98年8月、球団ワースト記録の11連敗にボウ然。左は一枝ヘッドコーチ 

プロ野球阪神タイガースを、監督として球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前5時16分に兵庫・西宮市の病院で脳梗塞のため亡くなった。91歳だった。

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一枝修平氏(85年は守備走塁コーチとして吉田監督を支える、日刊スポーツ評論家) 監督、残念です。いつまでも野球界、阪神、我々後輩を見守ってくださると思っておりました。監督のもとで、3度のコーチをさせていただきました。1985年には、セ・リーグ優勝、そして西武を倒して、日本一を経験させてもらい、本当に感謝しておりました。また日頃より、一枝を気にかけていただき、いなくなられたのは断腸の思いです。どうか安らかにお眠りください。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【悼む】一枝修平氏「いなくなられたのは断腸の思い」吉田義男監督のもとで3度のコーチ