【写真】元清水商サッカー部監督の大瀧雅良さんの祭壇(撮影・河田真司)

3日に病気のため75歳で亡くなった清水商(現清水桜が丘)サッカー部元監督の大瀧雅良氏の葬儀・告別式が10日、静岡市の斎場で営まれた。日本サッカー協会の田嶋幸三名誉会長(68)やJリーグの野々村芳和チェアマン(54)らも駆けつけるなど、教え子や関係者約150人が参列。サッカー界の発展に尽力した名将との最後の別れを惜しんだ。

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清水商を12度の日本一に導き、50人以上のJリーガーを育てた大瀧氏。多くの功績を残した名将は、清水商伝統のトリコロールカラーのジャージーに身を包み、ユニホームで装飾された棺におさまった。同校独自の応援「清商サンバ」が流れる中、出棺。よく晴れた秋空の下、親族や教え子たちに見送られ旅立った。

74年に拓大を経て母校に赴任し、指導者人生が始まった。サッカー部監督という立場以前に、教師として人間形成を大切にした大瀧氏。戒名は「慈教院法雅日育居士(じきょういんほうがにちいくこじ)」。貫いた信念の通り「教」「育」の文字が用いられた。

弔辞は横森巧氏(84=山梨学院サッカー部総監督)らが読んだ。この日参列できなかったOBからビデオメッセージも寄せられた。大瀧氏が監督として初めて全国選手権を制した85年度に主将を務めた江尻篤彦氏(59=東京V強化部長)は「我々の学年は強いチームではなかったけど、大瀧先生の情熱に全員が引き込まれ、指導についていった。高校3年間が今のサッカー人生につながっていると思う。先生の信念や教えをしっかりつないでいきたいと思います」。

小野伸二氏(47=Jリーグ特任理事)も「練習がきつくて仮病を使って病院に行きたいと伝えた時、大瀧先生は『逃げるのは簡単だぞ』と怒ることなく、優しく逃がさないようにしてくれた。その言葉がなければ、たくさんの良い思い出をつくることはできなかった。常に先生に見られていることを意識しながら、自分の出来ることを精いっぱいやっていきたいと思います」などと恩師への感謝とともに決意を語った。

祭壇の中央には「大滝魂永遠に」の横断幕が掲げられていた。厳しさの中にも愛があった「大瀧先生」の思いは、受け継がれ、これからも続いていく。【前田和哉】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 清水商元監督・大瀧雅良さん告別式 田嶋幸三氏、野々村チェアマンらが参列 最後の別れ 」