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動物に育てられた子ども達。人間らしさを失った14人の子ども達に言葉を失う。


 

オオカミ少女「ロボ」

それは1845年のこと。森の中でオオカミの群れと共に四つん這いで走り、ヤギの群を襲っている少女の姿がメキシコで目撃されました。その一年後、捕らえたヤギをオオカミ達と共に食しているところを再び目撃されます。

一度は人間に捕らえられた少女ですがまんまと逃げられてしまい、1852年には二匹のオオカミの赤ちゃんに授乳しているところを目撃され、森の中へ消えていきました。

以来、彼女の姿を見た者はいないという。

人間に捨てられ犬と共に育ったウクライナの少女

1991年、一人の少女がウクライナのとある犬舎で犬達と暮らしているところを発見され保護されました。彼女の名前は「オクサナ・マラヤ」。発見当時の彼女は8歳で6年もの間犬達と生活を共にしてきたのです。

オクサナの両親はアルコール中毒で、ある晩わずか3歳であった彼女を寒空の下に放り出しました。暖を求めてさまようオクサナが辿り着いたのはとある農家の犬舎。そこで彼女は犬達と共に丸くなって寒さをしのぎ命拾いをしたのです。

発見当初のオクサナの様子は人間の子供とは程遠いもので、犬のように四つん這いで歩き、舌を出しハァハァと息をしながら歯をむき出し吠えかかって来ました。わずか3歳で両親に捨てられた彼女には人との関わりが無く、知っている言葉といえば「はい」と「いいえ」のみだったのだそう。

保護されたオクサナは徹底的なセラピーを受け人間社会のルールや言葉を学んだのですが、彼女の知能は5歳児程度で留まってしまいました。

今年31歳になったオクサナはオデッサ州にある精神病院でスタッフ監視の下「家畜」として暮らしています。

土を喰らう野生児「シャムデオ」

それは1972年のインドでのお話。ある日森の中でおよそ4歳ほどの男の子が発見されました。シャムデオと呼ばれるその小さな男の子はオオカミの子供達と森で遊んでいるところでした。

その肌は浅黒く、牙のような鋭い歯と長く尖った爪に泥だらけの毛髪。更にその手のひら、肘、膝はタコだらけ。シャムデオは野犬と連みニワトリの狩りをすることを好み、土をむさぼり生き血を欲していました。

保護後やっとのことで生肉を食すことを辞めさせることが出来たのですが、その間手話を少し習得したものの人間の言葉を発することは一度もなかったのだそうです。

1978年、シャムデオはラクナウ県にあるマザー・テレサの養護施設へと移され「パスカル」という新しい名を授かりましたが、1985年わずか17歳ほどの若さでこの世を去りました。

鳥が唯一の話し相手だった少年

それはわずか8年前のこと。ロシアにある小さな2ベッドルームのアパートで7歳の少年「プラヴァ」が発見され保護されました。プラヴァは当時31歳の母親と暮らしていましたが、その生活はいわゆる監禁状態。アパートの部屋は母親のペットである鳥のケージで溢れかえり、床には鳥のエサや糞が散乱していました。

プラヴァの母親は決して彼に身体的暴力を加えたり飢えさせたりすることは無かったのですが、プラヴァをただの家畜として扱っていた母親は彼と言葉を交わすことは一切ありませんでした。プラヴァの唯一の話し相手は小鳥たち。彼は人間の言葉は話せませんでしたが、小鳥のように鳴き声を発していました。なにか理解できない事がある時は、鳥が羽をバタつかせるように両腕を羽に見立ててばバタつかせたのだそうです。

母親から解放されたプラヴァは心理学研究所に移り、そこで教授たちは彼のリハビリに力を入れています。

サルの群れで生き抜いた少女「マリーナ・チャップマン」

マリーナは5歳の頃の1954年に何者かにより人里離れたコロンビアの村から誘拐され、ジャングルに置き去りにされました。ハンターによって発見されるまで、彼女はジャングルでオマキザルの一家と5年間寝食を共にしていました。

