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元祖ドラキュラのヴラド3世は「血の涙」を流す奇病にかかっていた!


15世紀に実在したヴラド3世は、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとなった人物です。

最近、伊カターニア大学(University of Catania)を中心とする国際研究チームは、ヴラド3世が残した直筆の手紙からヒト由来の化合物を100種類ほど採取。

それを調べた結果、ヴラド3世は「血の涙」を流す奇病にかかっていた可能性が高いことが明らかになりました。

ヴラドは生涯に8万人もの命を奪う血塗られた一生を送りましたが、自らの体も血に呪われていたようです。

研究の詳細は、2023年8月8日付で科学雑誌『Analytical Chemistry』に掲載されています。

目次

  • 逆らう者は「串刺し」にしたヴラド3世の残忍な生涯
  • ヴラドは晩年に「血の涙」を流す奇病にかかっていた?

逆らう者は「串刺し」にしたヴラド3世の残忍な生涯

ヴラド3世(1431〜1476)は、15世紀のルーマニア南部に存在したワラキア公国の君主です。

父は通称・ドラクル(ドラゴン公)として知られたヴラド2世で、1436年からワラキア公を務めていました。

そのため、その息子のヴラド3世はのちに「ドラクル(ヴラド2世)の子供」という意味を持つ「ドラキュラ公」の通称で有名になります。

現代では吸血鬼の代名詞のようになっているドラキュラの本来がドラゴンの子供なのは意外に思う人もいるかもしれません。

ただ当時、キリスト教では悪魔がヘビやドラゴンとして描かれており、ドラゴンと悪魔は同一視される傾向にありました。

そのためドラクルは「悪魔公」と解釈され、さらに息子であるヴラド3世も「悪魔の子」という見方を人々からされています。

ブラム・ストーカーが自身の小説の吸血鬼にドラキュラの名前を与えたのも、この悪魔の子のイメージがあったことが理由の一つです。

ヴラド3世の肖像画
Credit: ja.wikipedia

ここまでの説明だとヴラド3世が悪魔の子と呼ばれるのは誹謗中傷に聞こえますが、もちろん彼には、ちゃんと「悪魔の子」と呼ばれるだけの残忍さがありました。

彼がワラキア公を務めた1448~1476年の間、ワラキア公国はオスマン帝国と対立関係にありました。

1462年のトゥルゴヴィシュテの戦いで彼は、約2万人の敵兵がいる陣地に夜襲をかけて全員を串刺しの刑に処して殺害します。

オスマン帝国のメフメト2世はその串刺しの山を目にして戦意を喪失し、ワラキアから撤退したという。

この事件をきっかけにヴラド3世は「串刺し公」とも呼ばれるようになりました。

日本で彼はヴラド・ツェペシュと呼ばれますが、このツェペシュはルーマニア語で「串刺しにする者」の意です。

ヴラドによる串刺し刑を描いたもの
Credit: ja.wikipedia

また串刺し刑は当時のキリスト教圏で最も卑しい刑罰に当たり、あくまで重罪を犯した農民に限られて行われるものでした。

ところがヴラド3世は自らの権威の絶対性を誇示するために、農民も兵士も貴族も見境なく、逆らう者は誰でも串刺しに処したのです。

他にも彼は有力貴族をパーティーに招待して酒宴を開き、油断したところを皆殺しにしたり、病気の流行を止めるためと称して、罪なき貧者や病人、ジプシーを建物に閉じ込めて放火したと伝えられています。

一説によると、ヴラド3世は生涯に8万人以上の命を奪い、その多くが串刺し刑で殺害されたという。

彼自身は1476年にオスマン帝国との戦いで戦死したか、あるいは敵対するワラキア貴族による暗殺で死んだと言われています。

彼の血塗られた人生は、まさにドラキュラのモデルとしては打ってつけだったでしょう。

そして今回、カターニア大の研究で、ヴラド3世の血に呪われた一面があったことが新たに示されたのです。

ヴラドは晩年に「血の涙」を流す奇病にかかっていた?

研究チームは今回、冷酷なヴラド3世を苦しめた病気があるとすれば、どんなものだったろうかと考えました。

それを確かめるべく、ヴラド3世が直筆で書いた3通の手紙を分析することに。

これらは1457年と1475年に書かれた手紙で、すべてルーマニアの都市シビウの統治者だったトーマス・アルテンベルジェ(1431〜1491)に宛てられており、徴税などの日常的な事柄が記載されています。

1475年8月4日付けの手紙(右はUV蛍光下で検出されたアミノ酸のマッピング)
Credit: Maria Gaetana Giovanna Pittalà et al., Analytical Chemistry(2023)

手書きの場合、書き手は必然的に紙に触れることになりますが、その際、手の皮膚から多様な化学物質が紙媒体に移動することが分かっています。

チームは手紙を傷つけずにヒト由来のタンパク質とペプチドを採取すべく、エチレン酢酸ビニル(画像中の茶色いパッチ)を塗布しました。

(ちなみに、タンパク質はアミノ酸が50個以上結合したもの、ペプチドはアミノ酸が50個未満で結合したものを一般的に指します)

そして採取した化合物を質量分析した結果、500種類以上のペプチドを含む残留物が発見され、さらにその中からヒト由来の物質を100種類ほど検出しました。

これらを綿密に調べたところ、ヴラド3世は細胞機能や臓器の働きを損なう遺伝性疾患の「繊毛病(せんもうびょう)」にかかっていた証拠が見つかっています。

また気道や皮膚に問題が生じやすくなる炎症世疾患の痕跡も特定されました。

1475年に書かれた手紙
Credit: Maria Gaetana Giovanna Pittalà et al., Analytical Chemistry(2023)

しかし最も興味深かったのは、血の混じった涙を流す奇病である「ヘモラクリア(hemolacria)」に関連する物質が見つかったことでした。

これは1475年の手紙からのみ検出されたので、ヴラド3世は晩年にこの奇病に苦しんだことが伺えます。

ヘモラクリアは血液成分が涙管の液体と混じる珍しい症状で、涙腺に出来た腫瘍、細菌性の結膜炎が主な発症原因です。

女性では、妊娠可能な期間中にホルモンバランスが崩れることで発症することもあります。

症状には個人差があり、うっすら赤みを帯びる程度の涙から、完全に血が流れ出すような涙まであるといいます。

当時はまだヘモラクリアに関する詳しい医学的知識がありませんから、ヴラド3世は自身の目から血が流れ出ることにかなり恐れ慄いたのではないでしょうか。

もしかしたら今まで殺めてきた人々の血の呪いと思い込んで、自らの残忍な行いを悔い改めたかもしれません。

しかし、吸血鬼ドラキュラのモデルが血の涙を流していたするなら、なかなかによく出来た話です。

普通の人間が吸血鬼の真似をして大量の血を飲んだらどうなるの?

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参考文献

Vlad The Impaler May Have Cried Tears Of Blood https://www.iflscience.com/vlad-the-impaler-may-have-cried-tears-of-blood-70189 Testing of Vlad the Impaler’s letters show he may have had condition causing his tears to be mixed with blood https://phys.org/news/2023-08-vlad-impaler-letters-condition-blood.html

元論文

Count Dracula Resurrected: Proteomic Analysis of Vlad III the Impaler’s Documents by EVA Technology and Mass Spectrometry https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.analchem.3c01461
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