川淵三郎氏=2015年撮影

読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日に98歳で亡くなったことを受け、Jリーグ初代チェアマン時代に激しく対立していた日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎相談役(88)が同日、追悼コメントを出した。

「突然の訃報に言葉もありません。

ちょうど7年前、自伝を出す際に渡邉さんと対談する機会に恵まれました。高円宮殿下のご葬儀の際にお会いして以来で、久しぶりにお目にかかれて本当にうれしかった。既に90歳を越えておられるにもかかわらず矍鑠(かくしゃく)とされ、話される内容も鋭く、得難い時間を過ごさせていただきました。頭脳では到底かなわないものの、そのお姿を見て渡邉さんのように年を重ねていきたいと思いました。その渡邉さんが亡くなり、目標を失った思いです。

Jリーグ開幕当時、クラブの呼称問題などで侃々諤々(かんかんがくがく)の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡邉さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡邉さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。

在りし日のお姿を偲(しの)び、ここに謹んで哀悼の意を表します。(原文まま)」

1993年(平5)のJリーグ開幕を巡り、両者は激しい応酬を繰り広げた。渡辺氏が社長だった読売新聞社は当時、三浦知良やラモス瑠偉を擁したヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の親会社。日本リーグからのプロ化に当たり、クラブ名から企業名を外して「ホームタウン名+愛称」で統一することを求めたJリーグと川淵チェアマンが、渡辺氏から反発された。

川淵氏も「Jリーグに巨人はいらない」と企業名を拒否。翌94年には「ヴェルディ川崎Jリーグ・チャンピオンシップV2祝賀会」に出席した渡辺氏が、乾杯のあいさつで「企業サポーターがスポーツを育てる。1人の独裁者が空疎で抽象的な理念を掲げるだけではスポーツは育たない」と発言した。川淵氏も「独裁者に独裁者と言われて光栄」と応戦。対決の構図が完全にでき上がり、連日、メディアも大きく扱う論争を巻き起こしていた。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 川淵三郎氏が渡辺恒雄氏を追悼「敵だと思っていた相手が最も大切な存在だった」かつて「独裁者」と非難