ジャングルではサルの落とす木の根や木苺やバナナなどを食べ、木の中の巣穴で眠り、四つん這いで歩いていました。ある時マリーナは酷い食中毒に陥りますが、長老のサルが彼女を水辺に案内し水中に彼女の顔を押し込み強制的に水を飲ませ助かったそうです。これによりマリーナは毒を含んだ食べ物を吐き出すことができ、体調も回復。

マリーナはハンターに捕獲された頃には人間の言葉をすっかり忘れていました。皮肉にもそのハンターは彼女を売春小屋に売り飛ばしてしまったのですが、彼女は脱走しストリート・チルドレンとして生きていました。そんな彼女に更なる不幸が訪れます。マリーナはマフィア一家に路上から連れ去られ奴隷にされてしまったのです。しかし、幸運なことに隣人女性に救い出され、女性の義理の娘と暮らすためにボゴダへ移されました。

女性の義理の娘は既に5人の子供がいるにもかかわらずマリーナを養女として迎えました。そして1977年、イギリスに移る兄弟達の世話係として現在の居住地であるウェスト・ヨークシャー州にあるブラッドフォードという街に移住したのです。

現在マリーナは結婚し、子供も授かりました。彼女の娘バネッサ・ジェームスは母親の野生児時代の経験を一冊の本にまとめました。それが「失われた名前」だったのです。

犬と共生した少女「マディーナ」

それはわずか3年前のロシアでのこと。

マディーナは産まれた時から3歳になるまで犬と寝食を共にしていました。2013年に児童福祉員が彼女を発見した時は衣服を身に着けておらず、四つん這いで歩き、犬のように唸っていたのだそう。

マディーナの父親は彼女の出生後間もなく母子を置いて出て行き、23歳の母親はアルコールに溺れ、酔っ払った状態でマディーナの世話をしたり、突然姿を消したりすることが頻繁に起こっていたため、自宅にはたびたびソーシャルワーカーの訪問があったそう。アルコール中毒に陥った母親がテーブルに座り食事を摂る間、マディーナは犬達と骨をかじっていたという。

マディーナは母親に叱られるたびに近くの公園へと家出していたのですが、公園の子供達は言葉もロクに話せずたびたび喧嘩を仕掛けるマディーナとは遊びたがりませんでした。そんな理由から犬達が彼女の親友となったのです。

マディーナを診察した医師によると、その悲惨な生活環境とは裏腹に身体的にも精神的にも奇跡的に健康だったそう。そんな理由から彼女は人間の言葉を教われば普通の人間の子供として他の子供達との調和を保ちながら生きて行ける可能性が高いのだそうです。

人間らしさを知らずに育った少女「ジーニー」

当時3歳だったジーニーは父親に「知恵遅れ」とみなされ、自宅の小さな部屋に閉じ込められ、簡易トイレに縛り付けられたまま10年の時を過ごしました。

13歳になった1970年、児童福祉施設に通報されたジーニーと母親。そこでソーシャルワーカーはジーニーの奇妙な行動に気付きます。彼女はトイレの躾もされておらず、ウサギのような奇妙な歩き方をしていました。ジーニーは言葉を話すことも声を発することも知らず、頻繁につばを吐いては体を掻きむしっていました。

保護された後、子供病院で長い間研究対象として過ごしたジーニーは少しづつ言葉を覚えましたが、文法が上手く使いこなせません。又、字を教わり簡単な文字なら読めるようにもなり、人間社会のルールも多少理解しました。

一度は母親の元に戻され暮らしていたジーニーですが、その後何軒かの預かり家族の元で過ごすもそこには虐待や嫌がらせばかりが待っていました。

結局ジーニーは子供病院に戻り、そこで再び心も口を閉ざしてしまい、彼女の研究に対する献金も1974年には途絶えてしまいました。そして彼女の所在は私立探偵によって非常に閉鎖的な環境にある精神病院の発達障害病棟で発見されるまで不明だったそうです。

ヒョウに育てられた少年

豹少年

1912年、わずか2歳の小さな子供が豹に連れ去られました。その3年後、その豹はハンターによって射殺され、そこで3匹の幼い豹が発見されました。なんとその一匹は5歳くらいの人間の男の子だったのです。

