研究者の仕事は、多くの人にとってイメージしづらい謎めいた世界かもしれません。
しかし、研究の世界は私たちと切り離された世界ではなく、私たちが日常の中で感じる疑問や好奇心の延長上にあります。
研究者も私たちも大きな違いはありません。
目の前の疑問に取り組み、発見した面白い事実をみんなで共有したいと考えています。
そこでナゾロジー編集部は、産総研マガジンの協力のもと研究者を訪ね、彼らの謎と発見の興味深い物語をリポートするコラボ企画をスタートさせることにしました。
知識こそ私たちの心を豊かにする源です。研究者たちの抱く疑問は、私たちをワクワクさせ、その発見は私たちの悩みの答えに繋がるかもしれません。
ナゾロジーと産総研マガジンのコラボ企画として、最初にお話を聞く研究者は「アリの社会性研究」を行う古藤日子(ことう あきこ)さんです。
外に出れば一度は見かける馴染み深い昆虫「アリ」ですが、研究者に話を聞くと実はわからない事だらけ。
この記事を読み終わる頃には、皆さんのアリのイメージも大きく変わっていることでしょう。
目次
- アリは社会から孤立すると死んでしまう!?
- アリはどうやって自分の仕事を決めているの?
- 寿命が30年!?女王アリの謎
- 実は誰でも簡単に捕まえれる!?女王アリの見つけ方
- 人間社会とアリの社会で似ているところはコロナ時の対応?
- アリに関する素朴な疑問 「お尻が大きい理由や家への侵入を防ぐ方法は?」
- とても特殊なアリのオス
こちらの記事は産総研マガジンでも同時公開されています。産総研マガジンの記事はコチラ!
アリは社会から孤立すると死んでしまう!?
――古藤さんの研究では、アリの背中に二次元バーコードを貼っている様子が非常に目を惹いて面白いのですが、まずはじめにアリの社会性研究とはどういう研究なのか教えていただけますか?
古藤:まずアリとかハチなど皆さんが想像する社会を持っている生き物の研究は、サイエンスの世界では生態学という分野を中心として古くから研究されてきました。これは本当に古い歴史のある研究分野で、私なんてまだ全然見習いレベルです(笑)
――そんな(笑)ではその歴史ある世界で、古藤さんが研究しているのはどんなことなんですか?
古藤:そうですね。たぶん皆さんもアリの社会というと、唯一子供が産める女王様がいて、それを頂点にたくさんの働きアリがサポートしながら集団で暮らしているというイメージはあると思います。
じゃあこうした社会(コロニーと呼んでいます)の一部として存在する働きアリが、その社会から切り離されて一人になったとき、どうするのか? 一人でも生きていけるのか? そういう疑問がここ10年くらい、私が取り組んでいる研究テーマの1つになっています。
――人間の世界でも孤独って問題になったりしますけど、アリが孤立したらどうなってしまうんですか?
古藤:実はこの社会性昆虫を一人ぼっちにしたらどうなるかっていう研究もすごく歴史が古くって、1944年にはアリを一匹だけにした場合にどうなるかという研究が出ているんです。
――80年以上も前ということですね。すごいですね
古藤:はい。なので私たちが、アリって一人になったらどうなるんだろう? みたいに日常でポッと浮かぶような疑問は、すでに当時の研究者も注目していました。そしてこのすごく古い論文では、アリを一匹だけにして飼うと、あっという間に死んじゃうよと報告されているんです。
――え? 死んじゃうんですか? その、あっという間というのはどのくらいなんですか?
古藤:普通、コロニーで暮らしている働きアリの寿命は大体1年くらいあるんですが、それが20日くらいで死んでしまうんです。
――それは短いですね。けれどそんな昔から観察されているのにまだまだ、研究する余地は残っているんですか。
古藤:そうです。当時の研究は技術的にもかなり限られていましたから、なんでそんなことが起きるのか? どんな行動をするようになるのか? どこか具合が悪くなるのか? そういった情報は全くわからないままだったんです。
でもここ数十年くらいで、アリの行動を見る技術はすごく進歩してきて、それがアリの背中に二次元バーコードを貼って行動をデータ化して分析するなど、私が現在研究で使っている方法などです。
――そんな昔からわかっていた事実でも、詳しいことは現代まで不明なままなんですね。人間社会でも孤独な人ほどストレスが大きくなって早死のリスクが上がるとか、そういう研究報告を見かけますが、アリが一人ぼっちだと死んでしまう理由も寂しいからだったりするんでしょうか?
