おかげ参りとは
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おかげ犬について考える前に、まずは「おかげ参り」とは何かについておさらいしましょう。
「おかげ参り」もしくは「おかげ詣で」は、江戸時代に行われていた伊勢神宮への集団参詣のことです。江戸時代には世の中が落ち着き、五街道をはじめとする交通網が発達したことから、長距離移動がしやすい環境が整いました。
巡礼の目的も現世利益が中心となり、伊勢神宮には商売繁盛・五穀豊穣の守り神が祀られていることから、観光も兼ねて伊勢神宮にお参りするのが一大ブームになりました。およそ60周年周期である「おかげ年」には、月に何百万という規模の人々がお参りするほどでした。
平和な世の中になったといえども、庶民の移動には厳しい制限がありましたが、伊勢神宮参詣に関しては規制が緩く、通行手形さえ発行してもらえばどの道でも通ることができ、京や大坂などの見物も自由にできたことも、おかげ参りブームを支えました。
さらに、奉公人や子供が伊勢神宮参詣を望んだら主人や親は止めてはいけず、もし無断で旅に出たとしても、お守りやお札など伊勢神宮参詣の証拠品を持ち帰れば咎めてもいけないというしきたりもあったので、「抜け参り」とも呼ばれ、皆が「一生に一度は伊勢神宮へ」と夢見ていたのです。
庶民にとっては負担となる旅費の工面も、「お伊勢講」というグループを作り、皆でお金を出し合って、グループの代表者2~3人を旅に出すという方法で賄っていました。皆が一度は行けるように代表者も順番に選出していたので、不満が出ることもなく、皆が自分の順番を楽しみに経済的にも支え合っていたのです。
おかげ犬とは
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おかげ犬とは、おかげ参りがしたくても何らかの事情でできなくなった飼い主さんの代わりに、伊勢神宮へお参りした犬のことです。
伊勢神宮に行くには江戸からだと片道15日、大阪からでも5日間くらいはかかる長旅で、ひたすら歩くわけですから、体の弱い人は行きたくても諦めざるを得ませんでした。そこで、自分の代わりに飼い犬に代拝してもらうことを考えついたのです。
現代の私たちからするとエキセントリックなアイデアだと思いますが、江戸後期には犬のおかげ参りが流行したというのですからビックリです。
「犬がそんなに長い距離をどうやって旅したの!?」「旅費は?食料は?」「お参りのやり方知っていたの?」「ちゃんと帰ってきたの?」
おかげ犬の存在を知って私の頭の中は「!?・!?」となりましたが、当時の人々の人情と信仰心が犬のおかげ参りを可能にしていたことを知って感動しました。
おかげ犬のお参り方法
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まず、飼い主さんが伊勢参りをする犬であることが誰が見てもわかるように、一筆書いてしめ縄でつけました。そして、道中でかかる旅費も一緒にくくりつけ、近所でおかげ参りに行く人がいるなら一緒に連れて行ってもらいました。
もし、伊勢神宮まで行く人がいないなら、道行く人がリレー方式で伊勢神宮まで犬を連れて行き、エサや寝床も用意してあげました。おかげ犬が伊勢神宮に着いたら神官から竹筒に入ったお礼をもらい、行きと同じように道中で出会う人々のサポートを受けながらご主人の元に帰りました。
そのように、知らない人のため頼まれなくてもおかげ参りの代拝をする犬を助けることは、当時は「徳」とされていました。当時の人々は信仰心や人情から、おかげ犬を見かけたら積極的に助け、お金を奪うことなどせず、無事に代拝ができるように手を差し伸べたのです。
その結果、犬だけでもおかげ参りができたという例がたくさん生まれました。
おかげ犬の実話紹介
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福島県須賀川の旧家・市原家に買われていたシロは、街でも評判の賢い犬でした。市原家のご主人が病に倒れ、毎年恒例の伊勢参りができなくなってしまったので、シロをおかげ犬として送り出しました。
心優しい人々のサポートを受けながら、シロは無事参拝を終え、2ヶ月後に市原家に帰ってきました。それを記念して、福島県須賀川の十念寺にはシロにまつわる犬塚が建てられ、今でも残っています。
また、歌川広重の「伊勢参宮宮川の渡し」や「東海道五十三次四日市」、「御蔭参明和神異記」にもおかげ犬の記述があることから、おかげ犬は確かに実在していたことがわかります。
今でも伊勢神宮にある「おかげ横丁」には、“おかげ犬おみくじ”や“おかげ犬お守り”など、おかげ犬にまつわるグッズがたくさん販売されています。
犬が飼い主さんに変わって伊勢神宮まで旅をし、お参りをするのを皆が助けたというおかげ犬の歴史は、犬を可愛がる気持ちと助け合う気持ちの尊さを教えてくれるのではないでしょうか。