DeNA対阪神 阪神先発の早川(撮影・滝沢徹郎)

<DeNA1-2阪神>◇27日◇横浜

阪神新人の早川太貴投手(25)がプロ初先発でプロ初勝利を飾った。DeNA相手に5回77球で2安打無失点。くふうハヤテから24年育成3位で入団し、2軍戦で8勝を挙げて7月13日に支配下登録された最速151キロ右腕が1発快投で応えた。国立の小樽商大出身、北広島市役所勤務と異色の経歴で、育成入団投手の先発も新人勝利も球団史上初の快挙だ。優勝マジックは2つ減って12。9月3日の史上最速Vに突き進む猛虎に、掛布雅之の背番号31を受け継ぐ新星が加わった。

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ウイニングボールを手にした瞬間、早川は満面の笑みだった。手渡したのは、昨季自身がプレーしていた静岡県出身の岩崎。笑顔のハイタッチで祝福された。「試合前はもう本当、緊張がすごかった。汗は止まらなかったんですけど、何とか粘れたかなと思います」。背番号「31」が先発マウンドに上がるのは球団58年ぶりで勝利は83年ぶり。ミスタータイガース掛布雅之らがつけた偉大な番号を背負い、育成出身ルーキーが大きな1歩を踏み出した。

初回、2回と3者凡退の完璧なスタート。4回には右足をつりかけ、ベンチに下がり治療するアクシデントもあったが、汗を拭って続投。5回2安打2四球無失点の熱投だった。

「失投のないツーシーム」がこの日も武器になった。プロ初となる2月の春季キャンプのブルペン。「ツーシームで」。早川がそう伝え1球、2球と投げ始めると、ブルペン捕手に驚きの表情が浮かんだ。「曲がり方が違う?」。投手から見て右下に曲がったかと思えば、次は真下に落ちる。「自信がある球。武器になっている」。プロでも通用すると確信した“魔球”はくふうハヤテ時代の昨年誕生した。当初はスプリットを投げようとしたが、練習を重ねるうちにツーシームに変化。思わぬ形で武器を手に入れた。キャンプでさらに試行錯誤。「どこにいったらどう動くか、使い方を変えている」。うまく投げられなくても、真下に落ちるなど“失投”にはならない。圧倒的にリスクが少ない武器だ。

2軍で8勝を挙げて7月13日に支配下昇格を勝ち取り、同16日の中日戦の9回2死一、三塁でプロ初登板。「何で左手が動いたのかわからない」と語るほど緊張し、人生初ボークで三塁走者の生還を許す苦いデビューになった。1軍の投手たちとともに時間を過ごし、差を痛感したのは初球の丁寧さ。立ち上がりから全神経を集中し、降格後は2軍戦4試合計14回でわずか2失点。「前回甲子園でうまくいかなかったので、今度こそ絶対やってやろうと」。反省を生かしてつかんだ先発マウンドだった。

球団の育成ドラフト出身投手では初先発で、こちらも球団初の同出身投手の新人年勝利。抜てきした藤川監督も「強い気持ちで最後まで攻めましたよね」とたたえた。「もっと練習して、もっといいピッチングができるように」。もっともっと光り輝く。【塚本光】

▼阪神の育成ドラフト3位の新人・早川がプロ初先発で勝ち投手になった。阪神の育成ドラフト出身投手では、10年2位の島本が通算12勝を挙げているが、すべて救援。育成ドラフト出身では先発も新人で勝利投手になったのも初めてだ。

▼早川の背番号は31。阪神では掛布雅之が背負った(74~88年=選手、16、17年=2軍監督)ことで知られるが、球団では主に野手の番号で、投手では41~43年の玉置(安居)玉一、67年の平山英雄に次いで3人目。先発は67年5月23日中日戦(甲子園)の平山以来だった。玉置は内野手と兼任で投手は42年だけ。以後は野手としてプレーした。平山は66年の一次ドラフト2位(1位は江夏豊)で入団し、通算8勝を挙げているが、背番号31だった新人年は未勝利。勝利投手は42年の玉置(1勝)のみで、早川は背番号31で勝った83年ぶりの投手にもなった。

◆早川太貴(はやかわ・だいき)1999年(平11)12月18日生まれ。北海道・江別市出身。大麻高から小樽商科大に進学。卒業後は北広島市役所で働き、社会人クラブチームのウイン北広島と北広島市職労野球部(軟式)に所属。トライアウトを経て昨季はウエスタン・リーグくふうハヤテでプレー。2軍阪神戦で21イニング連続無失点を記録した。24年育成ドラフト3位で阪神に入団し7月13日にに支配下昇格。2軍戦16試合に登板し主に先発で8勝1敗、防御率2・82。右投げ右打ち。185センチ、95キロ。支配下昇格後の今季推定年俸は420万円。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【阪神】初先発初勝利の早川太貴、失投しないので…「自信」の“魔球”はくふうハヤテ時代の昨年誕生