古藤:確かに一匹だけになったアリを見ていると、寂しそうに見えるんですよ。彼らが仲間と好んで過ごすような居心地の良い狭いスペースを用意しても入ろうとしないで、ずっとウロウロ不安そうに歩き回るんです。こういうのは不安様行動といって動物全般に観察される現象です。
ただ、寂しそうというのはあくまで私たち人間が思い浮かべるイメージでしかなくて、実際はもっと違う理由がいろいろ関係するのだと思います。
――具体的になにか身体の調子が悪くなっていたりするんですか?
古藤:孤立したアリの身体の中を調べてみると、食事はちゃんとしてるんですけど食べたものがちゃんと消化できずに残ってしまっているんです。
――それはなんか私が聞くと寂しくてストレスで消化が悪くなってるのかなって考えてしまいますが、違うんですか?
古藤:確かにストレス反応のようにも見えますが、アリたちはそもそもおいしい食べ物を見つけるとバクバクバクと食べるんですけど、それを消化しないで巣に持って帰って、これ美味しかったよと仲間に口移しで分け与える習性があるんです。だから仲間と一緒だと出来ていた行動ができなくなるというところに原因があるかもしれません。
――そうなると、アリはさまざまな役割分担を持って社会を築いて生きる生物だから、一人きりになってしまうと生存に必要な活動が上手くできなくなって死んでしまうということですか?
古藤:それも1つの要因だと思います。もう1つ重要なのはアリは一匹だと生物最大の目的であるはずの子孫を残すことができなくなってしまうことです。彼らは集団で社会を築いて女王を助けることで初めて子孫を残すことが出来ているんですね。だから一匹だけになってしまうと、それはもう生きる価値なしの状態になってしまうんです。彼らにとっては社会がないということは、生物として目的を達成できなくなるというところが大きいのかなって思いますね。
――なるほど、一人きりになっても生き残ることはそもそも求められていないということですね。
古藤:はい。ただ、そのはずなんですけどよく観察していると、非常に面白いことにほんの一部だけサバイバーがいるんですよ。一人になってもへっちゃらですって感じでずっと生きていられる個体がいるんです。だから孤立すると必ずしも全員死んでしまうわけではないんです。
――それは不思議ですね。そうなるとやっぱり人間みたいだなって想像してしまいますね。映画のキャスト・アウェイみたいに無人島で遭難しても一人しぶとく生きられる人と、すぐ死んじゃう人がいるみたいな。
古藤:そう、本当に環境に耐える能力はすごく個体差があって面白いなと思っています。
――なぜ一部のアリは孤立してもサバイバーになれるのかってことはわかっているんですか?
古藤:社会の中の仕事分担みたいなことを自分の中だけで完結できるのか、その仕組みはまだよくわかっていません。まず大多数は死んでしまうので、サバイバーを見つけて調べることが難しいんです。なので私が今やっているのはなんで孤立すると死んでしまうのか? その大多数の傾向として何があるのか? まずはそこをきっちり調べることですね。そして今後より長いスパンでは、少数の生きられる子たちは何が特別なのかを明らかにしていきたいと考えています。
アリはどうやって自分の仕事を決めているの?
――孤立したアリの観察もその1つということでしたが、アリの背中に二次元バーコードを貼っているあの研究は、他にはどんなことをやろうとしているんですか?
