電話もネットもない時代。
戦地にいる夫や息子と連絡を取る方法は「手紙」しかありませんでした。
しかし現代のメールやLINEとは異なり、手紙は届くまでに時間がかかり、また必ず届く保証はありませんでした。
特に船員に当てた手紙を届けることは困難であり、手紙を乗せた船が敵国に拿捕されることもあったのです。
今回、英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)は、なんと七年戦争(1756〜1763)時代英国が押収したフランス人船員宛の「手紙」を大量発見。260年以上の時を経てその届かなかった手紙を開封し、当時の様子を知る資料として論文で報告しました。
愛する人を想う恋人や妻、息子を心配する母親たちが出した手紙には一体どんな想いが記されていたのでしょうか?
研究の詳細は、学術誌『Annales Histoire Sciences Sociales』に掲載されています。
目次
- 七年戦争でフランス人船員に送られた「愛の手紙」
- 妻から夫に宛てた「ラブレター」
- 息子への嫌味を綴った母の手紙
七年戦争でフランス人船員に送られた「愛の手紙」
ケンブリッジ大学の歴史学者でフランス人のルノー・モリュー(Renaud Morieux)氏は、ロンドン南西部のキュー地区にあるイギリス国立公文書館で調べ物をしていた際に、ヒモで留められた手紙の箱を見つけました。
箱を開けてみると、中には未開封の封書の山が3つ入っていたのです。
気になったモリュー氏は公文書館の了解を得て、手紙の内容を詳しく調べることにしました。
100通以上ある手紙を数カ月かけて熟読した結果、それらはすべて七年戦争の間に妻や婚約者、母親、兄弟姉妹から戦場にいるフランス人船員に送られた手紙であることが判明しています。
七年戦争とは1756〜1763年まで行われ、実質「18世紀の世界大戦」と呼ばれる戦争です。
元はハプスブルク家がオーストリア継承戦争で失った土地を奪回しようとしたことが発端で、そこに1754年以来の英仏間の植民地競争が加わり北米やインドも含む世界規模の戦争となりました。
モリュー氏によると、これらの手紙は1757〜58年の間に書かれており、高齢の農民から裕福な役人の妻まで、さまざまな人々によって書かれていたという。
高価な紙の隅々まで文字がびっちりと埋め尽くされたものもあれば、句読点や大文字も使わず、ミスだらけの綴りで書かれた拙い手紙もありました。
また敵に狙われて常に移動しているフランス船に手紙を届けるのは信じられないほど困難で、家族は同じ内容の手紙を複数の港に送ったりしていたといいます。
しかし残念ながら、これらの手紙は本人の元へは届かず、当時のイギリス海軍によって押収され、未開封のまま保管されることになったようです。
モリュー氏は「これらの人々の思いを綴った手紙は、誰にも封を開かれた痕跡がなく、私がこれを読む最初の人間なんだということに気づきました。それはとても感動的でした」と話しています。
その手紙にはどんなことが書かれていたのでしょうか?
