与田剛氏=25年6月

巨人、レッドソックスなどで活躍した上原浩治氏(50=日刊スポーツ評論家)が16日までに公式YouTubeチャンネル「上原浩治の雑談魂」を更新し、元中日監督の与田剛氏(59)とのコラボ動画をアップした。司会進行はPL学園(大阪)出身で立大野球部OBの上重聡アナウンサー(45)が務めた。

2人はNPBの現役時代がかぶっている99年~00年こそ接点はなかったが、与田氏は「解説者の立場で取材をさせてもらったりとか、上原くんの活躍をテレビで応援していました」と10歳年下である上原氏との関係性を説明した。

動画内では、当時から大学野球界で厳しいと評判だった与田氏の母校亜大に入ったきっかけや、衝撃エピソードが明かされた。

NTT東京から89年ドラフト1位で中日に入団した与田氏だが、亜大では4年間で通算1勝のみで、主に大学時代はスタンドで過ごした。3年時に手のひらの血行障害の手術を行ったが「でもやっぱり実力がなかったですね」と振り返った。

当時の練習について上原氏が「1日300球とか投げてそうですよね」と問いかけると、与田氏は「僕はね1日1000球くらい投げてました」と笑顔で回答。「300球でも多いかなと思ったんですけど…」と、上原氏と上重氏も驚きを隠せなかった。

主にレギュラー組の手伝いをしていたという与田氏は、当時の総監督に「つぶれるか、芽が出るかかけてみろ。決めるのはお前自身」とくすぶっていた時期に伝えられた。

あと1年で最上級生の立場も迫っていたため「とにかく投げて覚えよう」と決意。捕手が4~5人交代しながら、1日1000球の練習に付き合ってくれたという。「500~600球投げると、手がどこにあるのか感覚がわからなくなってくる」と、とにかく量をこなした練習を振り返った。

与田氏は「今の子どもたちにこれを勧めるなんて2度としませんけど、当時は自分のことなので。大体当時はバッティング投手をして、ブルペンに入る。300球くらいはみんな普通に投げていましたね」と話した。それでもなかなか上達しなかったためより一層「もっと投げなきゃ」という考えになっていたという。

ともに1日1000球投げた経験はないという上原氏と上重氏が、極限状態で見える景色について問うと「体がちょっとバラバラな感じがするんですよね。筋肉痛なんていうレベルじゃない。もう痛、痛しかない」と説明。これに上原氏は「筋肉じゃない。もう全身が『痛』なんですね」と驚愕(きょうがく)。だが不思議なことに朝起きてアップしてマウンドに向かうと「やっぱり投げたいんですよね」と新たな境地にたどり着いた大学時代を懐古した。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 元中日の与田剛氏、亜大時代は1日1000球「手がどこにあるのか感覚が…」上原浩治氏も驚き