古藤:この方法を使うと例えば、誰と誰の仲がいいのかとか、そういう情報も取ることができるので、研究ではまだ200くらいの数でしかやっていないんですが、集団の中で誰がどういう特徴的な動きをしているかを見ることでアリの社会のまだわかっていない部分がいろいろわかるかもしれません。
――アリって身近な生き物なので、大体わかっているのかなと勝手に思っていましが、わからないことが多いんですね。ここからはそのわからない部分や最近わかったことを掘り下げて聞いて行きたいと思います。私がまず気になるのは、アリってどうやって自分の仕事を決めているのかなってことですけど。
古藤:私たちが労働分業と呼んでいるものですね。最初に説明しておくと、皆さんもなんとなくイメージがあると思いますが、アリの家族では女王を頂点に、みんなそれぞれが何らかの仕事のプロフェッショナルとして生活しているんですね。私は子育てします、私は外にご飯取りに行きます、私は巣のお掃除をします、みたいに。
――子供の頃みた昆虫のアニメなんかで、アリがそんな風に色んな仕事について暮らしているイメージを見た覚えがありますね。
古藤:それで今聞いていただいた労働分業がどうやって決まっているのかなんですが、実はよくわかっていないんです。
――え? それもまだ謎なんですね。
古藤:外に餌を取りに行きますという子たちは、だいたいこの家族の1、2割なんです。これは外に出ることが、感染症にかかるなどリスクがあるから、一部の限られた個体だけがそういう行動に出るんですね。
――でもそれがどうやって決まるかわからない?
古藤:そう。それで私がやっている研究は、この200匹の家族から1匹だけとか10匹だけ取ってきてどういう行動を取るか観察するものなんですが、このとき10匹だけ取ってきても、自然とその中の2匹が外に餌を取りに行くように役割分担が行われるんです。
――勝手に少ない集団の中で新たに役割分担が生まれるんですか?
古藤:そうです。不思議ですよね。これは子育てしているアリたちだけを10匹取ってきてもその中の2匹が餌取り係に変更になるんですね。この全体に対する各労働の比率っていうのは、どんな数の集団にしても私が観察する限りは一定なんですよ。
――ええ? 何か会議でもしているんですか?
古藤:今、私たち何人体制だから、じゃあ何人で行こうねみたいな話がそこでなされているのか、なんなのかわかんないんですけれども、本当に瞬間的にそのスイッチができるんですね。これは本当に面白いです。アリの会議を聞くことが出来るなら聞いてみたいですね。
――その10匹の中に女王アリっているんですか?
古藤:入れてません。だからアリたちの役割分担は組織に中枢がいて、それが指令を出しているというわけではないんですね。自然の中ではコロニーの中には何千匹といるわけですから、その情報を統合して管理するというのは非常に難しいですね。だから社会性昆虫の研究では、彼らがトップダウン形式で物事を決めているのではなく、そのときそこにいるメンバーで処理していく能力があるんじゃないかと考えられています。
――アリは女王を頂点とした社会と聞いていたから、勝手に女王様が指令を出して行動していると思ってましたけど、そんなことは無いんですね。なんか人間よりずっと優秀な印象がありますね。人間ならそうなれば、もう無意味な会議を何時間もして決まらない、みたいなことがありそうですもんね。
古藤:そういう意味では人間社会よりずっとスムーズに生きている印象がありますね。
寿命が30年!?女王アリの謎
――こういう研究では、アリたちを研究室の中で飼っていますけど、実験に使うアリっていうのはどうやって調達して来るんですか?
古藤:研究によっていろいろやり方はあると思いますが、私の場合はまず産総研の敷地内から新しい女王アリを捕まえてきます。女王アリさえいれば、あとはもうこのアリがせっせと卵を産んでくれるので、働きアリはどんどん増やしていけるんです。確かに最初の働きアリが出てきて動き出すまで3カ月くらいかかって、その次の世代が生まれるまでまた3カ月とかかかるので大変ではあるんですけど。女王さえいればアリのコロニーはどんどん大きくしていけます。
――なるほど。アリの研究をするときは、まず研究用のコロニーを作り出すところから始まるんですね。なんかもうシムシティとかそういうイメージですね。コツコツ1つの街をつくっていくような。
※苦手な人に配慮してぼかしています。本来の画像はこちら
古藤:そうですね。それに、女王アリって私が使っているクロオオアリでは寿命が30年くらいと言われていて、30年間ずっと子供を産み続けるんです。だから、もうほんとに家族とか友達みたいに長い付き合いになるので、愛着が湧きますね。
――え? そんな長生きなんですか? もうイヌやネコよりもずっと長生きですね。
古藤:生き物の寿命って身体のサイズと関連するとも言われますけど、昆虫の寿命としては本当にもういろいろ超越した長さですね。30年というのは。
――なんでそこまで長生きするんですか?
