【里崎VS還暦記者②】大学時代に編み出した練習法聞き出すも…最後は過酷?な現実に引き戻された
キャンプインして、里崎智也さん(48=日刊スポーツ評論家)と宮崎から沖縄の各キャンプ地を回る季節が始まった。今年で里崎さんと巡るのは6年目。旺盛な好奇心と、球界トップの情報量と分析力を備えた里崎さんに、担当している還暦記者はついていくのが精いっぱいの日々だ。
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里崎さんから、スランプ時の練習方法を聞いた。たったひと言「練習しないです」との返答に戸惑いつつも、その背景を探るべく、焼き鳥を食べながらのトライアルは続いた。
里崎さんは、「スランプ時は、慌てて練習しても意味がない」と言う。へえ~と、感心していると「好調な時から、いわば反省は始めないとだめなんですよ」と、難解な言葉が飛び出した。
どういうこと?と、まったく遠慮せずに聞くと。
里崎さん 好調な時こそ、どこが良くて打ててるのかを考えるんですよ。映像を見て、確認する。打てたから良かったあ~なんて、浮かれていたら、いずれくるスランプの時にどうしていいか分からなくなるだけなんです。
プロ野球のバッターは、気が休まる時がないなと、感心しつつ、若干の同情も覚えたが、すぐに次の質問に移る。この流れで行けるところまで行ってしまおう。
記者 そんな練習法は誰かに教わったわけではないんでしょ? 里崎さんは、ことバッティングに関しては、誰かに師事したって話はほとんど聞いたことがありませんし…。
里崎さん そうっすねえ…、それはないですね。全部自分で考えました。
記者 いつ、その練習法を編み出したんですか?
里崎さん 大学生の時です。
記者 帝京大の時ですか?
里崎さん そうです。
記者 また、どうして? ある日ひらめいた、とか?
里崎さん まあ、ひらめいたというか、思い付いた時がありました。
記者 へえ~、そこをちょっと、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか。
里崎さん 大学1年の時でした。
記者 ええ、はい。
里崎さん 当時の帝京大の野球部は、1年生は雑務の当番がありました。食事とか、洗濯とか。1年は数グループに分かれていて、1週間に何日かは、そういう当番が自分たちのグループに回ってきます。
記者 はい。
里崎さん でも、その当番以外に、部屋の先輩の雑用はまた別にあるんです。同部屋の上級生の使い走りですね。まあ、これも体育会ならばよくあることですよね。当然のことです。
記者 はい。
里崎さん だから、当番以外の日も、寮の中にいると用事を言いつけられるんです。だから、何人かで相談したんです。練習しているという体(てい)にして、寮の外に行こうと。そして、何時間か外にいて、練習をしてきました、と取り繕って戻れば、自分の時間がほんのわずかでも持てるだろうと。
記者 はい。1年生の生き抜く生活の知恵ですね。
里崎さん ただし、野球部の寮は相模湖にありました。外と言っても、都会の外とは違います。真っ暗です。漆黒の闇です。ほぼ街灯もないんです。寮の裏手に回れば、非常灯の緑の明かりが遠くにほのかに見えるくらいで。あとは、真っ暗です。本当の闇です。
記者 はい。
里崎さん そこで、時間をつぶすわけです。でも、暗闇の中でしゃべっていても仕方ないから、バットを振るんです。真っ暗な中で、月が出ていれば、その月明かりに照らされることもあって。そして、月明かりがあると、玄関のガラス扉に自分のフォームが映るんです。なんとなく分かってくれると思いますが、そういう時のガラス扉は鏡のように、自分のフォームを映してくれる。ああ、これはいいなって。自分のフォームを見ながら、どこを意識すればいいか考えながらスイングしました。ああ、今のスイングはいいな、もっとこうしようとか。そのうちに、投手のボールを頭の中で想定して、そのイメージの球筋に対して振るようになって。
記者 はい。
里崎さん 想定するボールは、例えば150キロ真っすぐとか。当時、数は少ないですけど、もう150キロを投げる投手はいましたから、残像はありました。そのイメージを元に、ガラス扉の中の自分のスイングを加味して、ああ、今のは振り遅れてゴロになったな、とか。今のは差し込まれて内野フライだったな、とか。1球ごとに、今のスイングの何が足りなかったのかを考えながら振ってました。そうすると、150キロのボールにも対応できるスイングが増えてきて。今のは行ったやろう! とか、ああ、完璧にとらえたな、とか。
記者 へえ~。
里崎さん 変化球も同じですよね。カウントを想定して、例えば追い込まれてから、外角のスライダーにどう対応するかって考えながらスイングする。今のはしっかり振り切れたとか、今のは当てただけだったなとか。となると、経験したボールを元にあらゆる場面を想定していくらでもイメージしたボールにどう対応するかってシミュレーション練習ができるんです。さすがに打席で体験したことがない160キロは無理ですよ。見たことがない変化球も無理です。でも、打席で見てさえいれば、あとはガラス扉の中の自分のスイングがしっかりすれば、打てるようになるはずだって。それで、いつも門限ギリギリに寮に戻りました。ギリギリに戻るのは、用事を極力頼まれないようにするためなんですけど、結果的には3~4時間は暗闇でバットを振ったりして、外にいたってことでしたね。
記者 なるほど~。
里崎さん そうやって、どんどん振りました。だから、自分のスイングのどこがいいかを見抜き、それをもとに調子を崩しているのはどこに原因があるのかを、繰り返し見ることで気づけるようになった、そういう背景が僕にはあったと思うんです。
記者 へえ、「月明かりとガラス扉」ですか。相模湖の暗闇の中で、月明かりを頼りに、自分のスイングと向き合ってきたから、スランプになっても、慌ててやみくもに振るようなことはしなかったって、わけですね。
里崎さん まあ、そういうことですね。
記者 じゃあ、相模湖の暗闇と、美しい月が、里崎さんを助けてくれたってことですね。
里崎さん そんなきれいなことじゃないっす。要は、上級生の使い走りで時間を奪われるのがいやで、苦肉の策で避難したのが幸いしたんですね。
記者 いい話じゃないですか?
里崎さん まあ、いい話かどうかは僕には関係ないですけど。
記者 また、すぐにそういう素っ気ないことを言う!
里崎さん だから、何でも言い訳にして、●●だったからできませんでしたって、言ってては何も始まらないってことですよ。やれない理由なんていくらでも考えつきます。でも、言い訳してないで、やれることを自分で探したり、工夫するってことだと思うんですよね。大人でも、すぐにできませんって、あきらめるでしょ? それじゃだめなんですよ。やれないんじゃないですよ、やらないだけなんです!
記者 ……。
里崎さん 僕の話から何かヒントを見つけるか、へえ~、そうなんだあ、この焼き鳥うまいなあ~だけで終わるか。あとはその人次第ですね。
記者 ……。
美しい月明かりの話から、最後は一気にキャンプ地取材の過酷? な現実に引き戻されてしまったが、目的は果たした。
もしかすると、こうした逸話は既にどこかで里崎さんが披露しているかもしれない。それを知らないのは担当記者としての怠慢ではあるが、自分との対話の中で直接聞く事が大切だと、すかさず自分を慰める。そんな宮崎キャンプの夜となった。(終わり)【井上真】