【こんな人】春夏V狙う横浜・村田浩明監督、背番号16に優勝投手を託した「原点」は県立校時代
<高校野球神奈川大会:横浜11-3東海大相模>◇27日◇決勝◇横浜スタジアム
センバツ王者の横浜が東海大相模との頂上決戦を制し、3年ぶり21度目の優勝を果たした。春夏連覇がかかる夏の甲子園へ。村田浩明監督(39)も全員野球を強調し、涙した。
継投でつないだ決勝戦。最後はエースに-。高校野球には割とそんな筋書きがある。
でも最終回、2アウトになっても村田監督は背番号1の奥村頼人投手(3年)を送らなかった。背番号16の前田一葵投手(3年)が胴上げ投手になった。最後はエースでの選択肢は? と村田監督に尋ねた。
「全く思わなかったですね。なんでかっていうと、全員野球って掲げてて。センバツの時に(当時背番号13の)山脇が優勝投手になって、今回は展開的に前田だったんですよね。前田もかなり頑張ってきた男なので、チームとしてはエースというよりも、前田が頑張ってきたので、前田が優勝投手になったほうがもっと相乗効果が生まれるんじゃないかということで」
奥村頼でも、来秋ドラフト上位候補の織田翔希投手(2年)でもなく、控えの3年生投手を歓喜の輪のど真ん中に置いた。
かつて横浜の主将だった村田監督は就任6年目。その前は県立高の霧ヶ丘や白山で野球部を指導していた。「もともと県立で指導したかったんで。めちゃくちゃ面白かったんですよ」。だから母校からのオファーも3度、断っている。
県立高で野球を教える楽しさは今も忘れない。どんな新入生が入ってくるかも、入学式まで分からない。
「楽しかったっすね。この子、守備位置どうしようかなとか。そういうの一緒に考えるのとか、すげえ楽しくて。みるみる吸収して、食いついてきて。どんなプレーでも『よくやった!』って褒めて」
1人ひとりとじっくり向き合う姿勢は、全国屈指の名門を率いる今も根底に染み入る。
横浜のグラウンドには県立校教員時代のOBやOGたちが激励に訪れることもあるし、卒業生の保護者たちだって横浜スタジアムに応援に来てくれる。
決勝戦後、西武担当記者の私が顔を出すと、村田監督はうれしそうに言った。
「今日、杉山のお父さんたちも応援に来てくれてるんですよ」
杉山とは2年前の左腕エース、西武杉山遥希投手(19)のこと。名門再建-。重責を支えてくれた全ての人々との“全員野球”で優勝旗をつかんだ。【金子真仁】