古藤:子供を産む以外何もしないということに秘訣があると言われています。生物はみんな次の世代を作ることが最大の目的で、そこに生命力のピークを持ってくるんですね。人間なら20代~40代くらい。なのでその期間を超えると衰えていく。昆虫だと交尾した直後に死んでしまうというのもたくさんいます。生殖能力があるゆえに私たちには老化や寿命があるといえます。それが女王アリは産むことだけに特化していてそれ以外何もしない。
――産み続けるからずっと生命のピークが続いているような感じですね。
古藤:これは他のあらゆる生命のルールに反していますよね。なにか生命の規則と真逆のことを実現している。なので女王アリの何が他の生命と違って特別なのか? ということは多くの人が疑問に思っていて、非常に注目を集めています。
――これについてもまだわかっていない問題ということですね。何か予想みたいなことは言われているんですか?
古藤:もちろんDNAを調べる方法があるので、その方向から調査はされています。これは私の研究とは別の話にはなりますが、1つに女王アリは遺伝子のエラーを修復する能力が非常に高いと言われています。人間も長く生きればがんになったり遺伝子のエラーは蓄積されていきますが、女王アリはそれを修復する能力が高い。
今の技術なら遺伝子発現がどういう風に変わっているか網羅的に見る方法もありますから、女王アリの長寿についてもこれからまた大きな成果が出るのではないかと思っています。
――それは楽しみな話ですね。では女王になる個体っていうのはどうやって決まるんですか? ハチなんかだと元々個体差はなくて特別な餌を与えられた子供が女王になるって説明を聞きますよね。それがローヤルゼリーですみたいな。
古藤:それもすごく面白くてですね、ハチはおっしゃる通りどういうものを食べさせるかで決まるんですね。でもアリについてはわかっていないことが多くて。
――え、これもわかっていないんですか?
古藤:そうなんです。ハチの巣って八角形の部屋に別れていますけど、あの部屋一つ一つに卵が産み付けられていて、その部屋のサイズいっぱいに成長するんですね。そして部屋の大きさはみんな一緒なんですけど、女王になる子だけ王座という大きい部屋に産み付けられて他より大きく育つんです。巣の構造からすでに女王として育てる子が決まっているので、他の仲間達もそれを理解して特別な餌をあげていると想像できます。
でもアリはまったく何の差もなくみんな一緒に同じ保育園のような場所で育てられるんですね。初期の段階では私たちから見ても何も違いが見分けられなくて、脱皮を繰り返してある程度育ったところで明らかに身体が大きい子が出てくると、あ、次の女王だなってわかるんです。
――生まれたときから特別というわけでもないなら、今のところ人間から見たらどうやって女王アリが出てくるのかわからないですね。でも先程も遺伝子の話しが出ましたけど、遺伝子を調べて何が違うかみたいな調査はあるんですか?
古藤:まさにそれは私も今やっている研究なんです。ただ今言った通り完全に初期の段階で女王アリを見分けることができないので、狙い通りに何か遺伝的な違いを初期の頃から見つけ出せるかはまだわからないです。
――そう考えるとほんと社会性のあるアリって言うのは面白いですね。そういえば女王アリが出現するペースってどうなっているんですか? 寿命が30年近くあると言っていましたけど。
古藤:私は研究室で飼育してると言いましたけど、飼育環境だと新しい女王が誕生するというのはほとんど見たことがないです。ただ、自然の中だと新しい女王は毎年土の中の巣から出てきています。
――飼育環境だと生まれないのはなぜなんでしょう?
