【こんな人】人的補償移籍、巨人伊藤優輔の実家はパン屋「能面のよう」と父が明かす人柄とは
<こんな人>
ソフトバンクが巨人にFA移籍した甲斐拓也捕手(32)の人的補償として巨人伊藤優輔投手(28)を獲得することが16日、両球団から発表された。
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ポーカーフェースの裏に闘志を秘める。伊藤はそんな男だ。実家はパンのお店を営む、東京・荒川区で1人っ子として生まれた。実家でも口数が多いタイプではなく、父康之さんも「あの子は“能面”のようなところはあります(笑い)。何があっても落ち込む様子もなく、弱いところも見せません」と人柄を明かす。
ただ、阿部監督も「気持ちが強い投手ですから」と評したように、正念場で見せる負けん気はすさまじい。中大時代、3年春の神宮だった。強烈な投ゴロがワンバウンドして、左膝に直撃。1度ベンチで治療を受けるも、「いけます、いけます!」と決死の覚悟でマウンドに戻った。マウンドで投げる、その思いがとにかく強かった。
でも、投げられる状態じゃなかった。様子をみるための投球練習で、左足を着いた瞬間、崩れ落ちた。左膝蓋(しつがい)骨骨折。救急車で病院へ直行した。選手生命が危ぶまれる大けがでもくじけなかった。リハビリ中に体重と筋力を増加。4年で復帰する頃には金属製の大きな人口靱帯(じんたい)を入れたまま、最速は150キロに更新した。
社会人を経て20年にオールドルーキーとしてプロ入り。21年オフには右肘のトミー・ジョン手術を強いられるなど、苦難は続いたが腐らずにはい上がった。「リハビリの最中は長いなと思いましたけど、振り返ってみると本当にあっという間の期間。ネガティブな期間がなかったというか、充実したリハビリ生活を遅れましたし、自分にとってプラスになった時間でした」と回想。昨季は1軍8試合で防御率1・04の好成績を残すまでに成長して見せた。
中学時代には都大会優勝を果たしたが、履歴書にはその経歴を書かなかった控えめな性格。中学2年から塾に通い、進学校の都小山台に入学し、エース&主将としてセンバツ出場までこぎ着けた「都立の星」。穏やかな性格の内側に闘志を秘め、福岡の地でも星のようにきらめく。【21年~23年巨人担当=小早川宗一郎】