【悼む】オリックス元球団スタッフの松本正志さんがイチローに伝えた言葉
<悼む>
オリックスの元球団スタッフで、1軍用具担当として、長年チームを支えた松本正志(まつもと・しょうじ)さんが死去したことが14日、分かった。8日に67歳で亡くなったと球団が発表した。
松本さんは、東洋大姫路(兵庫)時代に、豪腕サウスポーで脚光を浴び、1977年夏の甲子園で同校を優勝に導いた。同年ドラフト1位で阪急(現オリックス)に指名された。通算32試合で1勝3敗、防御率6・83の成績で、87年に現役を引退し、1軍用具担当として長くオリックスを支えた。
現役時代から知る記者が生前の松本さんのエピソードを交えて悼みます。
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高校時代の松本さんは、甲子園のあこがれのスター。仕事で出会った松本さんは、少し太って、少しおじさんになっていた。プロ2年目の79年6月24日南海(現ソフトバンク)戦でプロ初勝利を挙げたが、最初で最後の勝利になった。制球を良くしようと周囲の助言を聞くうち、投球フォームが崩れてしまった。「みんなで“松本を育てよう”としてくれているのだ」ともがき続けた。プロ10年目、現役に区切りをつけたとき、人柄を見込んだ球団が用具担当という新たな仕事を用意してくれた。
葛藤がなかったわけではない。引退後、オープン戦で他球団の同期と顔を合わせて落ち込んだ。もう勝負はできないんだ、と思うと、悔しくて寂しかった。やるせなさに区切りをつけることができたのは、家族を守っていかなければという責任感から。また「わずか1勝の実績からすれば、数年でクビになっていてもおかしくなかった」自身を、10年もおいてくれた球団への恩義から。少しずつ、用具担当のプロ中のプロになっていった。
球団から他の業務への打診も2度ほど受けたが、断った。後輩の成長をすぐ近くで見守る。それが楽しみだった。そんな中、イチロー(現マリナーズ会長特別補佐兼インストラクター)に出会った。
人気に火がついたころ、遠征先のホテルでファンがあふれるロビーを避け、本人は裏口から出入り。取り決めた場所に荷物を出さず、部屋の前に置いていた。チームのルールは守ってほしい、と松本さんはイチローに話した。どれほどの人気選手であろうと、松本さんにとっては、まっすぐな成長を願う大事な後輩だった。以来、イチローは自分で荷物を運んできた。素直な態度がうれしかった。
松本さんがイチローに伝えた言葉があった。「お前はボールと友達みたいやなあ」と。厳しい内角攻めで自分の体めがけて飛んできたボールも、巧みに打ち返す。守備でも、ボールの方からイチローのグラブに飛び込んでいくように見えた。ボールはイチローを傷つけない。イチローはボールを裏切らない。イチローがボールをつかまえるたび、心がときめいた。
なんという表現力なのだろうと、松本さんの言葉を聞いたこちらの胸がときめいた。優しくて、独特の視点で選手を見ていた。話を聞けて良かった、と思わせてくれた野球人だった。【堀まどか】