古藤:季節要因が大きいと思いますね。自然でも女王が出てくる時期っていうのは1年のごく限られたタイミングで、クロオオアリの場合、冬から春になる辺りなんですね。研究室ではずっと日照時間から温度や湿度も安全に管理して飼育していますから、女王が出現するスイッチというのが入らないんだと思います。
ただ、野外の環境でも女王アリはずっと巣の奥にいて外には出ませんから、そういうことは感じ取れないでしょうし、やはり子育て担当が何か季節を感じ取って決めているのかもしれません。外に出ている仲間が何か巣の仲間に教えたりしているという可能性もあるでしょう。
実は誰でも簡単に捕まえれる!?女王アリの見つけ方
――さきほど女王アリをまず捕まえてきて研究用のコロニーを作るって話しが出ましたが、女王アリっていうのはどうやって捕まえるものなんですか? 昔自由研究で女王アリを捕まえて観察しようとしていた友達がいたんですけど、アリの巣を見つけてスコップで掘り返したりしても結局見つけられなかったんですよね。アリには迷惑な話ですけど、これは研究者じゃなくても誰でも捕まえることは出来るものなんですか?
古藤:巣穴の中にいる女王アリを捕まえようとすると、大きな巣を作るアリだったりすると巣穴の周り何メートル四方の地面全部くり抜いて持って帰って探すってしないといけないのすごく大変だと思います。
――ああ、やっぱそんくらい大変なものなんですね。
古藤:なので私もやったことありません(笑)
――え? ないんですか? 産総研の敷地内で女王アリを捕まているって話でしたけど。
古藤:これちょっと説明が必要なんですけど、さきほど話したようにクロオオアリの女王アリって自然の中では毎年春に巣の外にでてくるんですね。で、その新女王っていうのは元の家族とともに暮らすんじゃなくて、外へ出ていくんです。その新女王アリたちが一斉に巣から飛び立つ日というのがあって、私たちはそれを結婚飛行の日って呼んでいます。
――結婚飛行ですか?
古藤:お嫁に行く日ってイメージですかね。その日はオスアリたちも同時に巣を飛び立って行きます。なのでアリたちには、新女王アリとオスアリだけに翅が生えているんです。そして空で出会って飛びながら交尾をするんですね。そして交尾を終えたオスはそのまま死んでしまい、残った女王アリは地面に降りると自らボキボキっと翅を切り落として地面に潜って、そこで自分の新しいコロニーを作るんです。
――へえ、新しいアリの巣ってそんな風に誕生しているんですね。
古藤:で、もうこの結婚飛行の日になると本当に信じられないぐらいの数の新女王アリが飛び立つんですね。だからその日は10分も歩いていると女王アリが地面に落ちているのを何匹も見つけられます。
――え? じゃあ女王アリって地面に落ちているんですね。そんなたくさんいるんですか?
古藤:もうめちゃめちゃいます。
――その結婚飛行の日っていうのはピッタリ何月何日に起きる現象みたいに決まっているんですか?
古藤:結婚飛行の時期っていうのは種類によって季節が異なるんですが、私が研究に使っているクロオオアリはGW当たりが結婚飛行の日なんです。これは何月何日って決まっているわけでは当然なくて、気象条件によって決まります。具体的には気温の高くて、前日に雨が降っていた日ですね。そして当日はカラッと晴れていて風がない。これが条件です。
――なんか魔女の宅急便みたいですね、飛び立つならこの日がいいみたいな。前日に雨が必要っていうのは?
古藤:地面がカラカラに乾いていると硬いので、湿って掘りやすい状態になっているということが大事なんですね。女王アリは交尾の後、地面に潜る必要があるので。そして空で交尾するので風があってはダメなんです。だからアリの習性をよく知っている人は、結婚飛行の日って感じ取ることができるんですよね。絶対今日だなって。今はTwitter(現X)とかがあるので、日本全国でアリ好きな人達が情報をシェアしていますよ。九州では今日でした、みたいに。
――本当だ。結婚飛行で検索するとTwitterでもいっぱい情報が出てきますね。じゃあこういう情報を元に外に出てみれば、女王アリを簡単に見つけてくることができるんですね。そんないっせいに大勢の女王アリが巣を作り出すと、巣の場所がぶつかっちゃったりってしないんですか?