妻から夫に宛てた「ラブレター」
手紙の内容として多く見られたのは、やはり妻や婚約者から戦地の夫や恋人に宛てたラブレターでした。
モリュー氏はその中から2通のラブレターを紹介しています。
1つ目はマリー・デュボス(Marie Dubosc)という女性が1758年に、フランス軍艦ガラテー号の一等中尉であった夫のルイ・シャンブレラン(Louis Chambrelan)に宛てたものです。
「私は今、あなたへの手紙を書いて夜を過ごしています。私は永遠にあなたの妻ですよ。おやすみなさい、親愛なるあなた。もう真夜中です。私も休もうと思います」
研究者はこの手紙の夫婦について特定しています。
実は、当時夫のルイはイギリス軍によって拿捕されていたのです。
マリーは夫がどこでどうしているのか知ることなく、そして2度と再会することもできませんでした。
彼女はこの手紙の翌年、夫が釈放される前にル・アーヴルで亡くなっており、夫のルイは1761年にフランスに帰還し、再婚したことがわかっています。
未開封の手紙が今ここにあるということは、ルイがこの誠実な妻の手紙を読むことはなかったのでしょう。
2つ目はアン・ル・セルフ(Anne Le Cerf)という女性が、同じくガラテー号の下士官だった夫のジャン・トプセント(Jean Topsent)に宛てたものです。
彼女は手紙の中に「今すぐあなたを抱きしめたい」と熱烈なメッセージを送っており、これは単なる「抱擁」だけでなく、「肉体的に愛し合うこと」も意味して書いていたようです。
末尾には「あなたの従順なる妻ナネット(Nanette)」と愛称と思われる呼び名が署名されています。
残念ながらジャンもイギリスのどこかに投獄されており、彼女の手紙も夫に届くことはありませんでした。
息子への嫌味を綴った母の手紙
また手紙は妻から夫への純愛に満ちたものばかりではありません。
中には、なかなか手紙を送ってこない戦地の息子に対して催促する母親もいました。
最も注目すべき手紙は、マルグリット(Marguerite)という61歳の女性が1758年1月27日に、ノルマンディー出身の若い船乗りである息子のニコラス・ケネル(Nicolas Quesnel)に送ったものです。
「今年の最初の日に(つまり1月1日)あなたは婚約者に手紙を書いたそうですね。
私はあなたが私のことを想うよりもあなたのことを想っています。いずれにしても、新しい年が主の祝福に満ちたものでありますように」
次いで
「私はもう3週間前から病気です。ヴァラン(ニコラスの船員仲間)には敬意を表します。あなたの近況を知らせてくれたのは彼の奥さんだけです」
ここからは明らかに「自分の婚約者には手紙を送っておいて、なんで私には送らないの」といった気持ちが読み取れます。
実は彼らのその後についてはかなり詳しいことがわかっているといいます。
ニコラスは数週間後、婚約者のマリアンヌ(Marianne)から「お母さんに手紙を書いて、あなたが良い息子であることを示して」といった内容の手紙が送られたという。
どうやら彼が手紙を書かないことで、マリアンヌが母親のマルグリットから嫌味を言われていたようなのです。
それからニコラスはちゃんと母親に手紙を送ったらしく、マリアンヌから「暗澹とした黒い霧が晴れました。あなたがお母さんに送った手紙のおかげで空気が明るくなりました」との手紙が届いています。
ところがマルグリットはかなり手強かったらしく、3月7日に「あなたの手紙には、あなたの父親のことが一切書かれていませんね」という手紙を息子に送っていたのです。
モリュー氏によると、ニコラスの実父はすでに亡くなっており、マルグリットがここで「あなたの父親」と言っているのは、彼女の再婚で新たにできた継父のことだという。
ニコラスが母親に手紙を書かなかったのは、筆不精というより複雑な家庭事情が関係していたのでしょう。
このように戦地にいる夫や息子への手紙は、必ずしもロマンチックなラブレターばかりでなく、喜怒哀楽の入り混じったものでした。
モリュー氏は今回の手紙の調査を終えて、こう話しています。
「これらの手紙には、人間の普遍的な経験について書かれていました。それは何も当時のフランスに限ったことではありません。
それらの手紙は、私たちが人生の大きな課題にどのように対処しているかを明らかにするものです。
戦争やパンデミックなど、自分の力ではどうしようもない出来事によって愛する人と離れ離れになったとき、私たちはいかに連絡を取り合い、どうやって相手を安心させ、互いを思いやるのかを考え直さなければなりません。
今はZoomやメッセンジャーアプリが主流の時代です。
18世紀の人々は文字しか持っていませんでしたが、彼らが書いたものは今日の私にとっても非常に身近に感じられます」
技術の進歩に伴い、手紙を書く機会はますます減っていますが、たまには自分の手で家族や友人に手紙を送るのもいいかもしれません。
参考文献
Love lost and found https://www.cam.ac.uk/stories/french-love-letters-confiscated-by-britain-read-after-265-years “I cannot wait to possess you”: Reading 18th-century letters for the first time https://arstechnica.com/science/2023/11/lost-letters-of-18th-century-french-sailors-have-been-read-for-the-first-time/元論文
Sciences Sociales (2023). DOI: 10.1017/ahss.2023.75 https://dx.doi.org/10.1017/ahss.2023.75