男の子はインドの小さな村に暮らす両親の元へ返されましたが、捕まった時の男の子は四つん這いで人間の2足歩行程の速度で走れるほどでした。彼の膝には固いタコが広がり、そのつま先は甲の方向に向かって反転しており、手のひらやかかと、そして親指の表面は固い皮膚で覆われていました。彼は自分に触ろうとする全ての人間に噛みついては戦いを挑み、村で飼っていた鳥を殺し生で食していました。そして話す事もできず、ただ唸りウーウーとわめくことしかできませんでした。

後に人間の言葉を教わり、2足歩行も出来るようになったのですが、そのうち白内障を患い徐々に視力を失っていきました。この白内障はジャングルでの生活とはなんら関係なく、家族からの遺伝だったそう。

鳥小屋で育った少年「スジット・クマー」

それはフィジー島での出来事。

幼い頃に機能障害性の行動が見られたスジットは両親にニワトリ小屋に閉じ込められました。その後彼の母親は自殺を計り、父親は殺されてしまい、スジットの祖父が彼の面倒をみることになったのですが、祖父はスジットをニワトリ小屋から解放することはありませんでした。

そして8歳になったスジットはある日、路上で腕を鳥のようにバタつかせニワトリのような鳴き声を発していたところを発見されました。スジットは食べ物をついばみ、止まり木に乗るように椅子に乗り、舌でカチカチと素早い音を出し、そのつま先は鳥のように足の裏の方向に向かって曲がっていました。

スジットは一度は保護され老夫婦の元で暮していたのですが、攻撃性が抜けないため20年以上もの間、ベッドに縛り付けられたままでした。

現在彼は31歳となり、老夫婦の元から救い出してくれた女性エリザベス・クレイトンの元で暮らしています。

オオカミの巣穴で発見された少女達

1920年、8歳の少女「カマラ」と12歳の少女「アマラ」は、目撃情報のあったオオカミの巣穴の上の木の茂みに身を隠し待ち伏せしていたジョセフ・シン牧師によって発見されました。

オオカミが巣穴を離れた時、こっそりと巣穴を覗きに行った牧師。そこで見たのは四つん這いで走り回る人間と呼ぶには程遠い酷い容姿の二人の少女でした。そしてすぐさまシン牧師は二人を捕獲したのです。

捕まった当初の二人は怯えた獣のように丸くなって固まり、威嚇しようと唸ったり着せられた衣服も引きちぎりました。そして口にするのは生肉のみ。挙句の果てには遠吠えすらするのです。二人は身体的にも変形が見られ腕の腱や関節が通常より短くなっていました。少女達は人間と接することに全く興味を示さなかったのですが、二人の聴覚、視覚、嗅覚は人間のそれをもはるかに上回るものでした。

アマラは捕獲された翌年に死亡し、カマラは二足歩行ができるようになり人間の言葉をいくつか覚えたものの、1929年に肝不全で死亡しました。わずか17年の命だったのです。

インドの森で発見されたカマラとアマラの姉妹は世界で最も知られている野生児のケースの一つなのです。

野良犬の群にリーダーとして認められた少年

家族から虐待を受けていた少年「イワン・ミシュコフ」はわずか4歳で家族の元を去ります。イワンはホームレスとなり通りで物乞いをして生きていましたが、そのうち付近をうろつく野良犬の群れと親しくなり信頼関係を築いていきました。イワンは物乞いで集めた食べ物を犬達と分かち合っていたのです。

いつしかイワンは犬達から群のリーダーとみなされこのような生活を2年続けていたのですが、やがて彼は保護され児童養護施設に引き取られました。1998年の事でした。

彼は生きる為に物乞いをしていたため、犬達と暮している間も人間の言語を忘れることはありませんでした。野生児のような生活をしていた期間がわずか2年だったのが幸いしたと言えます。

現在彼はロシアでごく普通の人間として暮らしています。

シャンパーニュの野生少女

フランス人の少女「マリー・アンジェリク・メミー・ル・ブラン(メミー)」は10年もの間森を一人ぼっちでさまよっていました。その間、鳥やカエルや魚、そして木の葉や枝や根を食べて生き延びたという。その手にはこん棒を武器として備え、オオカミのような野生動物と闘って来たのだそう。

