中日対阪神 8回1イニングを無失点に抑えた湯浅(左)は梅野と笑顔でベンチに引き揚げる(撮影・上田博志)

<中日4-1阪神>◇29日◇バンテリンドーム

アツキ、頑張ったね-。阪神湯浅京己投手(25)の母・衣子(きぬこ)さん(52)が、日刊スポーツに手記を寄せた。昨年8月はおよそ7時間に及んだ大手術にも立ち会い、見守ってきた復帰までの歩み。大きな壁を乗り越えた息子を祝福した。

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アツキ、お疲れ様。頑張ったね。お父さんと2人でテレビで見ていました。本当に息するのも忘れるぐらいドキドキしながら見ていたけど、抑えた瞬間にホッとして力が抜けちゃって。しばらく放心状態でした。

1軍合流前日の午後10時半くらいに電話で報告してくれて。「やってやる!」みたいに言ってくれたね。それを聞いたら、寝られなくなっちゃいました。うれしいのと、少しドキドキと。本当にいろんな方にお世話になって。やっと合流させてもらえたのが、私もすごくうれしかったです。

病気について、私はなんでもっと早く気づいてあげられなかったのかな、というのが一番でした。もちろん手術も心配だったけど、やるという決断をしたのはアツキ。私たちは何をしてあげることもできないし、ただ祈るしかなかった。高校の時は腰の成長痛、プロに入ってからは3度の腰椎分離症も乗り越えてきた。けれど高校の時は成長期が終わればその痛みはなくなると思っていたし、「絶対大丈夫だよ」と私たちも言えた。分離症の時も3回目はすごくつらかったけど、でもやっぱり「治ればできるよ」というのがあった。でも、今回は相当大変だったと思う。どう対処したらいいかも分からないところからだったもんね。

実は、私たちまで落ち込んで一緒に暗くなってしまったら、余計にアツキも下を向いてしまうと思っていました。「大丈夫だよ、絶対良くなるよ」という感じの言葉しかかけられなかったけどね。実際はすごく不安だったけど、それは悟られたくなかった。「大丈夫、大丈夫」というのを貫いてきました。

手術の日は今でも覚えています。予定よりめちゃめちゃ長引いたね。もう、心配で心配で。何かあったんじゃないかと思いました。午後4時に病室から手術に向かって、聞いていた予定時間は3時間。けれど、倍以上は時間がかかったね。病院は電気が消えて、真っ暗になって。待合室にいるのは私1人だけになって。看護師さんにも、何度も様子を聞きに行きました。

でも手術が終わってからは先生が「やれるところまでやりました」と言い切ってくれて。本当に細かい部分までやってくれて。アツキもすごく元気で笑顔で帰ってきたね。会えたのは11時前だったかな。全然表情が違った。「今までになかった足の感覚がある」と言ってくれて、それまでの心配も全部吹き飛びました。

手術の後も、思うように進まなくて落ち込んだ時期があったと思う。けれど今はそこも乗り越えて、また表情が変わったように思います。この前、お正月以来に会いに行った時は本当に前向きに明るい感じになっていた。試合を観戦して、夜は一緒にご飯を食べて。それまでに電話で話していた時の声とかとも、全然違った。「良かったなあ」と本当に思いました。

手術してくださった先生やトレーナーさん、いろんな方からもお話を聞いて。そうして、なんとかここまで来られたと思います。ここからはまた別の心配になるね(笑い)。これからもずっと応援していきます。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【手記】「大丈夫、絶対良くなるよ」難病から復帰の阪神湯浅京己、母・衣子さんが見守った道のり