コロナ禍により宿泊施設の存在意義が大きく揺らいでいる。「インバウンド減」とか「観光自粛」とかいう、過去に終わったレベルの議論ではなく、この局面において「泊まる」という行為は良いことなのか悪いことなのか、多くの人がわからなくなってしまっている。



これまでの世の中で、宿泊施設には大きく2つの意義があった。1つは「宿泊施設はどんな客であっても受け入れなければならない社会インフラ」というものだ。どんな人でも施設に見合うお金さえ持っていれば泊めてもらえるという前提は、多くの人は意識していないだろうが圧倒的な安心感を提供していた。これが転じて、困っている人を断らずに宿泊させるのが義務だという考えは旅館業法にも色濃く反映されており、「明らかな(外見的な)伝染病患者」「風紀と治安を乱すもの」「満室の場合」以外は宿泊拒否できないという、他の業種ではありえない厳しい制約が70年以上にわたり課されていることは、業界の問題点でもある一方で社会的責任を示す矜持でもあったのだ。



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旅館業法第五条(昭和23年公布)に、営業者は、下記に該当する場合を除いては、宿泊を拒んではならないと記載されている。つまり、宿泊者に検温義務を課し、発熱があるからといって宿泊を断ることはできない。家族が感染し、宿泊施設に自主避難しようとする宿泊者も断ることができない。

一 宿泊しようとする者が伝染性の疾病にかかつていると明らかに認められるとき。


二 宿泊しようとする者がとばく、その他の違法行為又は風紀を乱す行為をする虞があると認められるとき。


三 宿泊施設に余裕がないときその他都道府県が条例で定める事由があるとき。







もう1つは「宿泊施設は人と金を寄せ集める装置だ」という考えだ。大規模な観光地開発や地域振興の目玉に必ずホテル建設が含まれていたのはその効果を期待されてのことだし、最近では商店街再開発といった小規模開発にもゲストハウスや民泊を組み込む例が増えるなど、宿泊施設には開発者にとって何物にも代えがたい魅力があった。地域外からの「外貨」を稼ぐ最大の装置として宿泊施設は地域でもてはやされてきたし、温泉地や観光地では「企業城下町」と同様の効果を地元に与えてきた。これも宿泊施設にとってはプライドの源であった。



「社会的責任」と「経済的責任」。経営者はもちろん、運営者とスタッフのモチベーションはこれら2つの責任に依るものであったと言っても過言ではないだろう。



コロナ禍以前は、この2つの側面はもちろん両立していた。「社会的責任」により宿泊者は無数の選択肢から宿泊施設を自由に選び、ビジネスや観光、余暇を完遂できた。「経済的責任」により、地域は宿泊施設を中心に集客に励み、地域中で利益を享受することができた。しかし、コロナ禍をきっかけに本来一体であったはずの2つの責任が完全に相反してしまったのだ。



前者の「社会的責任」は、「宿泊施設は社会にいてはならない人を引き取るべきだ」という考えに変質した。すなわち、海外からの帰国者、大都市からの移動者、無症状や軽症の感染者は宿泊施設が責任を持って受け入れるのが当然だと言われ始め、あっという間に政府も自治体も地域住民も同調してしまった。さらに、旅館業法上、宿泊施設は宿泊希望の発熱者や感染者の家族すら断ることができない。厚労省も宿泊施設に対し「外国や他地域から来たことを理由に宿泊拒否してはならない」と改めてアナウンスし、医療機関でもなく、知識にも乏しい我々を最前線に押し出した形を取った。さらに各自治体で進む無症状者、軽症者の受け入れについてもなし崩し的だ。「医療機関に入りきらないのだから宿泊施設に収容するしかないだろう」という論拠で進む話に対して、売上減で瀕死の宿泊施設も断腸の思いで受け入れざるを得ない。



後者の「経済的責任」に至ってはまるで価値観が逆転した。これまで共存共栄していた地域住民は、宿泊施設に対し「他地域からウイルスを寄せ集める危険な装置だ」と騒ぎ始めた。営業を継続しているだけで抗議の電話が鳴り、県外ナンバーが駐車場に泊っているのを見ると保健所に通報されるといった悲しい声が全国の宿泊施設から集まってくる。営業を続ける宿泊施設を「人を殺そうとしている行為だ」と言い切る首長まで現れるに至ってしまった。「宿泊施設は他地域から感染者を寄せ集める装置だ」と言われてしまってはもはや存在価値は見いだせない。



一方では「社会的責任において宿泊者を受け入れろ」、もう一方では「経済的責任を捨てて宿泊者を排除しろ」と矛盾した2つの声が宿泊施設を苦しめている。行政もこの相反した宿泊施設の評価に苦しみ、はっきりとした指針を示せない事で混乱に拍車をかけている。「社会的インフラなので営業してくれなければ困る」。しかし、「営業されては困る。命令は出せないので自粛して欲しい」。それでも「困った人を断ると罰則を科すから覚悟しろ」と発言者ごとに方針が変わり、もうめちゃくちゃな状態だ。さらに対応も「自粛協力金を出す」「単なる要請だから自由に判断しろ」「キャンセル料を補填する(しない)」「休業補償する(しない)」とバラバラなことが宿泊客に混乱を招いている。政府や自治体の方針が部署ごとに異なる状態では業界での統一ルールも作れるはずもない。



しかし冷静に考えてみて欲しい。今、逆境や批判に耐え、営業を続けている宿泊施設に宿泊している人はどんな属性の人なのかを。少なくとも純粋な「レジャー客、観光客」はほとんどいないはずだ。家族をリスクに晒さないため家に帰らない医療従事者、電気や通信インフラ、稼働を停止した工場の維持のため長期出張を余儀なくされる技術者、家でも会社でも仕事のできないテレワーク難民、不安な世の中で精神を保つことの難しい子ども、ニュースで問題視されるDV被害者やネカフェ難民、その他聞く事すらはばかられる訳ありの人…表面上は家族連れ観光客、単なるビジネス客であっても、今の宿泊客はそれぞれに、「今、ここで泊まらなければならない」理由と使命を持っているはずなのだ。そのような人々を静かに温かく迎えることができるのも、また「社会的責任」を持った宿泊施設だけなのだ。



今の施設の真のニーズは「営業自粛」でも「無発症者、軽症者受け入れ」でもない。その中間で悲鳴を上げている声を上げられない弱者や、こんな時でも国民の生命を守るために奔走している人たちだ。だからこそ白い目で見られながらも営業を継続している宿泊施設がたくさんある。このような事態だからこそ、宿泊施設を必要としている人が大勢いることに政府にも自治体にも、そして何より皆さんにも気付いて欲しいのだ。



今の宿泊施設は何のために存在するのか、そして宿泊施設に何をさせるべきか。我々がこうやって存在意義そのものを問われることになろうとは思いもよらなかった。是非これを読んだ皆さんには、我々の「責任」に応じた「任務」と「エール」の提供をお願いしたい。

情報提供元: Traicy
記事名:「 コロナで揺らぐ、宿泊施設の存在意義 営業を続けるべきか、止めるべきか【コラム】