梨田昌孝氏、島根県浜田市から「浜田市名誉市民」授与 スポーツ関係では竹本正男氏に次ぎ2人目
近鉄、日本ハム、楽天で監督を務めた梨田昌孝氏(71=日刊スポーツ評論家)が、出身地の島根県浜田市から各分野での功績をたたえる「浜田市名誉市民」の称号を授与されることが30日、分かった。
今年市制20周年を迎えた浜田市の久保田章市市長から提案を受けた「名誉市民選考委員会」の会合で賛同を得た上で、市議会が満場一致で同意し、このほど選考が決定した。
浜田市名誉市民は梨田氏で20人目。野球界からは初。スポーツ関係では、22年に選考された日本体操界に五輪メダルをもたらした竹本正男氏(故人)に次ぎ2人目の栄誉となった。
梨田氏は、浜田市立第1中学から浜田高に進学し、高1秋から「4番捕手」の有望株だった。71年に春夏甲子園に出場し、いずれも1回戦敗退だったが、日本代表メンバーに選ばれた。
71年ドラフト2位で近鉄入り。79年から5年連続でパ・リーグ盗塁阻止率1位の強肩。体をクネクネして構える「こんにゃく打法」で人気だった。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞4度。88年に引退した。
近鉄でバッテリーコーチ、2軍監督、00年には1軍監督に就任する。01年に「いてまえ打線」で近鉄を12年ぶりのリーグ優勝に導いた。球団消滅の04年シーズン限りでユニホームを脱いだ「最後の近鉄監督」としても知られている。
日本ハムを監督で率いた09年にもパ・リーグ制覇を果たし、4シーズンで指揮をとった。その後は楽天でも3シーズン監督を務める。適材適所の選手起用でチームを束ねた実績をもっている。
プロ野球界の発展に貢献してきた梨田氏は、現在も浜田市内で「梨田昌孝杯学童少年少女野球大会」を開催し、地元の「浜田応援団」の団長を務めるなど、地元とつながってきた。
なお10月5日に地元で開催される「新市誕生20周年記念式典」で、梨田氏本人が出席し、正式に名誉市民の称号が贈呈されることになっている。【寺尾博和】
▽梨田昌孝氏の話 私は山あり、海ありの大自然に囲まれ、素朴な人間性にあふれた浜田に支えられて育ってきました。ここまで野球しかしてこなかったのに、地元のみなさんに応援していただき、今回名誉市民の称号を授与されることは大変光栄です。これからも心は故郷浜田にありますし、野球界に恩返しを続けることが、わたしの使命だと思っています。