混雑した電車の中やオフィス、学校、デート中など、自分の体臭や口臭が気になったことがある方も多いはず。
特に夏の暑い時期や、たくさん汗をかいた後、匂いの強い料理を食べた後などには、気にする人も多いと思います。
しかし、人間は他人の体臭や口臭がきつい場合は簡単に気づきますが、自分の匂いを判断するのは難しいという印象を持っている人が多いかもしれません。
私たちは他人の匂いと同じ感覚で自分の匂いを嗅ぐことができないのでしょうか?
実は人が自分の匂いを認識しづらい理由は、生物学的な背景に基づいています。
米デューク大学の分子神経生物学者である松波宏明氏は、「私たちは自分の匂いを感知することはできるが、その匂いに気づかなくなることがある」と言います。一体、どのような原因で匂いに気づかなくなるのでしょうか。
さらに、体臭は病気のサインとして現れることもあるようです。
私たちの体臭の秘密に迫ります。
目次
- 臭いに慣れてしまう現象「嗅覚疲労」
- 体臭は自分と相手の遺伝的な違いを無意識に感じ取っている!?
臭いに慣れてしまう現象「嗅覚疲労」
人間の嗅覚は、犬やネズミ、豚などの嗅覚が強い動物と比べると劣っているように思われがちですが、実際には人間の嗅覚は決して弱くはありません。
私たちの鼻には、400種類ほどの嗅覚受容体があり、数十万種類以上の化学物質を匂いとして嗅ぎ分けることができます。
過去の研究によれば、私たちの先祖が狩猟採集をしていた影響で、植物の匂いを感じ取る能力が特に発達しており、これは犬よりも優れているとする主張もあります。
しかし、自分の体臭となると、他人の体臭に比べ、感じ取る力が弱くなるのでは?と疑問に思う人もいるのではないでしょうか。
確かに体臭がキツくても、自分では気づいていない人を見かけることがあります。
なぜ、人間は他人の体臭と自分の体臭を感じ取る力に差があるのでしょうか?
松波氏は、「私たちが自分の匂いを感じ取ることは可能です。例えば、脇の下の臭いをチェックしてみるとわかるでしょう。しかし、日常生活でよく接触する香り、例えば香水や家の匂いには、時間が経つと気づかなくなることがあります」と言います。
この時間が経つと匂いに気づかなくなる現象は「嗅覚疲労」として知られています。
長時間同じ匂いが周囲にある場合、私たちの鼻はそれに慣れてしまい、時間が経つとその匂いを感じにくくなってしまうのです。
この現象は日常生活の中でよく体験されるものです。
例えば、普段、家の匂いは気になりませんが、旅行から帰ったときや、友人の家を訪れたときには匂いを強く感じることがあります。
この現象が、自分の体臭や口臭を他人のものと同じように感じづらくする要因となっているのです。
なぜこのようなことが起こるのかの詳しい理由はまだ完全には分かっていませんが、嗅覚の受容体や脳の反応の仕方に関連していると考えられています。
なお、興味深いことに、肘や前腕のような汗の出る部位が少ない場所の匂いを嗅ぐことで、嗅覚をリセットすることができるといいます。
体臭は自分と相手の遺伝的な違いを無意識に感じ取っている!?
体臭は病気のサインとして現れることもあります。
例えば、息が腐った果物のように匂う場合、それは糖尿病の可能性があったり、腸チフスの患者の汗からは、焼きたてのパンのような匂いがすることもあります。
さらに、パーキンソン病の患者の体臭は「木や麝香(じゃこう:雄のジャコウジカの分泌物を乾燥した香料、生薬の一種)のような匂い」と言われています。
ある女性は、夫の体臭が変わったことからパーキンソン病を疑い、後の検査でその直感が正しかったことことが証明されたケースも報告されています。
つまり私たちは嗅覚疲労を起こしますが、これによって普段と違う匂いがしたとき敏感に反応できている可能性があるのです。
今、一部の科学者たちは匂いを使って病気を早期に発見できないか研究を進めています。
近い将来、体臭や口臭から病気がみつかる技術が開発されるかもしれません。
また、匂いは私たちの健康だけでなく、人と人との関係にも影響を与えています。
1995年には、複数の女性が男性のTシャツの匂いを嗅ぐ実験が行なわれ注目を集めました。
その結果、女性たちはそれぞれ異なる匂いを好む傾向がありました。
また、その好みの傾向が、免疫システムが病原体を認識する際に必要な遺伝子群、主要組織適合遺伝子複合体(MHC)と関連していることも分かりました。
そして驚くことに、女性は自分とは異なるMHCを持つ男性の匂いを好む傾向があったのです。
これには、自分とは異なるMHCを持つ人との間に子供をもうけることで、その子供がさまざまな病気に対して強い免疫を持つ可能性が高まることが理由と考えられます。
これは人間の本能とも言える現象なのです。
また私たちはパートナーに対しては遺伝的に異なる人を選ぶ傾向があるようですが、友人を作る場合には匂いを通じて共通点を感じ取っているとも言われています。
同じ環境で生活する人は似た匂いを持っている場合が多く、そうした相手は自分と気が合う可能性が高いため、私たちは自分に似た匂いの人を好む傾向があるのです。
松波氏は、「私たちは嗅覚を使って他人と自分を比較・評価しています。そして、私たちがその人に期待する役割や関係性によって、どのような匂いを好むかが変わってくるのです」と語っています。
人間は視覚中心の生き物とされてきたため、嗅覚は他の感覚と比べてあまり注目されていませんでした。
しかし、新型コロナウイルスの流行により、多くの人が嗅覚を失う症状を経験したことで、嗅覚の大切さやその影響が再確認されています。
「匂い」は私たちの日常生活に密接に関わっており、人とのコミュニケーションや健康状態を知る手がかりとしても重要な役割を果たしています。
私たちが他人の匂いに敏感で、自分の匂いに鈍感なのは、より良い人間関係を築くための自然な仕組みなのかもしれません。
参考文献
Why can’t we smell ourselves as well as we smell others? https://www.livescience.com/planet-earth/evolution/why-cant-we-smell-ourselves-as-well-as-we-smell-others元論文
The scent of life. The exquisite complexity of the sense of smell in animals and humans https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1905909/#:~:text=The%20odorant%20receptors%20(ORs)%20on,do%20with%20less%20than%20400.