西武対阪神 7回、3番手で登板した西武佐藤隼(撮影・藤尾明華)

<オープン戦:西武1-0阪神>◇11日◇ベルーナドーム

西武の佐藤隼輔投手(25)は宮城・仙台市出身だ。東日本大震災の時は小学5年生だった。

仙台市内でも海抜の高いエリアに住んでいたから、直接の被害はなかった。でも「めちゃくちゃ揺れて、教室で泣いてる子もいました」と記憶は鮮明だ。

停電の中で「親はラジオを付けていました」。沿岸部の被害状況も耳で理解する。電気がつながり、映像を見る。「うわー…って」。少年野球で訪れたことのあるグラウンドも大津波で流されていた。

原発事故の影響も気にしないといけないエリアだった。「親は原発が爆発して『えーっ!?』って慌ててるんです。でも僕は不安どころか、まだ原発のことも当時は理解できていなくて」。

だから物事を知り、映像もたくさん見るようになった今だからこそ「普通じゃない経験だったんだなと思います」と振り返る。

そんな3・11は、7回にリリーフ登板、阪神中野、佐藤輝、森下をわずか6球で3者凡退に仕留めた。「力感の割に球がいいです」と手応えを口にしていた。【金子真仁】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【西武】仙台出身の佐藤隼輔 リリーフで三者凡退の好投 震災当時は小5「理解できなくて」