19歳になった頃に捕らわれたメミーの肌は浅黒く、体は被毛に覆われ鋭い爪を持っていたのです。膝まずいて水を飲む時は時折周囲を警戒するように左右を確認しながら飲んでいました。これはジャングルで生き抜く術の現れだという。そして言葉の話せないメミーの口から聞こえるのはキーキーという金切り声だけでした。

1737年、フランスの女王の母であるポーランドの女王がフランスへの旅の途中、森の中を素早く動けるメミーをウサギ狩りのお供として駆り出したと言われており、長年の野生生活にもかかわらず、メミーの人間社会への復帰の速さは目を見張るものがあったのだそう。彼女には沢山のお金持ちのパトロンが付き、彼女に読み書きを教えたところ、フランス語を流暢に話せるまでになったのだそうです。

1747年、修道女となったメミーは建物から落下してきた窓の下敷きになり、その場に一緒にいたパトロンだけが亡くなってしまいました。その後彼女は病に倒れ修道院を去りますが、再び裕福なパトロンに出会ったのだそう。

1755年、伝記作家のマリー・ハケットによりメミーの伝記を記した本が出版されました。これこそが冒頭でお話した文献なのです。そして同じ年、裕福な生活をしていたメミーはフランスのパリで死去。63歳でその生涯を閉じたのです。

野生児から合唱団の一員に

ウガンダの少年「ジョン・セバンヤ」は3歳だった頃の1988年、父親が母親を殺害するのを目撃し自宅から逃げ出しました。彼はジャングルに逃げ込みサル達と暮らしていましたが1991年、6歳になったジョンは保護され孤児院に引き取られました。

ジョンを保護し汚れた体を綺麗にしてみると、彼の体はサルのように毛で覆われていたことがわかりました。ジャングルでの彼の主食は木の根、ナッツ、サツマイモ、そしてキャッサバ。又、不衛生な環境で暮らしていたことが原因で腸内に寄生虫もおり、その大きさはなんと50cmにも及んでいました。更にサルのような歩き方をしていたことから膝には大きなタコが形成されていました。

ジョンは孤児院で人間の言葉を習得した後、歌うことに才能を見出され、イギリス中でコンサート・ツアーを展開していた子供合唱団「20-Strong Pearl of Africa」の一員として活躍しました。

アヴェロンの野生児「ヴィクトル」


ヴィクトルは18世紀の終わりごろ南フランスのラ・コーヌの森で発見され捕らえられましたが、ほどなく脱走。1800年の1月、彼は再び捕らえられました。捕獲当時のヴィクトルは12歳位の少年で、その体は傷だらけの上、言葉も話せませんでした。この知らせはヨーロッパ中を駆け巡り、各地から彼を調査したい学者が殺到。それまでの彼の暮しはほんの少ししか把握されていませんが、少なくとも7年は森で暮らしていたという。

ある生物学の教授がヴィクトルがどれだけ寒さに耐えらえるか調べるために雪の中に裸で過ごさせる実験をしたところ、彼は全く寒さに動じなかったそう。別の学者が彼に言葉と人間らしい行動を教えようとしたのですが、全く進歩はありませんでした。もし彼が幼い頃に話す事やヒアリングを教わっていれば、人として生きて行けたのかもしれませんが、12歳で森を出た彼には少し手遅れだったのかもしれません。

後にビクトルはパリにある養護施設に移り40歳でその生涯を終えました。

数奇な人生を送った野生児たち

「野生児」と言われた多くの子供達、特に野生に深く馴染んだ生活を送ってきた子供達はその生涯を早い段階で終えています。

親に捨てられた子、飼育放棄された子、誘拐された子などその背景は様々です。

親と離れ離れになり、野獣のように振舞うことが当たり前だった子供達。

動物と共に育った彼らは果たして幸せだったのでしょうか?

その答えを知る者は、人間らしく生きる権利を奪われた子供達のみなのでしょう。

美しいジュリア・フラートン=バッテンさんの作品はこちらでご覧になれます

 
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