「海のギャング」や「海の王者」などとも呼ばれ、海の食物連鎖の頂点に立つ、まさに最強の海洋生物シャチ。
私達から見るとパンダのような白黒の体と、賢い頭脳を持ち、水族館でも愛らしい姿を見せてくれる魅力的な生物ですが、やはり海のギャングと呼ばれるだけあって、新たな研究ではシャチの恐ろしい一面が報告されています。
以前から、シャチが、本来の獲物ではないネズミイルカに対し嫌がらせをしていて、食べるわけでもなくただ殺すという不可解な行動が確認されていました。
このシャチの行動は長い間科学者を悩ませてきました。
今回、シャチの保護活動を行う非営利団体「Wild Orca」のデボラ・ジャイルズ氏と、カリフォルニア大学デービス校獣医学部のサラ・テマン氏ら研究チームは、60年に渡って記録されてきたデータの中から、なぜシャチがネズミイルカをいたずらに殺すのかを調査しました。
一体、シャチは何を思いネズミイルカを攻撃し、そして殺してしまうのでしょうか。
研究の詳細は、2023年9月28日付けで『Marine Mammal Science』に掲載されています。
目次
- 絶滅危惧種「ミナミシャチ」
- なぜシャチはネズミイルカに嫌がらせをするのか?
絶滅危惧種「ミナミシャチ」
シャチはマイルカ科に属する海獣で、日本では「サカマタ」とも呼ばれます。
シャチは魚やサメだけでなく、ヒゲクジラやシロナガスクジラを含む大きなクジラまで幅広い獲物を捕食します。
メスを中心とした母系社会を持つ社会的な動物で、オスが50歳〜60歳、メスが80歳〜90歳と、とても長い寿命を持っています。
平均的な体長は5m〜7mほどですが、オスは最大で9.8m、10トンになることもあります。
特徴的なパンダのような白黒の模様は、仲間同士の位置確認に使われたり、獲物に進行方向を誤認させたり、自身の体を大きく見せたりする効果があるとされています。
シャチは世界中の海に生息していますが、生物学的には1種のみとされています。
ただいくつかの異なるグループに分かれており、これらのグループは遺伝的特徴だけでなく、見た目や行動、社会的関係、食事の内容、鳴き声もそれぞれ異なります。
北太平洋東部には、「アラスカ」「北部」「南部」という3つのシャチのグループが存在しています。
この中でも最も小さなグループは南部であり、このグループに属するシャチは「ミナミシャチ(Southern Resident killer whales)」と呼ばれます。
ミナミシャチは絶滅の危機に瀕しており、その数はわずか75頭しか確認されていません。
ミナミシャチの繁栄は、同じく絶滅危惧種であるマスノスケ(英名:キングサーモン)と密接な関係があります。マスノスケを主食とするミナミシャチは、マスノスケが十分に存在しないと、絶滅リスクが高まるのです。
そんな絶滅の危機と隣り合わせの中、ミナミシャチは奇妙な行動をとっています。
それが小さなイルカの種ネズミイルカに嫌がらせをするというものでした。
ネズミイルカを食べずに殺すミナミシャチ
ネズミイルカは小型のイルカで、主に海洋の沿岸や河口に生息し、河川を数百km遡上することが知られています。
雄よりも雌がやや大きく、成熟した雌の体長は約1.7m、体重は約75kgになり、野生での寿命はおおよそ20年程度で、日本では現在、北海道のおたる水族館でのみ飼育されている非常に珍しいイルカです。
そんなネズミイルカに対し、太平洋岸北西部では何十年もの間、ミナミシャチが嫌がらせをし、さらには食べないにも関わらず殺しているのが観察されてきました。
論文では次のようなシャチの様子が報告されています。
ネズミイルカを口加える様子。
ネズミイルカを頭やお腹に乗せて運びながらバランスを取る様子。
ネズミイルカに体当りしたり、投げ飛ばす様子。
研究者たちは長い間、ミナミシャチがなぜネズミイルカにこのような嫌がらせするのか頭を悩ませてきました。
この疑問に答えるため、ジャイルズ氏ら研究チームは、1962年から2020年までの間に報告された78の事例を詳しく調べたのです。
なぜシャチはネズミイルカに嫌がらせをするのか?
この調査から、シャチの行動には3つの理由が推測されています。
- 社会的な遊び:シャチがイルカに対して行う嫌がらせは、彼らの社会的な遊びの一つの形態である可能性があります。知的に高度な動物が他の仲間と関わり合いながら遊ぶことで、絆を深めたり、コミュニケーションをとったりするのと同じように、シャチも遊ぶことで集団内の絆や協力を強化しているのかもしれません。
- 狩りの練習:イルカを追いかける行動は、シャチが狩りの技術を磨くための練習として行っている可能性があります。彼らは実際にはイルカを食べるつもりはなくても、動く標的としての練習の一環としてイルカを追っているのかもしれません。
- エピメトリック(介護)行動:嫌がらせは、実は病気の仲間などを助ける行動と関連している可能性があります。シャチは病気で弱った仲間などを手助けしながら長距離を泳ぐ様子が確認されており、メスのシャチが亡くなった子供を1600kmに渡って運ぶ様子も目撃されたことがあります。この行動は、ネズミイルカに対して見られる、口にくわえる、乗せてバランスを取りながら運ぶという行動と類似するため、関連している可能性が考えられます。
このように、シャチがネズミイルカをいじめる理由には、シャチが通常行うなんらかの行動との関連が考えられています。
さらに、今回の調査から、ミナミシャチは栄養不足により、妊娠したシャチの約70%が流産してしまったり、生まれてすぐに亡くなってしまうという悲しい事実も判明しました。
クジラ類はしばしば、性的な遊びを目的に多種の生物を弄ぶことが報告されているため、その関連も考慮されましたが、今回の問題ではオスとメスの関与の比率、大人と子供の関与の比率に差が見られなかったため除外されています。
また、シャチとネズミイルカで同じ海域で餌が競合しているという事実もないため、競争による嫌がらせの可能性もないと考えられます。
ジャイルズ氏ら研究チームは、ミナミシャチがネズミイルカに対し、なぜ嫌がらせを行うのか、その全ての理由を知ることは難しいかもしれないと語っています。
しかし、一つ確かなことは、ネズミイルカはミナミシャチの食事の中には入っていないということです。
そのため、研究者たちは今回のシャチの行動を、仲間内で流行し伝播される一種の「文化」の可能性があると見ています。
テマン氏は「シャチは非常に知的で、複雑な動物です。私たちは、彼らが世代から世代へと特定の行動を伝えていることに気づきました。これはシャチの文化を見るうえで非常に興味深いものです」と説明しています。
シャチのこうした仲間内で流行する行動は、他にもサケの死骸を帽子のように頭に乗せて泳ぐ行為や、船に体当りする行為などで報告されています。
結局、ミナミシャチがなぜネズミイルカに対し、嫌がらせのような行動を取るのか、現時点でははっきりとした理由はわかりませんでした。
しかし、60年以上も昔から報告されているこの行動もまた、ミナミシャチが先祖から受け継いできた「文化」の可能性があるようです。
少しかわいそうな気もするネズミイルカですが、それもまた自然の厳しさなのかもしれません。
参考文献
Why are killer whales harassing and killing porpoises without eating them? https://phys.org/news/2023-09-killer-whales-porpoises.html元論文
Harassment and killing of porpoises (“phocoenacide”) by fish-eating Southern Resident killer whales (Orcinus orca) https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/mms.13073