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何度も生産中止の危機を繰り返しながらも、現在まで日産のフラッグシップモデルのスポーツカーとして君臨するフェアレディZの前身となったモデルです。
戦後、自動車生産を再開した日本の自動車メーカーの中でも、日産は1952年に早くもダットサンスポーツDC-3を発表。しかし、トラックのシャシーに乗用車のボディを架装するのがやっとの日本の自動車メーカーにおいて、多分に漏れずDC-3もトラックのシャシーと旧態化したサイドバルブエンジンにスポーツカーのボディを架装したとあって、手本となったMGの戦前型モデルにも及ばない性能で、生産台数も50台に終わりましたが。戦後の混乱期が収束に向かいつつあるなか発表された2シーターのロードスター型のDC-3は「国産車初のスポーツカー」とも言われています。
その後、北米に販路を求めた日産は、当時スポーツカーの需要が高まりつつあった北米向けの商品として、1959年に211型ダットサン1000のシャシーにFRP製のスポーツカーのボディを架装したダットサンスポーツ1000を北米のみ20台テスト販売。そして1960年に1200ccエンジンを搭載したダットサンフェアレデー1200を発表。「フェアレデー」の由来は川又克二社長が渡米した際に感激したブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来しているのはよく知られた話です。
フェアレデー1200はSPL212、マイナーチェンジ後はSPL213とL(Left)型式にLの文字が入る事でもわかる通り、左ハンドルの北米専用車種でした。