1922年に生まれ、御年94歳になった漫才師の内海桂子さん。今でも舞台に立っていたりと現役で活躍しているのですが、2010年からはTwitterも駆使し、世間に自分の言葉を発信しています。
そんな内海さんだからこそ言える、社会への一言をご紹介します。
1.
昭和16年7月に長男を産んでその12月は乳飲み子を抱えながら漫才に励んでいた。太平洋戦争開戦と聞いてもついにかと思う位で物凄い興奮はしなかった。世の中がすでに騒がしくなっていて街でも兵隊さんをよく見かけていた。今思うとこういう心の慣れは時代の判断をマヒさせてしまって怖い事である。
—内海桂子 (@utumikeiko) December 8, 2016
2.
最近はずっと見続ける番組があまりなくなった。警察官の追跡や自然や街歩きみたいなレポはあっという間に見終わっている。訳の分からない解説や茶化しがないのが良い。今日はスパイ物を興味深く見始めたが急所になると若い女性の囃子声が入る。意図して入れているのだろうが思わずチャンネルをひねる。
—内海桂子 (@utumikeiko) November 30, 2016
3.
夕方になると警察の広報車がスピーカから子供の安全を守りましょうと訴えている。以前は犯罪未遂を告知していたと思う。私は相変らず子供に危ないわよとか気を付けなさいと声掛けをしているが以前と違って全く無視するようになってきた。顔も向けないし目を見よともしない。会話がない社会も怖いわよ。
—内海桂子 (@utumikeiko) June 29, 2016
4.
高齢者がまだ動けて自分の意思を持っているうちに集合住宅に入って共同生活を始めるのも有益だと思う。自力で体を動かさなくてはダメだというのは人間の本能だが年齢が行くと思ったようにはいかない。しかし集団の中にいるとやらなくてはという刺激が増す。但しそれをうまく引出すリーダーも必要だが。
—内海桂子 (@utumikeiko) November 24, 2016
5.
夕方雨も上がり近所をゆっくり散歩した。亭主も一緒なので一寸遠出を。工事中も含めてこの辺はマンションだらけになっている。耐火地域だから木造の新築は殆どなく鉄筋の建物ばかり。住んでいる人も当然多くなっている筈だが道行く人の数は少ない。店も増えず街がだんだん寂しくなっていくような感じ。
—内海桂子 (@utumikeiko) November 20, 2016
6.
野菜高騰で給食を中止するのは決めた側ではきちんとした理由があるのだろうが第三者的に見ると何とかならないものかとちと考えてしまう。給食が児童にとっていかなるものか、多分大人が考えている以上に大切なんだと思うから。津波事故もそうだが絶対にその考えはダメだと訴える場面が出来ないのかね。
—内海桂子 (@utumikeiko) November 2, 2016
7.
JR鶯谷駅の上野寄りの改札口を出ると古い佇まいの蕎麦屋さんがあり帰りにはよくお邪魔していた。が閉店してしまった。冬でもまず冷たいキリンビールと焼き茄子と卵焼きを頼んだものだ。なにせ私が若い頃からの記憶のある店だけに無くなるのは寂しい話。ものをつなぐ料簡がなかなか難しい時代なのか。
—内海桂子 (@utumikeiko) October 26, 2016
8.
今朝散歩していたら近所の保育園の幼児も7,8人リヤカーに乗せられてお散歩。私の長男は終戦の日は4歳で同じ年頃か。8月15日水戸に軍隊慰問に出かけ終戦を知りとんぼ帰り。車中は物凄い混み様で夜中にへとへとになって上野に着いた。でも部屋中明るい家で家族に会って本当に平和の大切さを実感、
—内海桂子 (@utumikeiko) August 15, 2016