アジア人で初めての米国野球殿堂入りし、記者会見するイチロー氏(AP)

2025年の米国野球殿堂表彰が21日(日本時間22日)、米ニューヨーク州クーパーズタウンで発表され、メジャー19年間で通算3089本安打を放ったイチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、資格1年目で選出された。得票率は99・7%で史上2人目となる満票にはわずか1票届かなかったものの、日本人選手としては史上初の快挙となった。

発表後はマリナーズの本拠地、シアトルのTモバイルパークで会見を行った。

主な一問一答は以下の通り。

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-クーパーズタウンはイチローさんにとって特別だって知ってるんですけど、いつクーパーズタウンが特別になりましたか。そして今度戻る時どういう気持ちになりますか

初めてクーパーズタウンに行ったのが2001年。その時、その後もなんですけど色々な過去の選手と記録で交わることがあって、彼らが当時使ってきた道具を見てみたいなという。そういう気持ちがすごくありました。博物館に行くと色々ツアーで見られるんですけど、特別な地下で昔の選手の道具が大切に保管されていて、そこに行くのが僕は大好きなんですけど。2001年は確かジョー・ジャクソン。ジョー・ジャクソンの記録、ルーキーのヒットの数ですね。それと僕は242でしたけど、その記録と交わったことがあって見に来ました。驚いたのはジョー・ジャクソンのあのシューズがあったことです。ジョージャクソンの。靴履いてないんだと思ってたら、後にそれは1試合だけだったと知って、人の思い込みっていうのは怖いなという経験をするんですけど。もう何度も何度も訪れたのは誰かの記録と関わった時、その選手たちと現代に生きる自分が道具を触ることによって、なんかこう会話ができるような感触。話ができるような感触があって、すごく気持ちいい体験として残っています。

もう1点言うと、現代に生きてるとすごいもう生活してるだけでストレス。特に今はそうですよね。生きているだけで、ストレスが溜まる社会になりました。そういう中で野球だけの街があって、自分が現役でプレーしてる選手が過去のその気持ちがいい思い出があって、またそこに再び訪れて、心が洗われるというかね。そういう記憶もありました。だから僕はクーバーズタウンというのは現役を引退してから行く場所というよりも、僕は現役中に行って欲しい場所なんですよね、経験上。今の選手たちにも是非、訪ねてほしい。僕は薦められる唯一の場所と言っていいかもしれないですね。野球選手にとって。

-「51」という数字をもらった時にランディ・ジョンソンがいた。どういうやりとりがあったかと、ランディ・ジョンソンも付けてたというので気持ちは

当時51を付けるとなるときに、特別な番号だと認識していました。当然シアトルの街にとっても、球団にとってももちろん、ファンにとってもそうです。この番号を汚してはいけない。

これが51番をつけた選手がただの普通の選手だったら、これがランディ・ジョンソンに対してもう申し訳が立たないし、そういう覚悟すごくありましたね。日本人選手の野手として初めてというのも大きな1つでしたけど、51番というのが1つ、特にあのシアトルにとって特別な番号であったこともあって、僕の中にはすごく重く存在していた。そういう記憶があります。2001年のオールスターの1打席目はランディ・ジョンソンと対戦したわけですけど、あの1打席は忘れられないですね。オールスターの記憶はたくさんある中で、サンフランシスコでのランディ・ジョンソンとのオールスターでの対戦はこれは実は深く記憶に残っているシーンです。そこに一緒にいてくれたジョン・オルルドがここにいてくれることはすごく嬉しいです。でも、あの希望としてはヘルメット被ってて欲しかったです。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 米殿堂イチロー氏「あの1打席は忘れられない」伝説左腕との対戦/地元シアトル会見一問一答2