中日対阪神 8回1イニングを無失点に抑えた湯浅(左)は梅野と笑顔でベンチに引き揚げる(撮影・上田博志)

<中日4-1阪神>◇29日◇バンテリンドーム

湯浅、おかえり! 国指定難病「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」からリハビリを続けてきた阪神湯浅京己投手(25)が、中日戦(バンテリンドーム)で約2年ぶりの1軍登板を果たした。23年11月2日のオリックスとの日本シリーズ第5戦(甲子園)以来544日ぶり、レギュラーシーズンでは23年6月15日のオリックス戦(甲子園)以来684日ぶりのマウンドで、1回無失点と踏ん張った。昨年8月に手術を受け、懸命に目指してきた1軍の舞台。チームは6連勝直後に2連敗を喫したが、右腕の快投は何よりの朗報だ。

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2年間の思いを乗せ、湯浅はグッと右拳を握った。感情があふれ出た。23年11月の日本シリーズ以来544日ぶり、レギュラーシーズンに限れば684日ぶりの1軍戦で無失点。敵地にもかかわらず、バンテリンドームにファンからの「おかえり!」の声が響いた。

「戻ってこれたというか、『やっとここからまた始まるな』という感じです」

無我夢中だった。「何も覚えていない。緊張しました」。7回に登板。2死二塁から1打点を挙げていた板山を遊ゴロに仕留めた。「絶対に点をやらん」と気迫の13球で1回1安打無失点。再出発の一戦で、打たれるわけにいかなかった。

約1年前は絶望の淵にいた。軸足の右足がしびれ、感覚が消えた。原因は不明。不安を振り払うように、当時はトレーニングに打ち込んだ。力の入らない右足を必死で鍛えた。それでも感覚は戻らなかった。「意味あるのかな…」。登板しても求める感触はほど遠い。光が見えなかった。

当時は鳴尾浜に向かうのも憂鬱(ゆううつ)だった。眠れない夜もあった。高校時代は腰の成長痛、プロ入り後も3度の腰椎分離症を克服。何度も這い上がってきた不屈の心すら、病魔は飲み込んだ。

「朝が来るのが嫌だった。本当に、初めて野球を辞めたいと思った」

やがて胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症が発覚。手術を決断し、術後は今までなかった感覚も戻った。しかし相手は「難病」。その後も完全に症状を忘れられたわけではない。特に今年3月は再びしびれにも苦しめられ「今までで1番しんどかった」。1年前とは違う。手を尽くしながらも立ち塞がる現実が辛かった。

それでも湯浅は前を向く。「こんな経験、誰にできるわけでもないから」。病気も含めて今の自分。野球を続ける限りは症状とも共生し、ベストな形を目指していく覚悟があった。22年に最優秀中継ぎを獲得し、23年WBC日本代表も選出。輝かしい過去を持ちながらもゴールは「復活」ではない。「良かった時に戻りたいとは一切思わない。新しい自分を作り上げたい」。新たな理想を掲げた野球人生。その大きな1歩をこの日、踏み出した。

チームが連敗を喫した中で見せた明るい希望。「たくさんの方の支えがあってここまで来れた。恩返ししていけるように」。再び立ったスタートラインで、笑って誓った。【波部俊之介】

▽阪神安藤投手チーフコーチ(湯浅が復帰登板)「彼の頑張りでもあるし、いろんな人に支えられてここまで来たんで、そういうことに感謝しながら、また。良かったなと思う」

阪神梅野(湯浅が復帰登板)「ファームの時とかいろいろな姿を見ていたし、特別なものは自分もあった。これから戦っていく上で大事な仲間なので、今日を機会にまたしっかり抑えていけるように、バッテリーとしてやっていきたい」

◆胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症 厚労省指定の難病の1つ。脊髄の背中側の胸椎を縦につないでいる黄色靱帯が骨化する疾患。脊髄を圧迫するため、下半身のしびれや脱力、悪化すると歩行が不自由になるなどの症状が出る。無症状で偶然に発見される場合もある。原因は不明。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【阪神】難病復帰の湯浅京己が掲げる新たな理想「良かった時に戻りたいと思わない」2年間の歩み