菅野智之「本気で野球辞めたい」から辿り着いたメジャー 日本から持って来た大好きな人の写真
いつも、登板前には、マウンドから空を見つめる。オリオールズ菅野智之投手(35)が、9日に放送されたBSテレ東の「菅野智之の挑戦には物語がある」に出演した。5つの分岐点に分けられ、オールドルーキーのメジャー初挑戦にまつわる話が紹介された。
5つ目の分岐点は「野球を諦めかけた、あの日の言葉」。中学の部活で軟式野球をやっていた菅野は、名門・東海大相模へ進学。ただ、周囲や寮生活などになじめず、また肩も痛めたことで、どこか後ろ向きな気持ちだったという。「初めて野球を辞めたい、本気で野球辞めたいことがあって、初めて親に野球辞めたいって、最初で最後でしたけど。それぐらい精神的にきつかった」と振り返った。
家族を頼った。「最初に父親に連絡したら『泣き言言ってんじゃねぇ。そんなんだったら辞めちまえ』と言われて、その後にお母さんに連絡したら『もうちょっと頑張ってみたら。でもそんなに辛いんだったら、そんな思いをしてまでやる必要ないよ』って言ってくれて、最後にじいちゃんに連絡したら『ピッチャーだけが野球じゃねえんだから。智之はバッティングも良いんだし、考え直してみろ。ピッチャー以外で野球を続けるっていうことも考えてみろ』と、前向きな話をしてもらって。そしたら2日後くらいに肩がパッと痛くなくなった」と話した。
「そこでもし全員が辞めろ、辞めろって言っていたら、多分辞めていただろうし」とうなずいた。初めて野球に触れたのは、その祖父とのキャッチボール。巨人前監督の原辰徳オーナー付特別顧問(66)の父で、菅野にとってのおじいちゃん。14年5月に亡くなった原貢氏(享年78)。菅野はそこからマウンドに立つと、空を見上げるようになった。「亡くなってからは必ずマウンドに立つ時は必ず空を見上げて、その時の気持ちを伝えようと決めて。それだけはずっと僕の野球人生が終わるまで続けていこうと思っています。空から見てくれているなと思うので」と言った。
今回のメジャー挑戦。日本から持って来たものは「じいちゃんの写真ぐらい」と言った。幼少期、初めての野球となった祖父とのキャッチボールで、鼻にボールが当たり、鼻血が出たのも今となってはいい思い出。菅野は、挑戦とは? と問われ「人生では欠かせないものというか、野球だけに限らず、そうだなって思っていて。おじいちゃんが『もう死ぬまで挑戦だ、ずっと』って言っていたことを思い出しました」と感慨にふけっていた。