ドジャース野茂英雄の投球フォーム(1995年撮影)

米国で野球の歴史を変えた人物と言えば、伝説の本塁打王ベーブ・ルースや黒人大リーガー第1号のジャッキー・ロビンソンでしょう。また、彼らに次ぐ人物としては、日本の野茂英雄も、その1人です。大リーグに挑戦し、野球の歴史をつくった男です。

1995年、近鉄を任意引退した野茂が海を渡り、ドジャースとマイナー契約。しかし、当時は我々日本人にとって、本場アメリカの大リーグは、はるか遠い夢の世界でした。日本球界のエースとして数々の偉業を成し遂げて来た野茂でも、はたして世界最高峰の舞台で通用するかは半信半疑でした。

5月2日、夢の舞台はサンフランシスコのキャンドルスティックパーク。ドジャース野茂が30年ぶり2人目の日本人投手として憧れのマウンドに立ち、ジャイアンツの主砲バリー・ボンズらを擁する強力打線相手に真っ向勝負。いきなり5回1安打無失点7奪三振と、日米野球史を飾る鮮烈なデビューとなりました。

日本時間では同3日午前4時30分から、その歴史的な試合をNHK衛星放送が生中継。東京のNHK放送センターで日本人大リーガー第1号の村上雅則氏とともに私も解説を務めましたが、人生であれほど緊張し、興奮した瞬間はありませんでした。

大リーグの公式戦を生中継したことも理由の1つです。それまでワールドシリーズやオールスターゲームは生中継しましたが、私の知る限り公式戦は全て録画中継。それが何と生中継で見られると聞いてビックリ。まさに大リーグを「ライブ」で楽しむ時代の始まりとなりました。

現地から送られて来た映像のシーンにも驚きました。それまでメジャー全球団の本拠地球場で観戦して来ましたが、当時は大都市の球場でも日本人の姿をスタンドで見た記憶が、まずありませんでした。それが何と、大勢の日本人が日の丸の旗を振って応援している姿に感動しました。

以来、全米中にトルネード旋風を巻き起こし、メジャー1年目から新人王に輝くなど大活躍。それによって、はるか遠い夢の世界だった大リーグが、一気に身近な存在となりました。それまで日本で一過性のブームはありましたが、大リーグ人気が完全に定着。まさかこんな時代が来るとは、夢にも思っていませんでした。

実際に現地の球場を訪れても、大勢の日本人ファンが観戦。また、地元ロサンゼルスのドジャースタジアムでは吉野家の牛丼を販売。米国内を旅しても、他都市の空港売店で野茂のTシャツが売られていたのにはビックリ。地元チーム一辺倒の中、今まで見たこともないような光景を目にしました。

1964年に初の日本人大リーガーとして、ジャイアンツ村上投手がデビュー。以来30年間で日本人大リーガーは、村上たった1人しかいませんでした。それが95年野茂以降、30年間で日本人選手は70人以上を数えます。まさに野茂は日本人大リーガーの先駆者と言えます。

あの歴史的な日から、ちょうど30年がたちました。当時ドジャースのピーター・オマリー会長が言っていた「彼の勇気とやる気、情熱」がなければ、その後のマリナーズ・イチローやヤンキース松井秀喜、そしてドジャース大谷翔平などは誕生したのでしょうか? また、野茂の活躍と成功がなければ、2004年から始まった世界国別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は実現したのでしょうか? 

周囲の反対を押し切ってまで大リーグに挑戦し、野球の歴史をつくった男、野茂の功績と偉大さを改めて知る日となりました。【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 野茂英雄の歴史的MLBデビューから30年 イチロー、大谷まで続く道拓いた/福島良一コラム