メッシ「アルゼンチン人であることを誇り」21年に及ぶ代表活動に終止符も伝説はまだ終わらず
<国際親善試合:アルゼンチン3-0ベナン>◇6日(日本時間7日)◇ブエノスアイレス
アルゼンチン(FIFAランキング2位)の象徴、FWリオネル・メッシ(39=マイアミ)が代表に別れを告げた。
ラストマッチとなったベナン(FIFAランキング89位)との国際親善試合にフル出場し、PKでの1得点に2アシスト。3-0の全得点に絡む活躍で、有終の美を飾った。準優勝した今夏のW杯北中米大会後、これまで二人三脚で歩んできた父ホルヘさんが死去し、8月31日に代表引退を発表。国際Aマッチ208試合126得点67アシストという圧倒的な記録をもって、21年に及ぶ活動に終止符を打った。
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メッシの功績をたたえる異例の花道となった。首都ブエノスアイレスにあるモニュメンタル・スタジアムには8万5000人超の大観衆が集まった。「GRACIAS(ありがとう)10」。メッシの10番を模した縦40メートルほどの巨大ユニホームが飾られ、大量の花火が打ち上げられた。アルゼンチン国歌が流れた際には、ベンチ前のスカロニ監督も大粒の涙を流した。そして試合開始10分、メッシの背番号10に合わせて1分間の中断。敬意のスタンディングオベーションが施された。
メッシは最後までメッシであり続けた。自在なプレーでゴールに向かい、強烈なシュートを次々と放った。格下ベナンの健闘もあり、スコアが動いたのは後半3分。左CKから苦楽を共にしてきた38歳DFオタメンディの得点を演出する。続けて同16分にもMFパスの追加点をアシストした。そして待望のゴールは同26分、PKから強烈な一撃をゴール右に決めた。その後も貪欲(どんよく)にゴールを狙い、ハットトリックしてもおかしくない出来だった。
8月31日にメッシが代表引退の声明を出すと、アルゼンチン協会はすぐに動いた。9月15日には国際Aマッチ3連戦の最後のホーム戦を「引退試合」と銘打った。22年カタール大会のメンバーや家族などメッシにゆかりのある関係者を招き、一大イベントとした。この日の試合は全世界にライブ配信された。試合後は再び国民的シンガーが歌い、大量の花火によってスタジアムは彩られた。
メッシに涙はなく、どこかすがすがしさがあった。「みなさんのことを愛していますし、寂しくなります。アルゼンチン人であることを誇りに思います。みなさんとともに夢をかなえられたことをうれしく思います」。マイクを握り10分近く、言葉をつむいだ。
そして「もう避けられないことだけど、私のキャリアの中で最も悲しい日を迎えました。代表チームに別れを告げる日です」「これからは傍らから仲間やこれから後に続くすべての選手たちを応援していきます。いつまでも、いつまでも、私たちは一つです」
同じ「神の子」と呼ばれたマラドーナは、ドーピング違反で94年W杯の途中に大会から追放され、代表活動にピリオドを打たざるを得なかった。だがメッシは世界中のファンから惜しまれながら、自らの意思で去ることを決断した。その気持ちは誰も止められない。
異次元のプレーを見せ続ける39歳には、まだ陰りが見えない。28年12月までMLSマイアミとは契約が残っている。代表活動に別れを告げたが、サッカーに別れを告げたわけではない。メッシ伝説はまだ終わっていない、そこは幸いだ。
◆リオネル・メッシ 1987年6月24日、アルゼンチン・ロサリオ生まれ。13歳でバルセロナのアカデミーに加入し、03年11月に16歳にしてトップチームでデビュー。21年夏まで18年間を過ごし、10度のリーグ優勝、4度の欧州CL制覇。パリ・サンジェルマン、米MLSマイアミと渡る。アルゼンチン代表での南米選手権やW杯、アンダーカテゴリーのU-20W杯、北京五輪なども含めてキャリア通算のチームタイトル数は史上最多の46を数える。国際Aマッチ208試合126得点はロナウド(ポルトガル)の234試合146得点に続く世界2位。世界最優秀選手賞の「バロンドール」は史上最多8度の受賞。推定年収は1億4000万ドル(約221億円)で、ロナウドの3億ドル(約474億円)に続く。家族はアントネラ夫人に息子3人。170センチ、72キロ。