生命を組み立て変質させることを目指す「合成生物学」が医学革命を起こすかもしれません。
米国のカリフォルニア大学(University of California)で行われた研究によって、追加機能をプログラム可能な準生命体と言える「サイボーグ細胞」が開発されました。
新たに開発されたサイボーグ細胞は高度な運動能力を維持しつつ内部には堅牢なポリマー骨格が組み込まれており、通常の細胞にとって致死となる高酸化環境、高アルカリ環境、高濃度の抗生物質環境に耐え、さらに偽結核菌の遺伝子を組み込むことで、哺乳類のがん細胞内部に侵入する能力を備えています。
研究者たちはこのサイボーグ細胞をプラットホームにすることで、病気の患部にだけ薬を届けたり、特定の汚染を除去するための分解酵素を届けたりなど、医学的に価値のあるさまざまな用途に活用できると述べています。
研究内容の詳細は2023年1月11日に『ADVANCED SCIENCE』にて公開されました。
目次
- プログラム可能な準生命体「サイボーグ細胞」の開発に成功!
プログラム可能な準生命体「サイボーグ細胞」の開発に成功!
現在の合成生物学が目指す究極の目的は、生命システムを改変し、目的に応じて自由に追加機能をプログラム可能なバイオマシンを作り上げることです。
現在の医薬品は胃腸薬として使われる乳酸菌など一部を除いて、基本的には非生命によって構成されています。
一方、合成生物学が目指すのは、がん細胞だけを食べてくれたり、薬物を特定の臓器に届けてくれたり、老化した細胞のDNAを修復してくれる人工生命体です。
人工生命体と言うとSFやオカルトの世界の話だと思われがちですが、凄まじい速度で進歩する合成生物学は、夢のような話を着実に現実に変換しつつあります。
合成生物学によって人工生命体を作る方法は現在2つ存在しており、1つは生命の遺伝子を組み変えて人類にとって都合のいい機能を詰め込む方法です。
この方法はベースが元から存在する生命体であるため、現在の技術でも比較的容易に作り出すことが可能です。
もう1つの方法は、細胞膜やDNAなど生命の材料を組み合わせて、目的とする機能を備えた新たな生命体をゼロから組み上げる方法です。
こちらの方法も近年では大きな進歩をみせており、細胞分裂やエネルギー代謝など生命特有と思われていた現象を、人工細胞で部分的に再現することに成功しています。
ですがどちらの方法も生物学的不確定さ、つまり増殖速度のコントロール失敗や事故などでの自然界への拡散などの危険性を抱えています。
そこで今回、カリフォルニア大学の研究者たちは、第3の戦略として既存の生命の細胞質部分に働きかけ、新たな機能を獲得させる方法を考案しました。
細胞質とはDNAがある場所と外側の細胞膜の中間にあるゲル状の領域であり、生命はこの細胞質部分で生命活動に必要な化学反応を行ったり、DNAの情報を3次元的なタンパク質構造に変化させています。
DNAが生命の設計図ならば、細胞質は生命活動の基礎環境(化学反応の場)を提供している存在と言えるでしょう。
そして設計図が同じでも組み立て環境が異なれば、最終的な生産物も違ってきます。
そのため細胞質部分の改変によって、理論的には、生命体の性質を直接的に変質させることも可能になります。
また細胞質部分の改変は限定的なものであり、細胞分裂によって2個、4個、8個と増殖するにつれて、改変の影響は指数関数的に減少していきます。
(※細胞の細胞質部分に光るビーズを入れた場合、細胞分裂によって数が増えるにつれて、細胞1個あたりのビーズの量はどんどん減っていくからです)
新たに行われた研究では、この細胞質改変の手段に特殊な人工ポリマーが使用されています。
この特殊な人工ポリマーは最初は粘度の低い状態にあり、細菌などの細胞質部分に容易に注入することが可能です。
しかし注入後、紫外線を浴びせると分子同士がネットワーク上に結合(架橋)し、細菌の細胞質部分に強固な人工骨格を作り出します。
これにより細胞質の粘性を飛躍的に増加し、化学反応の場としての変質を起こすとともに、細菌細胞を人工材料と組み合わせたサイボーグ細胞へと変化させます。
研究では、このサイボーグ細胞が細胞分裂を起こさなくなった代わりに、通常の細菌に比べて、高アルカリ性環境や高酸化環境、高濃度の抗性物質環境に対して高い耐性を発揮していることが実証されました。
研究者たちは「サイボーグ細胞は実際のサイボーグのようにタフだった」と述べています。
またサイボーグ細胞は運動性、エネルギー代謝能力、タンパク質合成能力、遺伝子機能が正常に動作しており、通常の生物学的機能の多くを維持していることが明らかになりました。
細胞分裂を起こさなくなったという点は一見するとマイナスに思えますが、寿命と同時に死を迎えてくれるために、環境への流出などのリスクを最小限に抑えられることも示します。
次に研究者たちは、サイボーグ細胞の遺伝子を組み変えて、ヒトがん細胞に侵入する能力を付与できることを示しました。
サイボーグ細胞に組み込まれたのは偽結核菌が哺乳類細胞に侵入するときに使うタンパク質(インベイシン)の遺伝子です。
結果、サイボーグ細胞がヒトがん細胞内部に入り込んでいることが判明。
もしサイボーグ細胞に追加で細胞死を誘発する信号や免疫システムを呼び寄せる信号、そしてがん細胞のみを認識して侵入する仕組みなどを組み込めば、がん治療に大きく役立つでしょう。
また人工ポリマーによる生物のサイボーグ化処理は遺伝子の変更をともなわないため、基本的にどの細菌に対しても行うことが可能であり、現在進行中の追加の実験では、複数の細菌種をサイボーグ化することに成功している、とのこと。
ただ生命を簡単にサイボーグ化する技術は、生命と非生命の間を曖昧にする可能性があります。
サイボーグ化した細菌や受精卵、胚を生物として扱うべきなのか?
サイボーグ化技術は私たちの生命倫理に新たな課題を投げかけています。
参考文献
Scientists Create Semi-Living ‘Cyborg’Cells That Could Transform Medicine https://www.sciencealert.com/scientists-create-semi-living-cyborg-cells-that-could-transform-medicine元論文
Engineering Cyborg Bacteria Through Intracellular Hydrogelation https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/advs.202204175