるでしょうが、少なくとも今回の研究からは、私たちが2〜3歳以前の記憶については思い出せないだけでちゃんと保持していると考えることができるようです。

全ての画像を見る

参考文献

Autism brain states hold the key to unlocking childhood memories
https://www.tcd.ie/news_events/top-stories/featured/autism-brain-states-hold-the-key-to-unlocking-childhood-memories/

Your Earliest Memories May Still Be Locked Inside Your Head. Here’s Why.
https://www.sciencealert.com/your-earliest-memories-may-still-be-locked-inside-your-head-heres-why

Babies as young as four months show signs of self-awareness –study
https://www.birmingham.ac.uk/news/2023/babies-as-young-as-four-months-show-signs-of-self-awareness-study

元論文

Immune activation state modulates infant engram expression across development
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.adg9921

Visual objects approaching the body modulate subsequent somatosensory processing at 4 months of age
https://www.nature.com/articles/s41598-023-45897-4

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

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