大阪桐蔭・西谷監督、浅村栄斗に「怒って叱ってばっかり」2年生から副主将で徐々に自覚
<楽天2-1日本ハム>◇24日◇楽天モバイルパーク
楽天浅村栄斗内野手(34)が通算2000安打を達成した。平成生まれでは初の快挙となった。
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大阪桐蔭の西谷浩一監督(55)は教え子の浅村を叱った記憶を鮮明に覚えている。「結構、だらしないです。時間に。浅村いませんみたいな感じで(寮の)部屋に行ったら寝てるみたいな。そういう寝坊の人ですね」。朝礼に遅刻することもしばしば。ペナルティーで草むしりを命じたこともある。「もう怒って叱ってばっかりですね。大阪桐蔭では評価が低いですね。あの人は。2年生までは(笑い)」と回想する。
プロ入り直後も西武の後藤スカウトから遅刻情報を聞きつけ、浅村に電話をかけたことも。「目覚ましを5個かけたけど、5個鳴らなかった」と言い訳されたといい、「鳴っとるわ、こらっ」と怒鳴った日も今では懐かしい。
中学時代の浅村は無名の存在だった。7学年上の兄展弘さんが大阪桐蔭で西武中村剛と同期。公式戦出場はなかったものの「兄ちゃんは歴代何番目かにいいやつ」と努力家で優等生だった。あの浅村の弟であること、浅村の父からも息子と伏せた上で「いい選手がいるので、1度見てほしい」と“推薦”され、入学が決まった。
真面目な兄とは対照的な性格ながら1学年上の中日中田の代から主力を担った。「非凡なものは持ってました。もともと。でも継続するのがちょっと下手くそな子で。努力のムラがあるというか、いい時は頑張れるけど、ダメだったら頑張れないみたいな」。責任感を持ってもらう狙いで2年時の1月から副主将に追加で指名。「そこからちょっと頑張り始めた感じです」。徐々に自覚が芽生えた。
08年夏の甲子園で29打数16安打の打率5割5分2厘、2本塁打、4打点と優勝に貢献した。「別人のような、僕らもびっくりして。浅村で勝ったと言っても言い過ぎでないぐらいね。あの甲子園がなかったらプロも行けたかどうかわからないし、あの辺で人生がいい方に傾いていったんじゃないですかね」と振り返る。
大阪桐蔭で初となる名球会入りの資格を得た。「2000安打なんて想像もつかないです。平成生まれ初なんですよね。一緒にやってた者としてはうれしいですし、夢のようなことですね」と誇らしげだった。【山田愛斗】