【高校野球】日大鶴ケ丘・萩生田知宙「甲子園連れて行って胴上げしたい」監督の父と挑む夏/西東京
親子で長い夏を見据えている。第4シードの日大鶴ケ丘(西東京)が18日、桜町との初戦(スリーボンドスタジアム八王子)を迎える。
背番号10を背負うのは、萩生田博美監督(52)を父に持つ、長男知宙(ちひろ)内野手(3年)だ。
少年時代に見た夏の聖地を目指し、父が指揮する強豪校での生活は順風満帆ではなかったが、「プレーヤーと監督で目の前の相手に強い気持ち持って戦っていきたい」と11年ぶりの頂点を誓う。
2年前の春、入部前に父とした約束は今でも覚えている。
「家では野球のことは話さない。グラウンドでの親子関係はなし」
監督と選手の関係を条件に日大鶴ケ丘に進んだ後は、自宅での会話は「最低限」(知宙)となった。それでも、監督としてチームを率いる姿を長男は今でも尊敬している。
14年夏、西東京大会決勝で東海大菅生にサヨナラ勝ちし、3度目の全国出場を果たした時は小学1年生。当時は選手がグラウンドの土で顔を洗うシーンがメディアに多く取り上げられた。「後から知ったけど、鶴ケ丘らしさ、粘り強さ、泥くさいところが感じられて、かっこいいな」と知宙は思い返す。
幼稚園の年中から白球を握った長男は、身長197センチの投手として日大鶴ケ丘の野球部に入った。
しかし、高1秋だった。フリー打撃で打撃投手を務めていたところ、打者の打球が右頭部を直撃。頭蓋骨骨折と脳挫傷の重傷を負った。頭には大きな手術痕が残っている。約半年間、グラウンド内でのプレーはドクターストップがかかった。「『もう野球はできないよ』と医者に言われた時は泣いちゃって。先が見えないのが一番つらかった」。
どん底に突き落とされた知宙だが、再起できたのは母・絵美さんから聞かされた父の伝言だった。
「大丈夫だよ」
これまで父に相談はしてこなかった知宙。あくまでも監督と選手の関係を保ってきたが、その言葉には父として心配する言葉にも受け取れた。
大けがから復帰した24年春からは野手に転向。バットを振り込めば、ボールへの恐怖心を取り除き、秋には代打要員としてメンバー入りを果たした。
「辛い時期もあったが、乗り越えられない壁はない。監督を甲子園に連れて行って、胴上げしたい」
その瞳に映るのは、監督、そして父が喜ぶ姿だ。【泉光太郎】