励ましや応援、エロティックな言葉は、左耳から語りかけると効果が高まるかもしれません。
スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)はこのほど、ポジティブな感情を誘発する発声音は左耳から入ることで脳がより強く活性化することを発見しました。
これだけを聞くと「右耳から入った情報は左脳に、左耳から入った情報は右脳に届く」というよく知られた学説を想起されるかもしれません。
一般に右脳は感情や直感と、左脳は論理的思考と大きく関係するので、左耳から入った音声ほど感情を活性化させやすいことが20年以上前から指摘されてきました。
しかし今回の結果はそれとは違います。
というのも、左耳から入ったポジティブな発声は、右脳と左脳の両方に存在する「一次聴覚野」を強く活性化させたからです。
研究の詳細は、2023年5月19日付で科学雑誌『Frontiers in Neuroscience』に掲載されました。
目次
- 私たちは「音」とどう関わっているのか?
- ポジティブな声は「左耳」から語りかけるといい?
私たちは「音」とどう関わっているのか?
私たちにとって「音」は、振幅や周波数といった物理的な側面を超えた「意味」を持っています。
人の声にしても環境音にしても、それが心地いいか不快であるか、安心できるか警戒すべきかなど、多様な受け取り方をしているからです。
たとえば、笑い声や明るい音楽を聞くと嬉しくなり、泣き声や暗い曲を聞くと悲しくなることが多いでしょう。
つまり、あらゆる音は私たちに、ポジティブ・ネガティブ・ニュートラル(中立)といった「感情的価値(emotional value)」を誘発します。
そしてこの音の生み出す感情的価値は、音の種類だけでなく、聞こえてくる方向によっても変化することがわかってきています。
EPFLの研究チームは以前の調査で、人は後方から聞こえてくる音により敏感に反応しやすいことを発見していました。
実験では、後方から近づいてくる音を聞かせると、前方や左右から同じ音を聞かせたときよりも、警戒心や不快感、興奮度が大きくなったのです。
「これには進化上のメリットがある」と研究者は指摘します。
たとえば、先史時代の人類は、無防備な背後から近づいてくる獣にいち早く気づく必要があったはずです。
現代の我々でもカツカツと響く靴音などは、前方から聞こえて来たときより、後方から聞こえて来たときの方が強く不安を感じるでしょう。
このように、音が聞こえてくる「方向」によっても私たちの感情は異なる反応を示します。
そして同チームは今回、この「音の感情的価値」と「それが聞こえてくる方向」の関係性について新たな発見をしました。
それが、ポジティブな感情を誘発する発生音は、左耳から入ったときに脳を最も強く活性化させるという事実です。
この決kは、どのような実験から導かれたのか、次に見ていきましょう。
ポジティブな声は「左耳」から語りかけるといい?
チームは20代半ばの健康な男女13人を対象に、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて、右・左・前方から聞こえてくる音に脳がどう反応するかを調べました。
実験では、人の発声音と人以外の環境音を分けて、ポジティブ・ネガティブ・ニュートラルの音を用意しています。
具体的には、ポジティブ発声音は「赤ちゃんや大人の笑い声、男女のエロティックな声」を、ネガティブ発声音は「怯えた叫び声、嘔吐、乱闘の音声」を、ニュートラル発声音は「アー、ウーなどの意味のない母音」などを使いました。
一方で、ポジティブ環境音は「拍手や缶ビールをプシュッと開けてグラスに注ぐ音」を、ネガティブ環境音は「時限爆弾のチクタク音、自動車の事故の音、ガラスが割れる音」を、ニュートラル環境音は「風が吹く音、電車の通過する音」などを用いています。
2回のfMRIセッション(各55~60分)で音サンプルを聞かせ、脳内で最初に音声の処理に関わる「一次聴覚野」の反応を比較しました。
一次聴覚野は右脳と左脳の両方の側頭葉に存在します。
その結果、被験者の一次聴覚野は、ポジティブな発声音を左側から聞いたときに最大に活性化することが実験的に示されたのです。
同じ音声を前方や右側から聞かせても脳はまったく活性化しなかったといいます。
さらに、それ以外のネガティブ・ニュートラルな発声音に加え、ポジティブなものも含むすべての環境音は、どの方向からも一次聴覚野を有意には活性化させませんでした。
左耳から入ったポジティブな「人の声」だけが脳を強く活性化させたのはとても興味深い点です。
研究主任のサンドラ・ダ・コスタ(Sandra da Costa)氏は「これは脳の一次聴覚野が左方向からのポジティブな声を優先的に識別・処理していることを示唆する」と指摘します。
加えて「この結果は広く知れ渡った従来の学説とは一線を画すものだ」とも述べました。
従来の学説とは、最初に話した「右耳から入った情報は左脳に、左耳から入った情報は右脳に届く」という説です。
一般的に、右脳は感情や直感と、左脳は論理的思考と大きく関係するので、左耳から入った音声ほど感情を活性化させやすいと言われていました。
ところが本研究では、右脳と左脳の両方にある脳領域が活性化していることから、この説とは明らかに異なるものです。
ASMRは左耳への囁きが効果的
一方で、なぜ脳は左から聞こえてくるポジティブな発声により強く反応するのか、あるいはそれが進化上どんなメリットを持っていたのかは定かでありません。
また、どうしてポジティブな環境音では反応しないのかも不可思議な点です。
しかし進化的な意義は不明でも、この知見を実際の生活に役立てるには十分でしょう。
たとえば、励ましや応援の言葉は左耳から語りかけると効果が高まる可能性があります。
また今回研究が述べているポジティブな音声とは、喜びの感情につながるような音声のことであり、そこにはエロティックな音声も含まれています。
最近はバイノーラル録音という、音の方向を明確に左右で区別した収録方法があり、これを利用したASMRなどのコンテンツも人気です。
今回の結果が事実ならば、こうしたコンテンツでは主に左耳から語りかけるように作った方が、よりユーザーを喜ばせられる可能性があるようです。
参考文献
Our brain prefers positive vocal sounds that come from our left https://blog.frontiersin.org/2023/05/19/our-brain-reacts-more-strongly-to-positive-human-sounds-if-these-come-from-our-left/元論文
Emotional sounds in space: asymmetrical representation within early-stage auditory areas https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fnins.2023.1164334/full#h4