発生時刻の午後2時46分に黙とうを捧げる仙台の梁クラブコーディネーター(撮影・木村有優)

J2仙台は、これからも宮城の光だ。ベガルタでプロ生活20年のうち18年プレーしたMFで、現在はクラブコーディネーターの梁勇基氏(43)が11日、仙台市内で行われた追悼式で献花し、黙とうをささげた。「今でも当時のことを思い出します。生かされた身として1分1秒、1日1日を大切に生きていこうと改めて感じました」と口にした。

10番を背負って、ピッチから東北に活力を与えてきた。J1だった震災発生年はリーグ4位。翌12年には史上最高2位に輝いた。手倉森誠監督らと「ベガルタ仙台の選手として、東北のシンボル、希望の光になるという言葉を掲げてやってきました」。引退後も、その思いは変わらない。「違う角度から支える立場になりますが、より地域の皆さまに寄り添うような活動をしていきたい」と神妙に語った。被災地に本拠を構えるチーム。宮城の思いを背負っていく。【木村有優】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【仙台】梁勇基氏「1分1秒、1日1日を大切に生きていこうと」追悼式で献花し、黙とう