古藤:確かに私たちが見ていても、すごく近くで別々の女王アリが地面に潜っていて、これ大丈夫なのかな、って思いますけど、彼らはテリトリーがぶつかりあうとやはり喧嘩しますね。
――アリの戦争ってどういう感じなんですか?
古藤:アリたちはニオイで自分の仲間、家族を識別していてニオイの異なる相手が巣に近づくと戦うんですね。ただこれもどの程度戦うかは種類によって違っていて、もう首を切り落とすまで激しく戦うのもいれば、優しい種類はなんかわちゃわちゃぶつかり合っている間に自分のニオイが相手についちゃって敵と認識できなくなって仲良くなっちゃうこともあるんです。
――仲良くなっちゃうんですね。それはなんか微笑ましいですが、やっぱり海外種の方が攻撃的だったりするんですか?
古藤:私が観察したことがある種類では、むしろ日本のアリの方が攻撃的ですね。生物学的に近縁の種類のアリであっても住む地域で性格とかが変わるようですが、私が留学中に見ていたアリは優しくって喧嘩してもいつの間にか仲良くなっちゃって一緒に暮らし始めてたんですが、日本のクロオオアリの場合はぶっ殺すぞって勢いでした。
――意外ですね。日本の方が穏やかなのかと思ってましたが、日本のアリはサムライなんですね。
古藤:まあ実際は性格というよりニオイの強さが関係するんだと思います。
人間社会とアリの社会で似ているところはコロナ時の対応?
――こうやって聞いているとアリの社会と人間社会の類似性って気になってしまいますが、例えば私たちは気づいていないけれど、アリの研究者から見ると人間社会で起こっているこの問題ってアリの社会と同じだなあって感じることはあるんですか?
古藤:そうですね、これは私自身の研究ではないんですが、社会性昆虫の研究で有名なものに社会性免疫というものがあるんですね。集団が密接して暮らすということは感染症リスクがものすごく高いんです。これは私たちがここ数年で経験したコロナウイルスと全く同じことで、社会的距離が感染症の伝搬リスクを高めてしまいます。
アリの場合はカビなどの感染が多いんですが、感染症を巣に持ち帰ってしまうと女王から幼虫まで広がって一家全滅の危機に陥ってしまいます。なので、彼らは病気になって苦しい、しんどいとなると巣に帰らないようになるという報告があります。
――ええ? そういうのはちゃんと分かるんですか?
古藤:彼らは検査ができるわけではないですから、陽性とか陰性と判断できないですよね。なので具合が悪くなると巣を守るために帰らないという選択をすることが知られています。一方で感染してても割りと元気な状態だと、逆に巣に戻って周りの仲間と積極的に接触することも観察されています。
――逆に接触するんですか? それはどういう意味が?
古藤:そうすることで周りの仲間も微弱な感染を起こしますよね。これによってワクチンの効果を得ようとしているようです。
――それはいわゆる集団免疫を獲得しようというような行動ですか?
古藤:そう解釈されています。ただ、このときランダムに仲間と接触するとどんどん感染が広がって行ってしまいますから、このとき彼らは決まった仲間の集団だけで接触をするようになって、社会的なネットワークが変化するということも最近の論文では報告されています。
――それはなんだか、コロナウイルスが広まったときに、人間の社会でもただの風邪だと言って仲間内だけで積極的にパーティーを開く人たちがいたり、逆に危険だと判断した人は外出を控えて距離を取るようにしたりと人同士のネットワークが変化したことと符号する気がしますね。
古藤:そうですね。感染症のリスクは社会を作って暮らす生物にとっては逃れられない宿命なので、あらゆる手段で戦おうとするのは、生物共通なのだと思います。
――コロナウイルスで起きた社会的な混乱って、見ていてなんだか人間って愚かだな、みたいな気分にさせられましたけど、それは人間に心があって身勝手な人がいるとかそういう問題ではなく、社会性を持つ生き物なら人間でなくとも自然と色んなスタンスで対処して全滅を避けようとするってことなんですね。非常に興味深いです。
アリに関する素朴な疑問 「お尻が大きい理由や家への侵入を防ぐ方法は?」
お尻が大きいのはなんで?
