【写真】笑顔の小澤秀寿さん(撮影・小沢裕)

<球速130キロを目指す還暦男の挑戦:中>

62歳にして130キロのスピードボールに挑戦中の小澤秀寿さん(現在の最球速は117・7キロ)。野球少年だったが、今考えるとささいな理由でやめてしまった。大学受験に数年連続して失敗し、40代では離婚も経験した。そして今、還暦を過ぎて無謀とも思える目標に挑んでいる。小澤さんの挑戦を描く連載、2回目です。

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野球専門ジム「DIMENSIОNING」東京本店でセッション(指導)を受けた帰り。近くの喫茶店で小澤さんから話を聞いた。62歳ながらMLB投手レベルの上半身を誇る男は、なぜこれまで野球を本格的にやってこなかったのだろうか。

「小さいころは野球少年でした。ですが中学1年の秋、目が悪く思うようにプレーできなくなってしまって。視力が落ちていたし、ちょうど日暮れということもあって、外野フライを後ろにそらしたり落としたりしてしまったんです。思うようにプレーできなくなった悔しさやもどかしさから、野球を辞めてしまいました」

小澤さんの父親は長野県松本市出身で、名門・松商学園の硬式野球部で語り継がれるほどの選手だった。小澤さんも野球を続けていたら、すごい選手になっていたかもしれない。野球を辞めた後はこれと言ったスポーツはやらず、友人とたまにキャッチボールで遊ぶ程度。ちなみに28歳の時、軽いノリでプロ野球巨人の入団テストを受け、50メートル走と遠投の1次テストはクリアしている。

高校時代は勉強に打ち込み、付属の大学に進むことをあえて避け、他大学への進学を目指した。しかし、数年連続失敗。その後、職業訓練校を経て就職はできたものの、「20代は劣等感の塊。それが今の挑戦のモチベーションの一つになっています」という。

転職してステップアップし、結婚もした。充実した40代を迎える直前、突然、離婚を切り出された。

「ショックでした。離婚してから5年くらい、仕事以外は何もやる気が起こりませんでした」

詳細は語らなかったものの、明るく楽しいはずの未来が突如暗転した心中は、察してあまりある。「家族がいたら、60歳を超えて130キロを投げるなんてことに挑戦していなかったでしょうね」。私はうなずくしかなかった。

挑戦を始めたほぼ同時期の2024年4月、同居する母親が倒れた。入退院や施設入所を経て、自宅で父親とともに介護生活を支えるなか、同年8月には自身が急性胆のう炎をわずらい、胆のうを摘出した。母親は今年2月に息を引き取った。この間必ずしも練習時間を十分に確保できる環境ではなかったが、練習の時間帯を工夫するなどして、250回以上の練習を継続してきた。

その真剣さとストイックさは、私に定期的に送ってくれる「報告書」からもよく分かる。

(8月27日、小澤さんから届いたLINEの内容抜粋)

【自覚症状としての違和感】

投げる時にずっと悩んでいた事。視線が定まっていない投げ方をしている。投げる時に一瞬勢いに負けて頭がクラッとする感覚が気にはなっていたが、これは何なんだ?

【分析結果】

投球時の動画を拡大し、視線はどこを向いているかを確認し、そこから生じる事を分析。普段練習している野球グラウンドでの動画は、視線はネットに固定されているシーンが大半でしたが、室内練習場の普段と違う空間だと、マウンド傾斜や他に注意がいってしまい、視線は定まっていないシーンが多い事が分かりました。

(中略)

球速出なかった理由の一つを発見出来たのはめちゃくちゃ大きい。次回の練習から早速改善です。(原文ママ)

人生をかけた挑戦とは言い過ぎかもしれないが、これまでに味わった挫折、後悔が小澤さんを突き動かしている。

小澤さんの挑戦は果たして成功するのだろうか。プロアマ問わず、数多くの投手を球速アップに導いている「DIMENSIОNING」の北川雄介代表を直撃した。(つづく)

◆小澤秀寿(おざわ・ひでとし)1964年(昭39)8月5日生まれ、長野県松本市出身。横浜市内の中、高校を卒業後、銀行系システム関係の会社に就職。現在はJCOM株式会社に勤務。40代からジムに通い、ウエートトレーニングに精を出す。野球経験は中学1年生まで。177センチ、86キロ。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 130キロ速球を目指す62歳小澤秀寿さん「20代は劣等感の塊。それが挑戦のモチベーション」