8月23日に羽田空港の格納庫で開催された、日本航空(JAL)「Fly for it」の記者発表会に登壇した、嵐の櫻井翔さん、赤坂祐二社長のトークショー全文。
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櫻井「そうですね、撮影そのものは順調ではあったんですけれども、まあきょうよりもうちょっと暑いくらいでしたかね、の日だったんですけれども、僕の撮影するシーンがちょうど屋上が最初だったんですね。向かいが学校、おそらく高校なんですけども、向かいに学校がありまして、ちょうどみんな部活をやってる時間でした。向かいに屋上のプールがあって、生徒たちがみんな一斉に手を振るんですよ、屋上に向けて。わーって手を振るから、わーって手を振り返したら「誰ですかー」。誰にあの人手を振ってるんだろうと。」
櫻井「大変そうでしたね。下にはサッカー部の子たち、水泳部の子たち、本当に暑い中部活やっているちょうど真向かいで撮影していた感じでしたね。」
櫻井「そうですね。」
櫻井「いやいや、僕たちはそんなに長い時間屋上にいたわけではないんですけれど、ずっといたスタッフの皆さんは大変だったかとは思う。5人で声揃えるシーンとか、僕たちすぐ揃うんで大丈夫ですよーって言っていたんですけれども、ちょっと暑いのもあって中々声が揃わず、どうでしょう、3〜4テイクくらい重ねたかもしれませんね。」
櫻井「はい。」
櫻井「ありがとうございます。」
櫻井「ありがとうございます。」
櫻井「実際に歌詞でもFly for itというのもありますし、テイクオフとか、本当に曲聞いていて、こういう離発着の音が感じられるような、空を感じられるような曲ですね。広いスケールの曲となっています。」
櫻井「ありがとうございます。」
櫻井「時間をかけてゆっくりやっていきたいと思っているんですけれど、今自分たちの番組の企画で朝活というのをやっていまして、夜型人間の櫻井を朝型に変えようという企画をやっているんですね。朝早くに例えば山の上で綺麗な景色とともにパンを食べたりとか、日が昇るとともに富士山みながら温泉に入ったりとか。そういうことをやっているんですけれども、あと2年ほどあるので、ゆっくりゆっくり朝型人間に番組の力を借りて変えていこうかなと思っています。」
櫻井「そうですね。登山というほど大変なものではないんですけれど、山頂でパンをつくってごはんを食べたりとか。ちょうどニュースZEROに出させてもらっているんですけれど、それが終わった夜12時くらいから出発して、朝を迎えるというので、まあ簡単に言うと徹夜なんです。」
櫻井「それは番組なんで、自分の生活として徐々に徐々に朝方に変えていけたらなと思っている。」
櫻井「そうなりたいなと思っています。」
櫻井「ありがとうございます。」
ーさあ今度はオリンピック、パラリンピックについて伺いたいと思いますが、櫻井さんはこれまでに北京、バンクーバー、ロンドン、ソチ、リオ、そして前回の平昌と6大会のオリンピックに行かれたということなんですが、それぞれいろんな思い出があるかと思いますが、特に印象に残った大会はありますか。
櫻井「いずれの大会もテレビ局の皆さんに連れて行って頂いてるんですけれども、一番印象的なのは最初に連れて行ってもらった北京オリンピックですかね。特に印象的だったのは、北島康介選手の金メダルだったんですけれども、よくフレーズで”センターポールに日の丸を”なんて言いますけれども、実際に会場にいて、真ん中のセンターポールに日の丸が掲げられて、あれは強烈に印象に残っている景色ですね。当然オリンピックの会場というと、世界各国の方々が周りにずらっと応援しているわけですけれども、その中で北島選手の金メダルを、何というのかな、周りの方々が、北島選手もそうですけれど日本人である僕たちをおめでとうと言ってくれているような会場の雰囲気というのは強烈な印象が残っていますね。」
櫻井「忘れられないですね。」
櫻井「初めて直に観たオリンピック、初めて直で観た金メダルだったんですよね。」
(客室乗務員5名、JALの赤坂祐二社長が登壇)
櫻井「あ、はい。」
櫻井「一番奥の…。」
社長「正解です。」
櫻井「ここは外せないですよね。」
櫻井「ハラハラしていたので、良かったです。」
櫻井「いやー、98年ですか。」
櫻井「高校2年生だったんです。高校2年生というと飛行機乗るのが多くなかったものですから。」
櫻井「えー、真ん中の制服は…見たことがある気がしてるんですが、もっと古いと思うんですね。一番手前の方、98年、長野オリンピックお願いします。」
社長「えーと、不正解です。」
社長「ちょうど98年ですから、嵐のみなさんのデビューの1年前。とても忙しい中だったと思いますが、船木・原田の大会ですね。」