――あとアリに関する素朴な疑問でアリのお尻はなんであんな大きくて、他はキュッとしまった形になっているのかっていうのも気になってるんですが。
古藤:あのお尻って言ってる場所はお尻ではなくてお腹なんですが、アリのお腹の中にはすごく伸縮性があってハムスターのほっぺみたいに食べ物を溜めておける貯蔵袋のような部分があるんですね。
さっきも食べたものを溜めておいて仲間に分け与えるみたいな話しをしたと思いますが。彼らにとっての生きるモチベーションってやはり女王を助ける、社会を維持するってところにあるんですね。だから食べ物も自分の分だけ食べればいいものを、もうすごくお腹いっぱいに溜め込んで持って帰って仲間にわけようとするんですね。
――食事は仲間と分け合うことが前提の食べ方なんですね。どのくらいお腹に貯めこめるんですか?
古藤:そうですね砂糖水とか与えると本当にお腹がパンパンになるまで飲みます。なので色の付いた砂糖水を与えると、お腹が赤とか青とかに染まって水風船みたいになるので面白いですよ。
――これは自由研究をする子供にも、良さそうな情報ですね。簡単に試せそうですし、見た目が面白いので。
家に入ってきちゃうアリはなんなの?
――あと気になるのが、アリはどうやって食べ物を見つけてるんだってことですね。子供の頃、部屋においていた飴の缶に大量のアリが群がってトラウマになっちゃったなんて人の話をたまに聞くんですけど、どうしてそんな人間の家の中にある食べ物に気づいて大勢でやってくるんですか?
古藤:自然のアリの行動範囲って言うのは研究室で観察してる私にはわからないですけれど、ただ非常に広いのは確かなので、食べ物の発見っていうのはランダムに起きているんだと思います。彼らは実際はかなり臆病で、食べ物を見つけたからってすぐにがっついたりしないんですね。ちょっと食べてみたり持ち帰ってみて大丈夫だな、となると繰り返し取りに行ったりします。
――じゃあ見つけたあと大勢でやってくるっていうのは、やっぱり呼びに行ってるんですか? なんかフェロモンで道筋をつけて辿ってるっていうのも聞いたことありますけど。
古藤:アリは常に歩いた場所にフェロモンを付けているので、大丈夫なご馳走だとわかると、彼らは繰り返し同じ道を行き来して、その度にフェロモンの跡がどんどん濃くなってくるんです。そうなると他より濃い道筋ができる。それは辿っていけば当然なにか良いことがあると他の仲間にもわかるので、だんだん増えていくわけです。
――ああ、人間にもありますよね、知らない店だけど行列できてると美味しんだろうとか思って並んじゃうみたいな。それに近い感覚でだんだん集まっていくんですね。でも家の中に入ってこられると困るじゃないですか。アリのこういう家の侵入を防ぐ方法って研究者の方は何か知ってたりしますか?
古藤:それ実はすごくよく聞かれるんです。これは登ってほしくない壁や縁にベビーパウダーを塗っておくと効果があると言われています。
――ベビーパウダーですか?
古藤:私たちも二次元バーコード貼ったアリを観察する際は、邪魔になるので蓋を外してアリのケースを撮影したいんですね。でもそうすると当然アリは逃げちゃいます。そのときに壁に粉を振っておくと、アリたちは滑って登れなくなるんです。研究者はもう仕事なので専用の粉を使っていますが、一般の人では手に入れづらいものなので、これはベビーパウダーでも代用できるって言われてます。
とても特殊なアリのオス
――働きアリって全部メスって聞きますけど、アリのオスってどうなっているんですか? 巣の中で女王しか子供を産まないってなると、その巣内では全部近親相姦みたいになってしまう気もしますが。
古藤:アリやハチのオスっていうのは非常に特殊な位置付けなんですね。通常の生物はお父さんとお母さんから染色体を半分の1セットずつもらって2セット持っています。これはアリのメスも同様なんですが、アリのオスについてはこれが半分、1セットしかないんですね。
基本的に女王アリは、結婚飛行の日にむけて産む以外、オスは作りません。それが外の巣の女王アリと出会って交尾して死ぬ。それが彼らのサイクルですね。
――あれ? それだと結婚飛行の後に子供を産むときの精子っていうのは女王アリはどうしているんですか?
