ANAホールディングスは、ANAの前身となる日本ヘリコプター輸送が創業時に購入したヘリコプターを、羽田空港近隣の訓練施設「ANA Blue Base」に搬入する作業を行った。創業時の精神を伝えるシンボルとして、同施設内で主に社員向けに展示する。
搬入されたのは、1952年の日本ヘリコプター輸送創業時に米国のベル・エアクラフトから購入したヘリコプター「ベル47D-1」2機のうちの2号機(機体記号:JA7008)。同機は1953年2月20日から宣伝飛行や遊覧飛行を開始し、農薬散布、報道、救命活動、山間部の高圧電線架線で活躍。1970年8月までの約18年間にわたって飛行した。その後、1973年9月10日に東京・秋葉原の交通博物館に寄贈されたが、同館の閉館に伴い2008年12月にANAに返還され、訓練施設「ANA Training&Education Center(ANA TEC)」内に設置されていた。
大きさは長さ13.17メートル、幅2.64メートル、高さ2.83メートル。重量は726キロ。燃料タンクには日本ヘリコプター輸送の略称「日ペリ」の文字が入っている。現在は当時のキャンペーンに合わせた黄色の塗装が再現されているが、購入時は青い塗装だったという。
移設作業は6月29日と30日の2日間で行われた。まず29日に、作業時の高さ・幅の制限をクリアするため、「ANA TEC」内でヘリコプターのメインローターやスキッド(着陸用の脚)を整備士の手で一度解体。翌30日に「ANA Blue Base」へ輸送し、搬入後に再度組み立てを行った。
解体・組み立て作業を担当したのは、1974年入社でヘリ整備経験も持つベテランの伊藤剛整備士と、若手整備士9人の計10人。伊藤整備士は、2008年の交通博物館から「ANA TEC」への移設時も作業を担当した。社内の整備士約1,000人の中でわずか4人のみの、マイスター制度最高位「マスター」に認定されている一人で、現在は後進の育成にあたっている。今回の作業でも主に指示役に回った。
▲伊藤剛整備士。ベル47は「整備人生のスタートで、忘れられない機体」。マニュアルは「家宝」だという
解体作業は約3時間、組み立て作業は休憩を挟みながら約2時間とスムーズに進み、無事に「ANA Blue Base」2階廊下への移設が完了した。伊藤整備士は、「皆が的確に動いてくれたおかげ。毎日(通常の)整備作業をやっているだけある。パフォーマンスは素晴らしかったと思う」と若手整備士たちをねぎらった。2018年に入社した福島一志整備士は、「ANAの始まりである機体の移設作業を担当できたことを光栄に思う。今回初めて顔を合わせる整備士もいたが、うまく連携を取って安全・順調に作業ができ、いい経験になった」と作業を振り返った。
なお、「ANA Blue Base」には今後、一般見学エリアも設けられる予定だが、このヘリコプターが設置されている場所は見学可能エリアには含まれないという。
▲「ANA TEC」(大田区下丸子)から搬出される「ベル47D-1」
▲正面玄関から搬出される
▲ブレードなどを解体していなければ搬出できない寸法だ
▲「ANA TEC」正面玄関から搬出される「ベル47D-1」
▲続いて、取り外されたブレードなども搬出
▲クレーンで積み上げられ、荷台に乗せられる
▲シートが掛けられ、「ANA Blue Base」(大田区羽田旭町)へ向けて出発
▲1時間40分ほどで「ANA Blue Base」に到着した
▲「ANA Blue Base」では、二階の搬入用扉から中に運び込む
▲再びクレーンで吊り上げられ、宙に舞う「ベル47D-1」
▲二階の搬入用扉へ
▲無事に屋内に入れられ、台車で運ばれる
▲設置場所まで台車で移動
▲途中、前後の向きを変えるためスイッチターン
▲設置場所への移動が完了し、ここから整備士の出番
▲リフターで機体を吊り上げ、まずはスキッドを取り付ける
▲伊藤整備士の指示でスキッドを取り付ける若手整備士
▲続いて、メインローターを取り付ける
▲最後に2枚のブレードを装着
▲ブレードは整備士が人力で持ち上げて取り付ける
▲声を掛け合いながら角度を微調整
▲
▲2枚目も同様に装着
▲組み立て作業が完了した「ベル47D-1」
▲移設完了後、各部の動きを確認する伊藤整備士
▲作業を担当した伊藤整備士ら10人