櫻井「72年とおっしゃいました?生まれてないからなぁ…。」
櫻井「クイズのセオリーで攻めますよ、奥の方、手前の方ときたら、本来3番目ですけど、そうもいかないと思いますので、一番手前の方。」
社長「残念…。」
櫻井「スカーフは72年からなんですか。それ以降はスカーフ着けてらっしゃった。それ以降かはわからないのか。」
社長「私が入社した時の頃の、1987年。」
櫻井「いや、もうわかんない。」
櫻井「本当ですか。真ん中の制服ですね、ドラマで。先日、松任谷由実さんが番組に来ていただいた時にこの制服がすごくお好きだとおっしゃっていて。すごい印象的に覚えています。」
社長「私も2歳でしたので、ほとんど記憶がございませんが、今見てもなんとなくかっこいいなと思いますよね。」
櫻井「これはそもそも64年、東京オリンピック仕様というか、オリンピックのためのデザインということなんですか?」
社長「特にそういうことではなかったと聞いています。たまたまその時にオリンピックがあった。」
櫻井「やっぱり印象的というか、かっこいい制服ですね。」
社長「真ん中のこれが印象に残っていますね。当時は同期の客室乗務員の皆さん、この制服にあこがれて入社したという話が非常に多かったですね。」
櫻井「これでも、例えば2020年に向けて、オリンピック用ではないですけれど、2020年に向けての制服があったらまたいいですよね。かっこいいデザイン。」
社長「どうしましょうかね。」
櫻井「そうしません?」
社長「櫻井さんにそう言われると、お断りをすると嵐のファンの方に言われるからね。ぜひ検討したいですね。」
櫻井「それはすごいですね。」
社長「そうですね。これから考えていくものですけれども、ぜひ東京オリンピックに合わせて、何か社員で一つ大きなシンボルを作りたいと思っていますので、制服を変えるというのはいいアイデアですね。」
櫻井「本当ですか、それ実現したら相当うれしいですけれども。」
社長「そうですね。いままでそういうことをやったことないんです。ぜひオリンピックということで、みんなで盛り上げるためにも、何かみんなで制服のアイデアを出していただく、そんなことも面白いなと思います。」
社長「そうですね、いま考えました。」
櫻井「すごいですね。過去にデザインは当然一般の方が参加する、なかったでしょうし、なにより僕としては一番奥にいらっしゃる方の制服、馴染みある、制服が変わる、新しくなる。みなさん、一般の方がデザインに参加できるとなったら、飛行機乗られる方、世界から来られる方もすごい身近に感じますし、うれしいですよね。」
社長「いつもそうなんですけれども、制服を変えるというのは、客室だけではなく、パイロットあるいは地上のスタッフ、整備士とか空港のスタッフですね。みんなで変えるというのがだいたいいつものやり方ですので、変えるならやはり全部変える、こういう事になるんだと思いますけれどね。」
櫻井「実際に本当に飛行機に乗るとなって、空港に足を運んだときに我々が目にするみなさんの景色が代わってくるということですよね。」
社長「そういうことですよね、それはまた面白いですね」
櫻井「言ってみるもんですね。」
櫻井「参加できるということですね。一般の方もデザインに参加できる、可能性もあるということですよね。」
社長「やり方を考えたいと思います」
社長「制服全部というと大変そうですけれども、一番考えやすいとすれば、例えば先程ご紹介あったスカーフというのはね。」
社長「一般の人に、こういうやり方なんかはいいと思います。」
櫻井「もうそれはどこがというより、目にする場所に参加できるとなると、参加する人達のモチベーションにもなりますしね。うれしいですよね。」
社長「先程もちょっとお話しをしましたけれど、東京大会につきましてはオリンピック、パラリンピック、本当にスポーツの祭典でありますけれど、合わせて文化やテクノロジーの祭典でもありますし、東京大会はある限られた期間しかありませんけれど、ぜひ64年の大会と同じように、その後に続くようなそういう大会になれるように、なるような、そういうことを我々としてお手伝いできればと思います。JALグループ全社一丸となって、東京2020大会を盛り上げていきたいと思います。」
櫻井「まずJALさんということで申し上げますと、日本に着く前に、海外から一番最初に会う日本人というのはきっと客室乗務員の方でしょうから、印象的になることは本当にすごいことだなと思います。我々もデザインに参加できる、一般の皆さんもデザインに参加できるという意味では、2020年に向けて、アスリートのみなさんはもちろんですけれど、社長もおっしゃっている、日本全国、全国民で2020年これからおよそ2年ですか、盛り上げていきたいと思っています。とても新しい制服も楽しみですし、2020年も楽しみにしています。」