古藤:アリの交尾は結婚飛行のとき空でするのが生涯で唯一の交尾になるんです。
――え? でもさっき女王アリは30年近く生きて卵を産み続けるって言ってませんでした?
古藤:そう、女王アリの体には貯精嚢という場所があって結婚飛行で受け取ったときの精子を30年間ずっと溜め込んだまま少しずつ使い続けて子供を産むことになるんです。
――ああ、それナゾロジーでも前に他の方の研究で取り扱ったことがありましたね。何でアリの女王が常温で30年近く精子を保持し続けられるのかっていう。
古藤:それもすごく面白いトピックスですよね。
――そこでも女王アリってかなり特殊なんですね。そういえば女王アリが死んでしまうと残った働きアリってどうなってしまうんですか?
古藤:そうですね、それも非常に面白くて、働きアリも卵をうめるようになるんです。
――え? 働きアリも子供が作れるんですか。
古藤:女王がフェロモンなどで他のメスの働きアリが産卵しないように制御していることが知られています。女王が死ぬとそのストップがなくなるので働きアリも産卵できることが知られています。
――でも相手となるオスがいないですよね?
古藤:そうです。なので先程話した未受精卵を産卵するんですね。つまりオスを産むんです。そしてこのオスたちは結婚飛行の日には女王アリを求めて飛び立ちます。そうして女王が死んでコロニーは滅びるけれど、自分たちの子孫は残せる可能性を作り出すんです。
――こうして聞くとほんとアリは特殊で驚くことばかりですね。
古藤:本当にそうです。働きアリの労働分業もメスの中だけだとスムーズに行われますけど、オスだとこれが起きないんですね。なので、アリの集団内のオスって言葉は悪いですが本当に使えないというか、何をしたら良いのかわからなくてオロオロしてたりボーっとしてたりするんです。なので、アリのオスについても、本当に決まった時期にまとめて作られるだけで基本的にはいないんですね。
――二次元バーコードのタグを付けてアリを追うって技術でこれから色んなことがわかってくるかもしれないですね。いずれにせよ、アリってまだまだこれから解明が進む生き物なんですね。人間社会との類似っていう部分でももっといろいろ掘り下げていけそうで、本当に興味深いですね。
謎だらけの身近な昆虫 アリ
――本日はいろいろお話を聞かせていただいて、本当にありがとうございました。
アリって子供の時にずっと眺めていたような記憶があるので、研究者の人たちはもうほとんどのことがわかっているんだろうな、と勝手に思っていましたけど、実際は身近な生き物なのにわからないことだらけなんですね。
古藤:そうですね。1つはアリにしろハチにしろ社会性昆虫というのが、研究室の限定された空間で維持や飼育するのが難しいということがあると思います。はじめに話したようなアリが1匹だと死んじゃうよという論文は80年近く前に出ているのに、研究が進展してこなかったというのは、アプローチの仕方に限界があったためですね。
だから何十年も後になって、同じ疑問を持った私のような人間が、新しく出てきた技術を使って調べると、一歩研究が先に進む。わかっていないことはまだまだたくさんあります。
私たちは勝手に身近な生物や、よく疑問に思う問題はどこかの研究者がとっくに解決しているんだろうと考えてしまいがちです。
しかし、実際はこんな身近なアリにさえ、多くの研究者が着目する不思議が数多くあり、まだ解明できないままなのです。
研究者は我々と同じように疑問を感じ、長い歴史ある研究を引き継いで少しずつ進展させています。
アリの研究には人間社会の問題点を異なる角度で明らかにしてくれる面白さもあります。
もしかしたら私たちが抱える社会問題が、アリの生態から解決されることもあるのかもしれません。
もし夏休みの自由研究のテーマに悩む学生さんがいるなら、次はこの謎多き生き物アリにしてみるのもいいかもしれません。