日本サッカーで不動の“壁”板倉滉「ドイツでの日々が僕を強くする」/単独インタビュー
サッカー2026年W杯北中米大会出場を世界最速で決めた日本代表で、ブンデスリーガのボルシアMGを主戦場とするDF板倉滉(28)がこのほど、ドイツ・メンヘングラッドバッハで単独インタビューに応じた。負傷者が相次いだ森保ジャパンの守備ラインで唯一、アジア最終予選の全試合に先発中。日独を代表するセンターバック(CB)に成長し、クラブでも7位躍進の立役者となっている男に、大国での進化の日々を尋ねた。異国での奮闘も今後、不定期で連載する。【取材・構成=佐藤成】
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ドイツ西部の工業都市メンヘングラッドバッハで日々、進歩を遂げている。王者Bミュンヘンと同じ1900年に創設された古豪ボルシアMGで、絶対的主軸に成長した板倉は、さわやかな笑顔で本拠ボルシア・パルクに現れた。「今日はよろしくお願いします!」と右手を差し出した、誰もが認める好青年。人柄だけでなく、プレーもサッカー大国で高評価を受ける。
リーグ優勝5度、UEFAカップ(現欧州リーグ)制覇2度を誇るクラブで、今季26試合のうち24試合に出場。時間は2160分に達し「けがなく今年は来られているし、去年よりも勝ち点を積むことができて、さらに上を目指せる順位にいる。充実感はもちろんありますね」とうなずいた。
過去2シーズンは負傷の影響で離脱する期間もあったが、今季はほぼフル稼働で7位躍進の中心に。昨季途中、慢性的に悩まされていた左足首の手術に踏み切ったことで、今季はプレーに集中できているという。
「ちゃんと治したことが一番良かったと思います。ストレスがやっと消えた感じ。今までケアに回していた時間を、トレーニングにフォーカスできている。自分を高める時間の使い方ができるようになりました」
1月27日に28歳となり、最も脂が乗る時期に差しかかる。海外志向は強くなかったが、その才能が掘り起こされたのは21歳の時だ。19年1月、イングランド・プレミアリーグのマンチェスターCから将来性を買われて完全移籍した。A代表デビュー前で労働許可証を取得できなかったため、オランダのフローニンゲンで修行。20-21年に全34試合に出場し、ドイツ2部シャルケを経て22年からボルシアMGで円熟期を迎える。
「18歳でプロになってから、ちょうど10年。まさか日本より海外の方が長くなるとは思っていなかった。オファーが来たら断らない思いはありましたけど、絶対に海外へ行きたいとか別になかったので。この愛するクラブに来ることも想像はしていなかったですね」
高い目標設定をしていたわけではない。目の前の試合に、ただ必死で取り組んできた結果、この地位にいた。現クラブ3季目。練習から積極的に声を出し、リーダーシップを発揮する。
「最初のオランダは大変でしたけどね。まずはチームメートに認めてもらわないといけない。伝えることができないストレスがありました。今はもう海外も長いし、立場も確立して、居心地も良く、この素晴らしい環境でやれています。ただ、常に上は目指さないといけない。その思いがなくなったら終わりですから」
代表では25日サウジアラビア戦の後半、主将のMF遠藤(リバプール)に代わってキャプテンマークを託された。向上心の源は、その仲間からの刺激という。
「意識が高く、みんな個人的にもトレーニングをしている。当たり前に」。だから自身もシェフ、トレーナーをドイツまで呼び寄せるなど投資を惜しまない。
優勝を掲げるW杯は「大きなモチベーション」だ。22年カタール大会では、僅差で「新しい景色」の8強に届かなかった。来年6月開幕の、自身2度目の夢舞台へ「個のレベルアップが不可欠」と認識している。世界で勝つために、W杯優勝4度のドイツに身を置き高い基準の日常を過ごす。
◆板倉滉(いたくら・こう)1997年(平9)1月27日、横浜市生まれ。川崎Fの下部組織で育って15年にトップ昇格。18年に仙台へ期限付き移籍し、主力となる。19年1月にマンチェスターCへ完全移籍。即座にフローニンゲンへ期限付き移籍した。シャルケでもプレーした後の22年7月にボルシアMG加入。CBとボランチをこなす。日本代表では国際Aマッチ37試合2得点。21年東京五輪代表。利き足は右。家族は両親と妹。188センチ、80キロ。
○…板倉はこの日、インスタグラムで「ドイツ帰ってきました!」と報告した。「ここから」とも記し、W杯へ再びブンデスで個を磨く。また、ボルシアMGは日本市場との長期的な関係構築を願い、X(旧ツイッター)の日本語版も立ち上げた。板倉やFW福田獅王の近況はもちろん、日本向け最新情報も提供される。